第42話 舌戦

 この話の主な登場人物


 カトリーヌ 主人公(わたし)

 フランツ 護衛

 ヒルダ 家庭教師

 デニス 金髪の剣士


 リュトガス ザクセン選帝侯の家臣


  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



「これは手厳しい」と、デニスがやるせなさを湛えた苦笑をしている。


 そのリュトガスと言う男、馬上のままデニスを見下ろしながら続けた。


「たとえ家は違えど同じゲルマンの列侯なんだから、あまり品位を落としては欲しくないものだな」


 そう言いながら馬をかつかつと歩かせている。

 彼の率いている部隊の面々も、デニスの部隊を見てにやにやと笑っている。

 それがどうも親しみを込めてというのではなく、明らかに侮っている様子が見て取れた。

 何しろデニスを前に姿勢を崩したままだ。


「あの方は誰?」


 わたしは傍らの隊員にそっと聞いた。

 その彼は、「ザクセン侯のご家来なのはおわかりだと思いますが、巡回の部隊を率いている伍長でさぁ」


「伍長って、つまり」


「一応は騎士ではあるんですが、もとは傭兵の元締め。ならず者の親分だった御仁です」


「では、あの部隊は元は傭兵」とわたしは聞いた。


「そうでさ」


 そう言って隊員は肩をすくめて見せた。

 その元傭兵の元締めであるリュトガスという伍長は、まだ、馬の上で口を開いている。


「クノール家は当主が新しくなったとはいえ、そろそろ威厳とかを身につけたら如何かな。末席とは言え一応は列侯であるのだから、食い詰めた農民をただ集めただけの集団では、一緒に参陣する我々まで諸国に見くびられる」とせせら笑う。

 そして彼の部隊からもあざけるような笑いがおきた。


 それを聞いた隊員の皆さんも、一様に悔しそうにしていた。

 本当なら言い返したいところなのでしょうけれど、身分からそれが言えない。


 だから、ここはわたしの出番だと思ったのだ。

 わたしなら言い返すことができる。


「さっきから馬上のまま、べらべらとお喋りが過ぎませんこと」


 そう言って前に出る。

 にやにやと薄笑いを浮かべていたリュトガスの表情がこわばる。


「なんだとぉ」と言いかける前に、わたしが次の言葉を足した。


「威厳だの何だのと分かったようなことを仰っているようですけど、他家の当主を前に馬上のままとは、いささか、いえ、かなり礼儀を逸しているのではないですか」


 リュトガスが馬首をこちらに向けた。


「何だきさま」


「礼儀を知らぬ者に名乗る名前などありません」


 わたしは手を身体の前にそろえ、睨むようにして言った。


「女が嘗めた口を聞いていると、ただでは済まさんぞ。何者だきさまっ!」


 リュトガスは馬をかつかつと御しながら、馬上からわたしを睨みつける。

 わたしもそれを見上げながら睨み返す。


「物覚えの悪い御仁ですこと。ご理解が足りぬようですから、もう一度、いって差し上げましょう。礼儀を守らぬ者に名乗る名前など、無いと申しているのです」


 リュトガスはわたしを見る。

 そして、──この女何者だ。と思う。


 馬上の騎士を前にして一歩も引かぬたたずまい。それは武人を見慣れている証。そして礼を守らぬと名前を明かさないという構え。それは位が高いことを意味している。さらに気品がある。ただ者ではない威厳と気品をまとった婦人が道理を問うている。

 それにリュトガスはごくりと喉をならす。


「デ、デニス。この者は誰だ」

 そう問うた。


「わたしの口からは恐れ多くて申せません」と、肩をすくめて苦笑するデニス。


「まだ、馬上から降りないのですか」


 わたしはそう言って、さらに厳しく睨みつける。


「ふん、随分と気位が高いようだが、今日のところは見逃してやる」とリュトガスは馬首を巡らせてその場を立ち去ろうとする。

 その背後に、わたしは声をかける。


「あら、婦女子に詰問されて逃げ出すというの。ザクセン侯の配下がわたしから逃げたと、これはサロンでお話しする他ないわね」


 リュトガスはぴくと止まり、肩越しに問いかける。


「サロン? いったいどこの」


「わたしく、こう見えてもラテンのメディチ家と懇意にさせいただいているの」


「フィレンツェの名門、メディチ家のことか」


「この話の流れで、それ以外のどこのメディチ家がございまして」


 わたしは涼しい顔で言った。


「そんな馬鹿なことが、だって」


 リュトガスはもう一度馬首をこちらに向けた。


「わたしの祖国、エルザス国王の后、マリア・デ・メディチ。わたしの国の言葉でマリー・ド・メディシス、その方と懇意なものですから定期的にお会いしているの。そのサロンの場で、ザクセン侯の配下は礼儀を知らぬと公言させていただくわ」


「マリア・メディチと知り合い、いったい」


「そこから先を聞きたいのなら降りなさい」


 わたしは静かに言った。

 リュトガスは仕方なしに馬を降りる。

 そして、「な、名前は」と聞いた。


 わたしは答えない。

 そのかわり、「名乗りなさい」と言い放つ。


「ザクセン侯に仕える、フローリアーン・リュトガスと言う。さ、名乗ったぞ、そっちの名前も」


「それでは言って聞かせましょう、カトリーヌ・フォルチエ。フォルチェ鉄壁王の第一公女、それがわたし」


 デニスや隊員の皆さんにしたような、スカートのすそを持ち上げる挨拶はしなかった。

 するもんですか。

 そして、それを告げたとたん、リュトガスはまなじりを揚げ、わたしを指さし、「嘘だっ!」と怒鳴った。


「貴人を軽々しく指さすものではありません。そんなこともお分かりにならないのかしら」


「う、嘘を申すなっ。ここに、敵の公女が居るわけないだろうっ!」


「貴方」と、わたしは相手を指さす。

「指をさしていいのは、わたし。立場というものを理解しなさい」と指摘する。


「そんなことはどうでもいいっ。デニス、この女は何者だ!」


 成り行きを見守っていたデニスが、「それが、この貴婦人は先ほどから本当のことしか仰って居ないのですよ」と涼しい表情でいった。


 それを聞いたリュトガスはわたしを驚愕の表情で見た。

 そこにわたしが言葉を畳みかける。


「敵と仰いますけど、いまはエルザスとゲルマニアは戦争状態にありません。隣国へわたしが向かうことを誰が咎められましょう。ましてや、この地を納めるクノール家当主、デニス殿がお許しになられていると言うのに」


 問われたリュトガスは汗をかいて黙っている。

 そこに、さらに言葉を重ねる。


「そのデニス殿とわたしは友人。そして貴方が馬鹿にした隊員の皆さま方とわたしはともがらの関係を結びましたの。その彼と部隊を悪し様に侮辱するということは、このわたしも侮辱するも同じ。貴方、フォルチュ家も侮辱なさるの?」


「う」


「まあ、敵国のことなど幾ら悪口を言っても構わないと思っているのでしょうけれど、いま、そこの家人がいる場。そこで侮辱なさいますと、わたしの夫が許しませんとことよ。ねえ、フランツ」


 わたしは背後のフランツに声をかける。


「そうだな」と彼が前に出る。そして、「友人であるデニスとその家臣、さらにわが最愛の妻を侮辱されて黙っているほど、わたしは人が出来てはいないのでね」とリュトガスの前に立つ。

 そして爽やかな表情でこう言った。

「なんなら一手合わせやって見るかい?」


「な、何を」


「侮辱をそそぐとしたら一つしか無いだろう」


「まさか」


「そう、決闘だよ。やってみるか」


 ここでフランツが正式に決闘を宣言したら、あとはリュトガスが受諾するかどうかの話になる。つまり決闘を受けるのか、どうか。


 決闘は文字通り、剣を交えて決着がつくまで戦うことになる。

 それを避けるには、つまり許しを請うて逃げ出すしかない。

 それはリュトガスからしたら堪らない。


「それでは宣言するぞ」と、フランツは次の言葉を述べようとする。そうしたらリュトガスは手のひらを前に制止する。

 そして言った。


「し、暫く」


 だけどフランツはそれを無視して言葉を続ける。


「わが友、その輩、さらに妻への侮辱の数々、ただ黙って見逃す訳にはいかぬ」


 それを聞いたリュトガスは慌てる。


「待たれよ」


「このわたしフランツ・エーベルヴァインは、フローリアーン・リュトガス、貴殿にけっと……」


 宣言が止まらないので、リュトガスは声を張り上げた。


「待たれよっ。謝罪する、失礼な言葉の数々、謝罪する!」


 それを受けて、フランツが振り返ってわたしを見て言った。


「カトリーヌ、どうする」


「謝罪を受け入れます。ただし、謝罪はわたしにではなく、デニス殿とその家臣の皆さまに」


「わ、わかった」


 そのとき視界の端ではヒルダが拳を握ってグッと腕を引き、小さな声で、「よしっ」と言った。

 ヒルダ、それ、結構目立つわよ。


 そしてリュトガスはデニスと隊員の前に立つ。

 青い表情で謝罪の言葉をのべる。

 最後には絞り出すような声で、「すまなかった」と言った。

 それを受け入れることで幕は下り、リュトガスは這う這うの体で部隊を率いて立ち去っていった。

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