第28話 同居/ちょっとしたハプニング/お世話係ですから

 日向とデートの約束をした日の前日である、土曜日。

 朝食もまだ食べていない早朝に、俺は月乃の『お願い』を叶えるために、月乃のマンションの部屋の前で一度だけ深呼吸をした。

 一日だけ、悠人と二人暮らしがしたい。

 それが、月乃が俺と日向に口にしたお願いだった。


『一日だけ、悠人と日向さんは別々の家で過ごして欲しいの。そっちの方が、きっと楽しいデートになると思うから』

『楽しいデート……?』


 俺と日向が首を傾げると、月乃は、


『悠人は日向さんと、同級生としてデートがしたいんだよね? だったら、デートの前日は一緒に過ごさない方が良いと思う。好きな人と同じ時間を過ごすことにどきどきするのが、デートだから』


 呆気に取られる俺たちに、月乃は口にする。


『同級生として最初で最後のデートでしょ? だったら、最高のデートにしないと』


 言葉なんて、出てこなかった。

 一つだけどんなお願いでも叶えるって約束したのに、月乃は自分ではなく俺たちのために使った? 月乃は俺のことが好きなはずなのに。


 そっか、そうだったな。

 月乃っていう俺の幼馴染は――それくらい優しい女の子、なんだよな。


『……月乃、ちゃん』


 やがて、日向は口元に笑みを浮かべながら、


『私たちのために、ありがと。このお礼はいつか絶対にするから。悠人君のこと、よろしくね』

『うん、分かった。でも、感謝なんて別にいいよ? 悠人と日向さんのためなのは事実だけど、わたしにもメリットはあるから』


 そして月乃は、はにかむような笑みを俺に向ける。


『悠人と二人暮らしするの、楽しみ。……ほんとは、ずっと前から憧れてたんだ』


 ――それが、今から数日前の出来事だ。

 月乃の家に泊まるなんて初めてってわけでもないのに、それでもどこか緊張している自分がいる。

 それはやっぱり、俺に告白をした女の子と一日を過ごすから、だろうか。


 ……い、いや、だから何だっていうんだ。意識しすぎだろ、俺。

 いつもみたいに鍵を開けて、家に上がる。あえてインターフォンは押さなかった。今日だけは二人暮らしなのだ、わざわざ呼び鈴を鳴らす同居人なんていない。

 どうせ月乃はまた寝てるんだろう。今のうちに朝食の準備でも――そう、リビングに上がった時だ。


 バスタオルで髪を拭く下着姿の月乃が、そこにいた。

 俺も、それに月乃も。呆気に取られたように、ぽかんとするばかり。

 窓から零れる朝陽に照らされた、月乃の身体。新雪を思わせるくらい肌は綺麗で、見惚れてしまうくらい華奢だった。なんか下着に見覚えがあるなって思ったら、そういえばこの前、月乃の服を洗濯した時に似たようなのがあった気が――。


 俺が我に返ったのは、そんな時だ。


「なっ――す、すまんっ!」


 慌てて回れ右をする。

 と、背中越しに、くす、と月乃の楽し気な笑い声。


「悠人、照れてるの? ……そっか、わたしの下着姿を見ちゃったから、なんだ」

「……月乃?」

「別に、見たかったら好きにすればいいのに。悠人なら全然良いよ?」

「……そんなの出来るわけないだろ。月乃は女の子なんだから」

「だけど、悠人の幼馴染だよ? 一緒にお風呂に入ったこともあるのに」

「幼稚園児の頃のことなんかノーカンだっ!」


 なんつー記憶を思い出させるんだよ……。


「でも、悠人が恥ずかしがってくれてほっとした。わたしの下着姿で慌てるってことは、わたしのこと異性として見てくれてる、ってことだもんね」

「……するだろ、それは。俺に告白してくれた女の子、なんだから」

「ん、そっか。良かった」

「っていうか、まさか月乃がこんな朝早くに起きてるなんて思ってなかったんだよ。いつもは俺が月乃を起こす役目なのに」

「緊張して、いつもより早く起きちゃったんだ。……今日は、悠人と二人暮らしをする特別な日だから。少しでも早く悠人に会いたい、って思っちゃって」

「……そ、そっか」


 可愛いとこあるんだな、って思ってしまったのは内緒だ。


「じゃあ、着替えてくるからちょっと待っててね」


 月乃が立ち去って、ようやく俺は一息つけた。

 けど、さっきの光景が頭に焼き付いてなかなか消えない。月乃の下着姿を見るなんて、いつ以来だろう。ずっと一緒にいたから気づかなかったけど、月乃も色んなとこが成長してるんだな……。


 ……もし俺と月乃が純粋な幼馴染同士なら、俺は普段通りでいられたのかな。

 そんなこと思いながら朝食の準備を終えると、月乃が部屋から現れる。いつものぶかぶかなセーターじゃなくて、お洒落でカジュアルな服装だった。


「美味しそうな朝食だね」

「今日は休日だし、ちょっとだけ頑張って作ってみた。これでも、日向には全然及ばないけどな」

「ううん、十分。これなら悠人は立派なお嫁さんになれるね」


 立派な旦那さんになれるね、の聞き間違いであったと信じたい。


「この朝飯を食べたらだけどさ、月乃は何処か行きたい場所とかあるか? 今日はずっと一緒にいるわけだし、いつもと違うとこに行くのも悪くないと思うんだけど」

「それも楽しそうだけど、止めておこうかな」


 朝食を進めながら、月乃が頬を緩めた。


「せっかくの悠人との二人暮らしだもん。何でもない一日みたいに、悠人と過ごしてみたい。悠人は、嫌?」

「……いや、そんなことない。月乃と同居なんて初めてだもんな」


 なら、やることは決まりだ。

 俺は気合を入れるように腕を組む。


「じゃあ、今日は一日、月乃のために思う存分家事をしようかな。掃除に洗濯に料理に、しなきゃいけないことはたくさんあるし」

「わたしは嬉しいけど、悠人はいいの? 今日はせっかくの休日なのに」

「……? こんなに有意義な時間の使い方なんてないだろ、俺は月乃のお世話係なんだから」


 さて、まずは大掃除からだ。

 月乃が普段使わないであろう掃除機を引っ張り出し、隅から隅まで埃を取る。一番大変だったのは月乃の部屋だ。学校では月の天使なんて言われてるけど、基本月乃は生活能力が皆無だから掃除なんてしない。俺がいないとすぐ散らかってしまうのだ。

 小一時間もすると、ビフォーアフターみたいな光景に「おー、ぴかぴか」と月乃が表情を輝かせていた。


 さて、次は洗濯だ。

 衣類はもちろん、布団のシーツや枕カバーや数日分溜まったバスタオルを洗濯機に突っ込む。普段は月乃の洗濯物を畳んだりするけど、これだけ大量の洗濯物は久々だ。

 俺が家事をしていると、月乃がぽつりと口にした。


「悠人って、日向さんと暮らしてからもこんな生活をしてるの?」

「いや、むしろ逆だな。俺の家の家事はほとんど日向にしてもらってるよ。日向って他人の世話が好きだからさ、分担しようって提案しても聞かないんだ」

「そうなんだ。でも、そっちの方が良いかも。悠人ってあんまり家事が好きじゃないから」


 その通り、俺は別に好きで家事をやってるわけじゃない。必要最低限の生活能力さえあれば十分で、出来るだけ手を抜いて生きていたいって思うタイプだ。

 ……あくまで自分の生活範囲では、だけど。


「まあ、俺がこうして家事をしてるのは月乃が喜んでくれるから、だからな」

「悠人って優しいね。そのせいで、わたしは駄目人間になったんだよ?」


 自覚あったのか……。まあ、それも良いかなって今は思えるけど。

 月乃が思う存分甘えてくれたから、俺は彼女のお世話係になれたんだから。

 と、そこで月乃はくすぐったそうに笑うと、


「多分、悠人って結婚してもこんな風にお嫁さんのお世話をするんだろうね。悠人、きっと立派な旦那さんになれるよ?」


 ……今のは聞き間違いじゃなかっただろうけど、聞こえなかったふりをしよう、うん。

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