第10話「幻視」

 急いで魔王さまの元へ向かう。

 道中には城で働く魔族たちが一様に腰を抜かし、倒れ込んでいる。


「ほ、本当に大丈夫なの?」


 不安気にユニに確認するけど、


「さぁな。まぁ、なんとかするさ」


 という軽い返事で不安しかない。

 この勇者の強さを疑うわけじゃないけど、魔王さまともし戦いにでもなったら……。

 魔王さまもパジャマだと思うけど、こっちもエプロンだ。

 それに人間と魔族じゃあ体の強さが全然違う。人間はそれを防具で補なってようやく互角だというのに。

 今回はめちゃくちゃ不利よね。

 いや、魔王さまが負けたら負けたで、魔王軍としてはめちゃくちゃマズイわよね。


 え? これってどっちが勝っても詰んでない。


 あ~、わたしの人生ここまでかもしれない~~!!


 そんな事を考えていると、魔王さまの寝室についてしまった。


「行くぞ」


 躊躇なくユニは扉に手をかけて開く。


「シルバーさん、どうしました?」


 その声音はとても優しかったが、


「ユニ、ダメよ!! 魔王さまは詠唱中よ」


 あの詠唱は火焔魔法インフェルノ!? そんなのここで発動したら部屋一面どころか魔王城自体火の海になっちゃう。

 止めなきゃっ!!


 最低限、口元を叩けば詠唱は止まるはず。そうすれば威力は落ちると思うけど……、たぶんわたしは敵と見なされるわよね。でも、側近たるわたしには魔王城のみんなを魔王さまに殺させない責務があるわ!


 足に力を入れ、刹那で魔王さまに接近すると、口元目掛け蹴りを繰り出したはずだった。

 しかし、膝のところに手が当てられ阻止される。


「えっ? ユニ?」


 さらにユニのもう片方の手は、魔王さまに向けられて、魔王さまの手の上にそっと添えられている。


「シルバーさん、どうしました?」


「ん? お主は確か……」


「ええ、今日から来たユニです。で、どうかしたのですか?」


「うむ、そうじゃ、そうじゃ、そこの壁に曲者がおるのじゃ!」


 魔王さまはユニの会話に乗り、詠唱も、それどころか魔法の発動もキャンセルしている。

 そんな魔王さまが差す壁は今日全力で大工さんが直してくれたところだ。

 石壁がまだ若干乾いていないのかところどころ色が変わっている。


「そこに何かいるんですか? えっと、この辺りですか?」


 ユニは大きく手を振りながら、魔王さまが示す場所を歩き回る。

 ど、どうしたのかしら、急に壊れたゴーレムみたいな動きをして。大丈夫なのよね?

 不安に苛まれていたけれど、


「むぅ、消えたのだ。なるほど、どうやら余に恐れをなして逃げたようじゃの!」


 えっ!? えっ!? えっ!? どういうこと?

 昨日は壁をぶっ壊すまで止まらなかったのに!!


 おろおろと魔王さまとユニを交互に見比べるわたしを尻目に、魔王さまはベッドへ。ユニも付き添って布団をかけてあげているわ。


「さてと、あとはこの壁をちゃんと乾燥させておくか」


 ユニは火と風の複合魔法で暖かい風を発生させ、壁を乾かしていく。


「とりあえず、これでしばらくは大丈夫だろう。シルバーさんもおやすみのようだし、一度部屋を出るぞ」


                 ※


 わたしとユニが部屋を出ると、ユニに空き部屋へ連行される。

 もはやすっかりこの空き部屋はわたしたちのオフィスと化しているわね。というか正式にオフィスになるよう申請した方がいいわね。


 そんな事を考えていると、ガンッ!! と衝撃が頭から足へと通り抜ける。


「痛ったいっ!! ちょっ!? 何するのよ!!」


「バカやろ!! どんなときでも暴力はダメだろ!!」


「えぇーーっ! いま、これが暴力じゃない? 弱い魔族なら死ぬレベルのチョップだったわよ!!」


「俺が言っているのは、介護する相手に対してだ」


「でも、あの場面は仕方なかったじゃない。魔王さま、魔法を使おうとしていたのよ!」


「ケアラの考えはわかる。みんなを守ろうとしての行動だっていうのはすごく分かる。だけど、それで魔王とお前の関係性が悪くなったら、誰が魔王を介護するんだ?    

あのメイドさんか? それとも俺か? 俺はタダ働きはしないぞ」


 メイドさんに任せたらすぐ死んでしまうかも。それに、そうよ、この勇者はわたしからのクエストだから介護をしてくれているんだ。わたしが居なくなったら、それこそ魔王軍は終わりなのかもしれない……。


 今更ながら、自分の浅慮な行動に寒気を覚える。


「俺は介護される側のことを考えるのも重要だと思うが、介護する側の方がもっと重要だと思っている。正しいことではないかもしれないが、俺の心は常にケアラの味方だ。例えお前が、動いて破壊ばかりする魔王にイラついて、ローキックで足の一本でも折って大人しくさせたいと思っても、お前の味方だ」


「いやいや、そんなことしないし!!」


「まぁ、今回みたいに止めはするけどな」


「いや、だからしないってば!!」


 いつの間にかわたしの顔は笑顔になっていた。

 むぅ、さっきから、この男は、わたしが震えるような事態になると自然と助けてくるわね。べ、別に仕事だからやっているのよね! わたしの事が好きだとかそういう低俗な勘違いなんかしないんだからね!!


「ところで、なんで急に見えない敵がいなくなったの?」


 わたしは話題を変え、魔王さまへの対応の話に移る。


「ああ、あれは認知症の症状の1つで、見えないものを見てしまう幻視もしくは見間違いの錯視だな」


「要するに幻術みたいなものかしら?」


「その認識で問題ないな。ただし、幻術と違って、術者もいないし、そもそも魔法とか薬ですらないからな」


「でも、幻術と一緒でさっきユニがなんかしたみたいに解き方はあるんでしょ?」


「ああ、1つは、幻視や錯視を否定しないということだ。これはさっきの食事でもそうだが、否定されると認知症が進む可能性もある」


「だから、やたら曖昧なことを言いながら対応していたのね」


「ああ、そして2つ目は、その見えた幻は、誰かが触れると消えることがほとんどなんだ」


「あっ! それで手を大きく振っていたのね。見えないものを触れようとして! 正直、ユニがおかしくなったのかと心配したわ」


「そして、最後にそもそもで錯視が起きるような状況にしないことだ。勘違いしそうな物を置いたり、壁の模様を消したりだな」


「それで、乾かしてたの?」


「ああ、色の違いで錯視しているといけないと思ってな」


「なるほどね。まず魔王さまを落ち着かせて、幻に触れればいいのね。うん、これならわたしでも対処できそうね!!」


「あとは俺たちも交代で休憩しつつ、魔王を見ていけば、当面はなんとかなるかな。だが、2人ではいずれ限界がくる。ケアラが慣れてきたら人員を増やしたいな」


「人員増強ね。う~ん、人員、何か忘れているような……」


 わたしが悩んでいると、不意に扉が開け放たれた。


「ちょっと、ケアラちゃん。私のこと忘れてない?」


「あっ、ミノンちゃんっ!!」


 そこに現れたのは牛頭の少女、ミノンちゃん。

 そうだ。わたしが居ない穴を埋めてもらっていたんだった!!


「約束はちゃんと覚えてるわよね!」


 うぅ、怒りのあまり角が見えるって、ミノンちゃんは常時角あるんだった。ってそうじゃなくて、約束よね。そっちはもちろん覚えているわよ!


「ユニ、人員補充の前にもう一人見て欲しいのよね」


 に、にこぉ~と下卑た笑みを浮かべて、ユニに新たな介護をお願いするのだった。

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