第30話 一緒に寝よ?/幼馴染の願い/そして天使は優しげに

 これは仕方がないことなのだ、と何度自分に言い聞かせたことか。


 時刻は十一時を過ぎたくらいで、まだ眠気も半分くらいだけど、それでもベッドに入ろうと決めたのは初めの内はなかなか寝れないだろうと思ったからだ。

 何しろ、月乃と同じベッドで眠るんだから。


 月乃の部屋にて。俺と月乃はベッドに腰かけて、気まずい沈黙のまま時間だけが過ぎていく。

 ……俺も経験したことないから憶測になっちゃうんだけど。

 初夜を迎えた付き合いたてのカップルとか、こんな空気なのでは。


「そ、そろそろ寝るか。明日は絶対に遅刻は出来ないし」

「……う、うん」


 頬を朱に染めて、こくりと月乃が頷く。月乃でさえも俺と一緒に寝るというこの状況に緊張しているみたいだ。

 月乃は、ぽふん、とベッドの上に倒れると、


「わたしはいつでもいいよ。……来て、悠人」


 そういうどぎまぎしてしまうような台詞を言わないで欲しい。

 電気を消してから再び覚悟を決めてベッドの中に入り、その瞬間、ほんの少しだけ月乃の身体と触れてしまう。

 柔らかい。そう思った直後、甘い痺れに頭がくらくらしそうになった。


 落ち着け、幼馴染と一緒に添い寝するだけじゃないか……そう自分に言い聞かせた言葉が如何に的外れかなんて、俺が一番分かってる。

 だって、月乃は俺のことが好きだって告白した女の子なんだから。


 ああ、もうっ。分かった、潔く認めよう。

 月乃は俺の幼馴染のはずなのに――そのぬくもりを感じることに、どうしようもないくらい心臓の音が大きくなっている。

 そんな風に天井を眺めていると、隣から囁くような声音。


「悠人、起きてる?」

「……寝れるはずないだろ。女子と一緒に寝るなんて、初体験なんだから」

「ん、そっか」

「月乃はどうなんだよ。一緒にいたい、って言ったのは月乃だろ」

「ずっと夜だったらいいのに、ってくらいには幸せだよ?」


 月乃が身じろぎをする。その度に月乃が俺の身体に触れて、全身がかあっと熱くなる。


「悠人の匂いにくらくらして、悠人の感触にそわそわして、悠人のぬくもりにどきどきしてる。うん、やっぱり幸せって言葉が一番ぴったりかな」

「……そうか」


 月乃を相手に、自分の感情を誤魔化したくない。

 それだけの一心で、月乃の表情を見ないまま口にした。


「俺も、月乃と一緒にいてこんなに緊張するなんて初めてかもしれない。……不思議だよな。ちょっと前まで、そんなこと想像もしてなかったのに」

「……うん。悠人もどきどきしてくれるなら、嬉しい」


 俺にとって月乃は、ついお世話をしたくなるような妹みたいな存在だった。感情表現が下手で、自由気ままで、目を離せば何処か遠くに行ってしまいそうな、そんな女の子。


 だけど、小さな頃からの付き合いだっていうのに。幼馴染って関係から一歩離れて、初めて見えた姿がある。

 たとえば、一度恋をしたらどこまでも一途だったりとか。

 たとえば、好きな異性に対しては無邪気なくらいに甘えたりとか。


 まるで、日向とは逆だ。家族になって初めて日向の知らなかった内面を知るように、幼馴染をやめてから初めて月乃っていう少女を知り始めてる。


「悠人は明日、日向さんとデートをするんだよね。日向さんへの初恋に区切りをつけて、ちゃんと家族として一緒にいられるように」


 不安そうに、月乃は呟いた。


「でも、大丈夫? 悠人は本当に、自分の気持ちを忘れられるの? ……日向さんとデートをして、今まで以上に好きになったりしない?」

「……それは、分からない。もしかしたら、そうなる可能性だってあるかも」


 月乃が心配するのも無理はない。一日だけ、同級生だったあの頃に戻って日向と二人きりで遊ぶのだ。あるいはそれは、失恋の傷口をいたずらに広げるだけの行為かもしれない。

 ……だけど。


「それでも、日向のために何かしなくちゃいけないってことだけは、分かるから。これが俺の最善だって信じてる。自分の気持ちにケリをつけないと、これからも日向と暮らしていくなんて無理だから」

「……もしも、だよ? もし明日、悠人が日向さんと同じ時間を過ごして、やっぱり日向さんが好きだーって気持ちに嘘がつけなくなったら」


 寄り添うように、月乃が俺の腕をぎゅっと抱く。


「その時は、今までみたいな幼馴染に戻るから。もう悠人を好きだなんて言わないから。悠人は安心して日向さんとデートしていいよ?」

「……月乃?」

「誰かに諦めろって言われても、自分の感情を無かったことになんて出来ないもん。悠人の気持ちは痛いくらい分かるつもり。……わたしも、悠人の気持ちを忘れようとしてたから」


 耳に痛いくらいのわずかな沈黙の後、部屋に月乃の声音が響く。


「悠人の幼馴染から恋人になりたいって思って、だけど悠人は日向さんが好きなんだって気づいて。胸が苦しくて自分の気持ちを見ないフリしてたけど、やっぱりダメだった――だって、ずっと前から好きだったから」


 儚げな月乃の言葉に、俺は相槌一つ打てない。

 絶対に、この言葉は受け止めなければならない。そんな気がしたから。


「だから、もし悠人が日向さんを好きなままでも、私は何も言わないよ? もしかしたら悠人が好きなままかもしれないけど、絶対に秘密にするから。その時は、今までみたいにただの幼馴染でいて欲しい。……どうかな」

「――――」


 それはあまりにも誠実で、そして健気な言葉で……俺は覚悟を持って、月乃に振り向くように体勢を変える。

 吐息がかかりそうなくらい近い、月乃との距離。

 月乃もまた俺を見つめていて、その顔には微笑みが浮かんでいた。


「どうしたの? 恥ずかしそうにしてたのに、突然こっちを向いて」

「……何か、月乃の表情を見たくなったから」


 こんな優しい顔をしてたのか。

 強がりだとか、見栄だとかじゃなくて。ただ俺を心配させたくなくて、こんな笑顔で日向が好きなままでも構わないなんて言ったのか。

 だとしたら、俺は――その決意に向き合わなければ、幼馴染でいる資格さえない。


「約束させてくれ。日向とのデートが終わったら、誰よりも先に月乃に会いに行く。その時は……ずっと先延ばしにしてた、告白の返事を聞いてくれるか?」


 月乃の綺麗な瞳を見つめたまま、言葉を紡ぐ。


「日向の初恋が忘れられるか俺にも分からないけど、月乃には俺の本心を知って欲しいから。日向との関係も、それに月乃との関係も俺なりの答えを出すから」

「……うん。待ってる」


 そして、月乃はもう一度優し気な笑顔を浮かべて……ふと、思う。

 まったく、月乃が月の天使だなんて、槍原もよく言ったものだ。

 カーテンの隙間から零れる、淡い月明かりに照らされた月乃の笑顔は、本物の天使のように可憐だった。

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