第29話 夕食/月乃リトライ/変わりゆく心

 そんな風に午前中は主に家事をして、午後は近所のファミレスで昼食を済ました後、家でのんびりと過ごした。


 何の変哲もない休日の過ごし方。月乃は退屈じゃないかなと気を遣いそうにもなったけど、いつもより機嫌の良さそうな月乃を見ているとそんな不安も消えた。

 夕食時になって、俺はソファから腰をあげると、


「そろそろ飯にするか。月乃、今日は何が食べたい?」

「ううん、悠人はゆっくりしてて。今日はわたしが、悠人に夕飯を作りたいんだ」

「えっ……月乃が料理を!?」

「うん。悠人と一日過ごすって約束した時から、決めてたんだ。料理の師匠である悠人にご飯を食べてもらおうって」

「でも、いいのか? 今日一日は月乃のお世話係をするつもりだったのに」

「だから、だよ? 悠人にはとっても感謝してるから、そのお礼がしたい。わたしの料理なんかで良かったら、だけど」

「そんなの楽しみに決まってるだろ。だって、月乃の料理なんだから」


 ……まあ、本音を言うとちょっと心配ではあるけど。

 今まで月乃の晩飯は俺が作っていたし、月乃自身が料理する機会なんてあまり無かっただろう。そうでなくても月乃が作れる料理ってミートソースパスタだし、変なアレンジを足す可能性はある。


「だから、悠人はお父さんの部屋で待っててくれる? 今日は悠人の手は借りずに、一人で作った料理を食べて欲しいんだ」

「一人で……? で、でも、料理中に月乃が怪我するかもしれないし。ここで見守るだけでも……」

「だめ。悠人のことだもん、心配して手を貸しちゃうでしょ?」


 うん、ごもっとも。やっぱり俺のことをよく理解してる。

 大人しく月乃の父親に部屋に移動し、スマホで適当に時間を潰すこと三〇分ほど。

 月乃に呼ばれ食卓に座った俺は、テーブルに置かれた白ご飯に目を丸くした。


「もしかして、白ご飯をメインに夕飯を食べるのか……?」

「そうだけど、そんなにおかしい?」

「だって、月乃ってミートソーススパしか作れないだろ? パスタをおかずに白ご飯を食べるのは、炭水化物を摂取し過ぎのような……」

「……やっぱり、悠人はわたしがパスタしか作れないって思ってるんだ?」


 ぽかんとする俺に、月乃は少しだけ自慢げに料理を運んでくる。

 その料理は、明らかにミートソースのパスタではなくて。

 俺が初めて食べた、月乃の料理。


「……肉じゃが?」

「頑張って勉強したんだ。この料理で、悠人に美味しいって褒めて欲しかったから」


 驚いた、なんてもんじゃない。

 目の前にある出来立ての肉じゃがは、とても美味しそうだった。料理レシピの見本として飾られてても違和感がないくらいだ。


「食べてみて? 心配しなくてもいいよ、苺ジャムは使ってないから」


 ゆっくりと、料理を口の中に入れて……食べた瞬間、思わず感嘆の溜め息が零れた。

 初めて食べた肉じゃがとは、まるで別物だ。


 煮崩れしておらず、ほくほくと食べ心地の良いじゃがいも。食材には和風の味付けが染み込んでいて、すぐに白米が欲しくなるくらいだ。

 これを、一ヶ月前に料理を始めたような初心者が作ったのか?

 月乃は、そわそわと落ち着かないように俺と料理を交互に見ながら、


「どうかな。……感想、聞かせて?」

「……すごく美味しい。これを月乃が作ったのかって、感動してるくらい」

「ほんとに? やった」


 褒められたのが嬉しくて仕方ないって風に、ぱっと月乃の顔が明るくなる。


「でも、いつの間に料理なんてしてたんだよ。夕食なら、ほとんど毎日俺が作ってたのに」

「悠人に告白したあの日から、夜中にこっそり勉強してたんだ。そのせいで、最近はいつもより夜更かししちゃったけど。悠人、気づかなかったでしょ?」


 そういえば、少し前に月乃が公園でニアと一緒にいる時、やけに眠そうにしていた。

 あれは、夜遅くまで料理の練習をしてたから、なのか。


「あと、お弁当に肉じゃがを持って行って、槍水さんとか生徒会のみんなに食べてもらってたんだよ? どうしたらもっと美味しくなるか、協力してもらってたんだ」

「知らなかった……。月乃、そんなに真剣に料理をしてたのか」

「……悠人に認めて欲しかったから。幼馴染じゃなくて、一人の女の子として」


 思わず、月乃に振り向いた。


「日向さんって、とっても料理が上手でしょ? 少しは料理が出来るようになったら、ちょっとは悠人の気持ちも揺れるかなって思って。……頑張って良かった。悠人から、美味しい、って最高の言葉をもらえたから」


 俺に、振り向いて欲しいから。ただそれだけのために、包丁を握ることさえ怖がっていた月乃が、こんなに努力したのか。

 月乃は、俺の初恋がまだ終わってないって知っていたのに。


 胸の奥から、熱い何かが込み上げてくるのが分かる。それはきっと激情とか、あるいは愛しさと呼ばれるものだ。

 いつだって俺の近くにいた月乃って少女は――こんなに、一途だったんだ。


「……もし料理が上手な女の子がいたとして。俺がその娘を好きになるかは、俺にも分からない。俺が好きになった日向って女の子は、料理が上手だった。それだけのことだから」


 月乃は、何も言わない。小さく笑いながら俺を見つめるだけ。

 ぎゅっ、と。拳を硬く握る。


「でも、ここまで頑張れるくらい純粋な女の子を、嫌いになんてなれるはずない。……その、ありがと」

「……もしかして、悠人照れてる?」

「わ、悪いかよ。俺のためだけに料理を作ってくれる女の子なんて、月乃くらいなんだから。日向もそうだけど、あれは家族だから作ってくれるわけだし……」

「ふーん。……女の子、かあ」


 月乃は、くす、と笑みを零すと、


「肉じゃが、冷めちゃうよ? 早く一緒に食べよ」

「……おう」


 あれだけ美味しかった肉じゃがの味が、今はいまいち分からない。

 それくらい、俺は緊張しているんだろうな。


 不思議だった。

 小さな頃から月乃が近くにいるのは当たり前で。今までも、そしてこれからもその関係が続くって思っていた。

 なのに、たった今。こんなにも俺の心は落ち着かない。


「悠人と一緒にいたから、かな。何だか、あっという間に一日が過ぎちゃうね。……明日は日向さんとデートだよね? 準備は大丈夫?」

「……一応、色々考えてる。同級生として日向と二人で出掛けるなんて、初めてだし」

「そっか。じゃあ、今日はあんまり夜遅くまで起きてられないね」


 気のせいだろうか、そう口にする月乃は寂しげに見えた。


「ねえ、最後にお願いがあるんだけど、いい?」

「それって、幼馴染としてか?」

「小夜月乃っていう、一人の女の子として。悠人は、わたしのお願いなら出来るだけ叶えたい、って約束してくれたから。だからこそ、お願い出来ること」


 そして、月乃はどこか恥ずかしそうに、しかし甘えるように口にする。


「今夜は、悠人と一緒に寝てみたい。……だめ?」

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