第2話 お忍びの舞踏会


 広々と長い大広間に、金と銀の華々しい雨が降る。


 黄金の布地に、鮮やかに染色したとりどりの刺繍糸で絵画を織り上げた豪奢なタペストリー。複雑な千花模様ミルフルールで満たした表面には立体的に織り出された人物らが踊り合っていたり会食していたりと、この場に合った図柄を採用しており、眺める者に実際の間取り以上の奥行きを感じさせる。金メッキを施した掛け竿の上部には、上辺を丸く型取りした採光窓がびっしりと四方を覆い、幾千いくせんと灯るシャンデリアのを受けた反射光が人々の頭上高く降り注ぐ。さらに首をらすと見事な天井画が視界いっぱいを独占した。葡萄の房の彫り細工をした、額縁のような銀色の枠に様々な場面の絵が描かれている。青空の中、天使が飛ぶ絵。静謐な教会の祭壇で祈る人。多くは宗教画に分類される図像ずぞうであった。

 絵と絵の合間を縫うごとく吊るされたシャンデリアが煌々こうこうと燃え立ち、タペストリーに縫い込まれた純度の高い宝石がそれぞれの色彩をきらきらと澄み渡らせる。


 『豪華絢爛』を惜しみなく実現させた空間に負けじと着飾るは、今宵の招待客の面々。老いも若きも隔てなく、女たちは煌びやかなドレスをまとい、露出した肌を宝飾品で思わせぶりに隠す。男たちも本来ならば堅苦しい装いをするところを、この夜はいささか奇抜な衣装で参席していた。

 とりわけ奇妙なことに、慎ましく動き回る使用人を省き、会場内の誰しもが顔の半分を仮面の裏に秘めている。ある者は舞台役者のように髪型や服装を派手にし、本来の人物とはほど遠い別人になりきっていた。


 貴族社会のしがらみから解放され、一夜限りの道化と悦楽を貪る――――仮装舞踏会は開式早々から盛況をはくしていた。


 忍びやかな笑いのさざめきが高い天井に響く。厚ぼったい白粉や口紅の匂い、麝香鹿ムスクなどの動物性香料や薔薇などの草花、野性的な没薬ミルラといった植物性の香水が混じり合い、せ返るほど。外は真夜中に近づきつつある闇夜だというのに、大広間は真昼みたいに明るく生命力がみなぎっていた。


 男と女。入れ代わり立ち代わり相手を変え、時には1人、時には複数人と手を取り腕を組み、優雅に肌をぶつけて舞い踊る。まるで色調豊かに咲き誇る花々に留まっては蜜を吸い、飛んでいく気まぐれな蝶。客人たちの統一性のない自由気ままな服飾が極彩色の熱を生む。

 取り交わされる秋波しゅうは、どこか気だるげで淫靡な夜想曲ノクターン。ほの暗い色気がどこかしこにも立ち込める。


 これが、社交界。ルクレツィアは背筋に粟立あわだつものを感じた。


 乳母に背中を押され、興味本位で忍び込んではみたものの、場違いな気分が拭えず落ち着かない。ルクレツィアは漆黒の長い頭巾で覆った頭部に顔全体の造形をぼやかすしゃのベールを下げ、占い師みたいな衣装を着た己を、壁に立つ彫像の影に押し込んだ。目立ちたくない。誰の目にも触れられたくない。

 幸い地味な色合いの服が物陰に溶け込んでくれていて、宴に夢中な人々に発見されなさそうだ。か細い身体を彫像の台座にくっつけ、恍惚とした光景を観察する。


「――――あらま、お美しい。ねぇ貴方、ご覧になって。コンスエロ公爵夫人だわ」


 寒気すら覚える猫撫で声が付近にて上がった。つられて焦点をずらすと、会場奥の低い階段が連ねられた壇上に、きりりと細い人影が現れた。

 とても美しい女性だ。銀に艶めく黒檀こくたんの髪を結い上げ、短めの透かし縫いレースの下でまとめている。まつ毛の濃い藍の瞳。ほのかに微笑む紅い唇の膨らみ。細面の気品高い顔が移ろうたび、頭上のティアラが威光を放つ。

 コンスエロ公爵夫人。『社交界の女支配人』と名うての美女だ。今夜の仮装舞踏会の主催者でもある。蒼のドレスを飾っているせいか、みずみずしさを誇る肌は少し青ざめた透明感を通している。

 身に溢れる清楚さは、彼女の名である『白無垢ブランシュ』にぴったりだ。幼少の頃より現公爵の花嫁にと望まれた彼女は、『白雪姫』と呼ばれていたらしい。

 とはいえ公爵夫人は祖国テネーレの生まれではない。輿入れを機にテネーレに移り住んだ。コンスエロ公爵は少年の頃、さる海国かいこくに数年留学しており、その際世話になった現地貴族の令嬢が彼女だったのだ。大陸ではほとんど見受けられない、ごく黒に近い暗褐色の髪にふっくらと蠱惑的こわくてきな花唇の令嬢は少年をすっかり骨抜きにし、6年にわたる熱心な求愛の末に結ばれた。嫁いだ当初はこの王国、テネーレを含めた大陸の母国語が喋れず苦労したそうだが、今では何不自由なく流暢に会話を楽しんでいる。


「まああ! お変わりなくお美しいこと」

「あの方がいらっしゃるか、そうでないかで会場の印象も大違いですわね」


 嫌味や妬みからではない、本心からの賛美のため息がもたらされる。コンスエロ公爵夫人は教養豊かな才女としても有名で、彼女の催す宴なりサロンなりに招待されることは地 位ステイタスの獲得ともいわれている。そのため、彼女に心酔する者は数多い。


「ここだけのお話ですけれど。あたくしコンスエロ公爵夫人の夜会に呼ばれて以来、他の方の夜会には満足できなくて」

「そりゃあそうでしょうよ。――――あぁ、見て!」


 鳥の翼を形に採った仮面の令嬢が、興奮して公爵夫人の隣を指す。別場所への扉でも隠しているのだろう他のタペストリーの裏から若い男が出てき、公爵夫人に手を差し伸べたのだ。

 楽師たちの奏でる曲調が変わった。はくの速めな円舞曲ワルツへと。2人は寄り添って階段を下り、無数の注目など意に介さずステップを踏み始めた。


「ご令息だわ。あちらは公爵とそっくりだけれど、それでもお顔の造りは夫人に似ているわね。とてもお似合いだわ」


 観客の1人が漏らした感想の通り、2人は親子ながら似合いの一組だった。美の衰えぬ公爵夫人とその息子。神父服に身を包んだ公爵家の嫡男は、潔白に殉ずる役を担うには魅惑的すぎた。

 圧倒的な権勢を誇る一族の後継ぎらしく均整の取れた勇ましい筋骨と、シャンデリアの灯火が金に染める淡褐色の髪。自信に満ち溢れた顔つきは騎士服をまとうに相応しく、公爵夫人の血を感じずにはいられない。

 公爵夫人も。成人した息子がいるというのに、なんという若々しさだろう。


 ――――それに引き換え。


「あらあら。おべっか遣いは嫌ですこと。あの方はとてもお美しい方ですけれど、その血を1人にしか分け与えていらっしゃいませんのよ。きっと底意地の悪い方に違いありませんわ。ご自分の美しさをどなたにもお譲りしたくないと思っているのよ。産まれたのが男の子で安心なさっていることでしょう。自分と同じ、美しい娘なんて将来、|敵(かたき)になるでしょうからね。あたくしなど、惜しみなく娘たちに与えたというのに」


 妙に声高な非難が陶酔感を割った。聞き慣れた声音だ。ルクレツィアは嫌々、しかし多少の邪心にそそのかされて声の方向を探る。

 声の主はほどなく見つかった。脂の浮いたぷるんぷるんの馬面うまづらに、束ね方が甘くほつれた栗毛がべっとり貼りついている、大柄な女だ。柔らかい肉が二段になった首、跡形もなくなった鎖骨。金箔を張り巡らせたきらきらしいドレスが頑張って押さえつける、全体的にでっぷりした脂肪の塊。そういえば屋敷で身支度を整える最中、「今日は太陽の仮装よ!」と年甲斐もなくはしゃいでいた。


 黄金一色というただでさえ悪目立ちする格好なのに、常識外れの肥満体がそれに拍車をかけている。そんな女が王国きっての美女を悪し様に評価しようと、賛同する人間が出るはずもなく。

 女に居並んでいた、魔法使いじみた仮装の老人が口を開く。


「『量より質』と申しますぞ。ああ、いやはや。質と申しますれば夫人の……」


 わざとらしく間を置き、女のたわわな腹部とギチギチの袖を盗み見る。


「失礼。質がたっぷりでございましたな」


 白い髭に埋まった口元が、むふふ、と痙攣した。たちまち、女の形相が豹変する。

 蓄えられたお腹をたっぷん、たっぷんと揺らし、威嚇混じりに歯噛みする。面構えは赤らみ、鼻息は荒く、太った馬は猪へと謎の突然変異を遂げた。

 女は魔法使いに掴みかかろうとしたが、老人の方が一足早くひらりと離れ、何事もなかったように踊り子姿の佳人に言い寄っていった。――――円舞曲ワルツの響き渡る場内は、いつの間にか人々が素性の知れぬ人物と踊り交わす神秘的な舞台へ変じていた。取り残された肉塊の女だけが怒りと困惑で足踏みしている。


 とても滑稽だ。周囲は知らんふりを徹している。女の娘たちも。ルクレツィアは娘たちの居場所も探し当てた。痩せすぎてガリガリの姉は白鳥に着想を得た羽毛だらけのけばけばしい衣装、小太りが過ぎる妹は盛り上げた髪にシラサギの羽根をこれでもかと突き刺し、顔面には孔雀みたいな色の顔料を塗りたくっている。どちらも踊る異性を見つけてはいるが、決して逃がすまいと相手の腕をむんずと握っているあたりに必死さを感じる。


 華やかな場に参じたら嘲られるというのに、性懲りなく足を運ぶとは。

 良い気味。

 大声を立てて笑い転げたいのに、悔しい。

 噴き出す前にルクレツィアはうつむき、唇を思いっきり噛む。彼女の容貌と見事な金髪を覆うベールが、音なくれた。


 間もなく曲が途絶えた。男女は互いに一礼し、新たな曲が始まる前に別の者に舞踏を申し込む。

 あくせく歩き回る仮装者たちの行く末を見守るでもなく、ルクレツィアはふいと彼らに背を向けた。使用人の1人とて気取られぬよう、細心の注意を払って大広間の外へ急ぐ。


 帰らねば。


 もともと、義母から下された仮装舞踏会への『禁止命令』に逆らって、こっそり出席した身だ。バレてしまったら、どんな大目玉を喰らうか。

 現実と異世界を繋ぐ扉を開け、ルクレツィアは薄暗い回廊へ足を踏み出した。


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