異世界の門
亀の歩
エムの章
序
大昔の友人から何の前触れも無く連絡が来た場合、その内容は、たいてい、この三つだ。
宗教政治団体が催す集会へのお誘い、もしくは、投票の呼びかけ、
金の無心、
それか、訃報。
だけど、この日に来た連絡は、どれとも違っていた。
『エムが行方不明になったらしい』
エイチが電話の向こうで言った。エイチもエムも小学校から中学校まで俺の同級生だった。高校卒業後、退屈な地元のFラン大学へ無為に進学して腐り切っていた俺と浪人生に成り下がった奴ら二人は、暇を持て余して毎日のようにツルでいた。お互い学生の肩書が取れた後は、今日この日まで音信不通だった。
『エスは学校を出てから、ずっと地元にいるの?』
「でなきゃ、実家の電話口に出ないだろ」
『それも、そうだ』
「言わないとわからないのか。エイチは昔と変わらず馬鹿をやっているみたいだな」
エスが俺の名前になる。
エイチはしばらくの間、電話の向こうで笑った後、
『――あー、そっか、そっか。エスはずっと
「学校を出てから付き合いは一切無かった。エイチ、お前と同様に――いや、ちょっと、待てよ。エムは
『あー、エスは、やっぱり、知らなかったのか――』
エイチが俺に教えた。大学進学後のエムはおのぼり気分そのままの勢いで遊び回っているうち、同学年にいた悪い女に騙され大きな借金を作って、散々な目に遭ったらしい。学生ベンチャー起業絡みの詐欺に引っかかったとか何とかだった。
「エムは上京して一人暮らしを始めたとき、勧誘を断り切れなくて、郵便受けへ何種類も新聞を食わせていたヘタレだったからな――」
俺は呟いた。
『ああ、そう言われると、そうだったわ――』
エイチも呟くような返事をした。
俺たち三人が、それぞれ別の高校を卒業した直後だ。エイチは馬鹿だったから進学する先が日本全国のどこを探しても見つからず浪人生になった。受験に失敗したエムは都会にある何やらという大学へ、どうしても進学したいと主張して浪人生を選んだ。そのときから、エイチもエムも心に期するものがあったのだろう。変なところで度胸があって、行動的なエイチは都会向きの性格だと思う。でも、エムは昔から小心者で挙動不審で、その癖、見栄を張って背伸びしたがるアンバランスな性格だった。友人の俺は、そのアンバランスを奴の面白いところだと思っていた。しかし、赤の他人はその不安定さを食い物にするだけだ。俺からすれば、都会へ出ていったエムの
エイチは電話の向こうで頷いたような気配の後、話を続けた。
女と借金の一件で人間不信に陥ったエムは、大学を中退して地元へ帰り、ずっと実家に引き籠っていたという。都会から田舎へ卒業証明書代わりに持って帰った借金は、エムの両親が肩代わりしたようだ。最後の部分はエイチの推測になる。
『――エムは失踪して丸一年近くになるらしいんだわ』
「どうやって、エイチはエムが消えたことを知った。お前らは定期的に連絡を取り合っていたのか?」
『いや、アレ、アレな――俺のほうから声を掛けることは――えーと、アレだよ、ソレ、盆だとか正月だとか、ソレね。連絡をしようと思っていたんだけど、俺のほうもいろいろとアレで忙しくって――俺はお前にだって――いや、まあ、その話は置いておいて。エムの両親が民間に捜索を頼んだらしい。それで、俺の事務所へ探偵が来たんだわ。俺はリアルの探偵って初めて見たんだけど、それが、どこにでもいるようなチー牛でさ。訊いたら、興信所に雇われているアルバイトの大学生なんだよ。どの業界も舞台裏はショッパイもんだわ』
「エイチは興信所の仕事でエムの失踪を知ったのか。警察は細かい仕事を怠けるからな。実際、俺はこれまでバイクを二台もパクられた。盗んだ奴は一人も捕まっていないし、どのバイクも手元に戻ってきていない。盗難届けはちゃんと出してあるのにな」
『公務員ってのは怠け者にしか務まらんわ』
「ああ、その通りなんだろうな」
『だから、その怠け者どもの代わりに、俺がこうしてエムと付き合いのあった奴らへ訊いて回っているわけよ。エスも脈無しだったか――お前、昔からドライな奴だったからな。俺のほうも期待をしてなかったんだわ。エスは昔と性格、全然、変わっていないみたいだな――』
「安心したか?」
エイチがまた笑った。
俺は笑わなかった。
このとき、俺の脳裏にあったのは、あの不穏な門だ。
俺、エム、エイチの三人で、あの山奥の門を訪れたのは、十数年前になる。
(エムの章 終)
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