セイクリッドの海

水原麻以

セイクリッドの海

「俺のガソリン車はどこだ?」

アルコールランプの列が燃える街の灯となっている。ここはさっきまでコインパーキングだった。

代わりに馬車が停まっており、触手が催促をしてきた。

冗談じゃない。金を払う前に私の車を返してくれ。あれにはプレゼン資料が積んである。もちろん社外秘だ。

俺はポケットをまさぐった。スマホの代わりに黄金が出て来た。アルファベットじゃない刻印のコイン。

こんなものテレホンカードより役に立たない。ふたたび触手が肩を叩く。

「うるせえな!これ何のドッキリだよ。忙しいんだよ。謝罪と賠償なんか要らん。私の車かディレクターを出せ!」

すると触手がボワッと煙に巻かれた。かわりに如何にもなミニスカートの女が現れた。

「お前が正体か!」

「見ればわかる。魔女と使い魔」

「うわ。コーモリが喋った!」

俺は派手に仰け反った。魔女は無言で五月雨に光る太陽を指した。


「これはどういうつもりだ。しょうもないコスプレで俺の仕事を邪魔せんでくれ」

俺が怒鳴ると首をカクカクと振る。

そのぎこちない動作に違和感を抱いた。ははあ、さては遠隔操作で撮ってやがるな。

「お前は『ご当地グルメ自慢ちょっと寄っていきなさい』の飯食っ虎か!」

芸人が感染予防のためにドローンで名店を聞いて回る番組があるのだ。

誰何するが返事はない。どうやら違う番組のようだ。

しかしドッキリにしてはえらくカネがかかっている。

ドローンにしては精巧すぎる蝙蝠が言った。

「私はお前と同じ立場だ」

「どういう意味?」

「魔女は私の助手として働いているんだ。君の車と一緒だ。」

俺はあらためて彼女を眺めた。フェロモンがただよう。こいつは本物だ。

「ひ弱な女に頼るなんて。」

「何を言うか、彼女は私より優秀だぞ。」

「どういうこと?」

「この女は私が厳選した人材だ。不平不満を言わずよく働く」

「お前と助手の労使関係なんかどうでもいい。車を返せ」

俺には蝙蝠ドローンの向こう側と会話する暇はない。それでなくても昼食時間が終わりかけている。

蝙蝠は一方的にしゃべり続ける。

「お前は車と関係を築けているのか。道具は道具を使いこなせない。主観を欠くからだ。意味は分かるな?」

言いくるめられていると理解したが、俺は彼女の真意を図りかねた。

「俺はどっちかというと、人間だ。だから何だ?」

「どういう意味?」

「君の助手は本人の意思で契約したんだろ。」

「まさに。それはその通り。助手には責任感が必要だ。」

「車の責任者は俺だが、マイカーに意思はない。お前のは奴隷契約じゃないか。どうしてそんなことをする?」

「彼女は重大な規約違反をしたのだ。だから有利な契約条件は破棄される。どうしようもない」

「どういう意味?」

「ここは私の別荘だ。誰にも見えない、彼女は秘密を暴こうとした。だか、私が本当の姿を誰にも見せる気がない、だから契約を破棄だ」

屋敷なんてどこにもないじゃないか。ああ、敷地内という意味か。それはともかく、彼女を守秘義務違反で解雇すればいいだろう。奴隷的拘束なんて懲戒権の乱用だ。

だいたい彼女も彼女だ。俺は面と向かって言ってやった。

「何ということか。お前は優秀な魔女なんだろ?パワハラ上司なんかやっつけろ!」

「私は人間だ。」

魔女の口調は少し柔らかかった。

しかし、奴隷の彼女は感情を一切持たない。

「そうか、わかった。」

蝙蝠は満足げに笑った。

「お前はピンチヒロインを助けにきたのか」

「何だ、知っていたのか?」

俺は驚いた。身に覚えのない台詞がスラスラ出てくる。

まあ、いい。そういう設定なら渡りに船だ。彼女を助ける口実になる。俺は話を合わせることにした。

「教える前にばれていたのか。」

蝙蝠は狼狽している。

「そうだ。」

俺も屋敷の秘密をあらかじめ知っていたことにする。

「何だと!」

蝙蝠は驚いた末にこういった。

「君も大変だな。」

お前も。

「しかし、知っていながら、というなら、何だ?

この女が嘘を吐くとでも?」

「それは分からないよ」

蝙蝠はあくまで穏やかだった。

彼女にとって、魔女の行動は簡単に予測できたことだろう。

だが、それでもまだ彼女から何か言うことは不可能だった。

俺は彼女を説得した。

「魔女の契約に違反した者は破棄される。

だが魔女を信じているのは、君たちと私だけだ。仲間内でバレたところで何の関係もない。

君たちが嘘を言っているとも知らない。

だから教えてやる義理はない。」

俺は蝙蝠に言ってやった。

「契約違反したのはお前だ」

「そうやって誤魔化そうとする。

私はこれから君との契約関係を解除させてもらうよ」

蝙蝠め。またおかしなことを言ってやがる。

「はぁ? 契約って何だよ。お前としたおぼえはないぞ。お前、壊れたのか?」

「お前が踏み入った時点で契約に同意したとみなされる」

「勝手な事をぬかしやがって!」

俺の怒りは蝙蝠に届かないようだ。

「これだけは約束だ、君を離さない。

お願いだから、ここは一つ、黙って話を聞いてくれないか」

魔女の指が白熱している。光線が出そうな勢いだ。

しかたない。蝙蝠の話を聞くことにした。

「ここは私の別荘だ。

君たちも私も、この国で魔女として生きていかなければならない。

だから、これだけは約束する」

あっという間に俺の姿は女になった。背広はドレスに変化し、背中に長い髪が広がる。腰は括れて出る部分は出ている。

「えっ、ちょっとマジかよ!」

カラオケでボイスチェンジャーを使うより色っぽい声になる。

設定変わり過ぎだろ。

「そういえば、お前の名は何だ?」

「私の名はコウだ。

コウ・ザメだ。」

どこの国の女だ。

「他人を拉致って勝手に性転換したり奴隷にしたりお前は身勝手な魔女だな」

「そうか。そこの女も、お前が不法侵入したことに驚いていた」

「ここに来るまで何も知らなかった。いやはや、まさかピンチヒロインを助けに来たことにされたあげく、性転換までするとはな!」

魔女の瞳に美人が映っている。俺もまんざらじゃないな。思わず身をくねった。

「お前に何か隠しているんじゃないのか?いやどうも、様子がおかしい。言動も実際に俺の周囲に起きている現象もご都合主義っぽい。ひょっとしてお前もこの屋敷とやらのトラップに嵌まったんじゃないか。正直に言ってみてくれ」

俺の問いにコウは黙って頭を抱えていた。

「お前、本当は魔法のこと何も知らないんだろ。本当に魔女かよ」

「そうだ嘘だ。

確かに私は魔法や呪術のことを何も知らない。

だから知らない魔術のことも知らない。そういうことだ。、私はしたことがない。

君たちの魔術を私の力では止められないのだ。

君たちが私にどうしてほしいかは、私は知らない。

でも、だからこそ教えてほしい。私はこれから君たちを見ていない。

だから君たちが何を知っていたのかを」

「いや、俺に訊かれても困る」

コウの話によれば、俺たちは結局わけのわからないトラップに嵌まっているということだ。

奴隷にされてる彼女もそうだろう。


その後でコウが俺と目を合わせて続きを話し始めた。

「君も知らないはずさ。

君は私と呼ばれていた。しかし私たちは何も知らないということが明白なんだ。」

「俺は何も知らないんだよ」

「違う、君は知らないのではない。君自身しか知らない何かがあるんだ。だからここに来て、自分を探しているんだ。私を呼んだのも君だ」

この言い方だと、まるで俺がコウのようだなと俺は思った。

「お前は魔女だろそういうことは自分で何とかしろ。つうか、このスースーする服は何なんだ? 俺は俺じゃなくなった。」

「君は君だよ。私は君だ。それを知っておきたまえ」


君が俺で、俺が君で…無限ループじゃないか。

人はそれを自問自答という。

あるいは、独りよがり、もしくは自己撞着。


堂々巡りしているうちに俺はオフィスのフロアを走り回っていた。女子はトイレが近くて困る。そして女子トイレはもっと遠い。

「コウさん!」

営業課長のデスクに着くなり叱られた。

「セイクリッドの海へ行きましたね?」

俺はとぼけた。「ええっ、昼休みは勤務時間外ですよ。自由行動じゃないですか」

しかし、彼女は反論した。「いいえ。就業規則で定めた休憩時間です」

つまり、会社の支配下にある。

「ええっ、車で昼飯を食いに行っただけよ。しかしあすこのパーキングに別荘があったなんて」

大仰にボケて見せるが大根芝居がバレた。

「正直に覚醒したと申告していれば尋問する必要はなかったのですが」

営業部長は引き出しから蝙蝠を取り出した。

俺はしまったと思ったが後の祭りだ。

「これはなぁに?」

ドン、と愛読書を置かれては「うぐぅ」と唸るしかない。

『セイクリッドの海~パワハラ三昧で俺は過労死しかけたのでどうせ自分を殺していきるなら身も心も捧げて魔女になっちゃいます、ていうかなりたいな読本』

営業部長は両腰に手を当ててお説教をはじめた。

「あのね、コウさん。こーいう本の流行を会社が知らないとでも思いましたか? 魔女になりたいならなりたいと言ってくれれば、冒険者ギルド株式会社としてもそれなりの転職コースを用意ます。だけど抜け駆けは許しません。今からあなたは契約冒険者でなく奴隷になってもらいます」


トホホ、どうしてこうなった。






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セイクリッドの海 水原麻以 @maimizuhara

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