第36話 敵国の令嬢
この話の主な登場人物
カトリーヌ 主人公(わたし)
フランツ 護衛
ヒルダ 家庭教師
デニス 金髪の剣士
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ヒルダは抱きしめられた当初、戸惑っていた。
デニスという男性、あれほど女性にはおっかなびっくり接していたかと思うと、こんどはこの大胆な振る舞いだ。
このちぐはぐさ。
始め、手を取って口づけしたとき、あれは作法として身につけているから自然とできる。
だけど女性個人と接しようとすると、おどおど狼狽える。言葉を噛む。
端正な美貌を誇るのに、女性に慣れていないことが分かる。
まるで少年だ。
ヒルダは抱きしめられて驚いたけれど、屈託のない笑顔で、「やったやった」と叫んでくるくると回っているデニスを見ているうちに、それがとても愛おしくなった。
だから彼女は、彼のその頭をそっと抱いた。
髪の毛から太陽の匂いがした。
どれほど回っていただろうか。
デニスはようやくヒルダを降ろして手を離す。
二人は見つめ合う。
だけどそのとき咳払いが聞こえた。
「こほん」
見るとデニスの仲間、部隊の一人だった。
その彼が言った。
「おじゃましたくはねえんですが、若、この方々を保護しないとまずいんじゃねえですか」
「あ、ああ、そうだな」
そのとき、わたしはコンパートメントのドアを開けて皆の前に姿を現す。
脇にはフランツが控えている。
「ヒルダ、その方をご紹介いただけないかしら」
そう言って、タラップの上に立った。
わたしを見るデニスの視線が釘付けになる。動きがとまる。爽やかに微笑んでいた笑みが消え、信じられない物を見たという表情になる。
そして勢いよく片膝をついて、敬意を示す控えの姿勢をとった。
さらに、「お前ら、姿勢が高い。礼を逸するなっ」と背後の部下に向かって言葉を放った。
それを受けて背後の部隊の面々も片膝をついて姿勢を低くする。
「若、どうしたんですか。確かにきれいな貴婦人ですが、いきなり」と背後から小声がする。
それをデニスは頭を垂れたまま言った。
「この気品、高貴さ、さぞや名のある家、そこの令嬢かご婦人に違いない」
「そんな、大げさですよ」とわたしはフランツに手を取られてタラップを降りる。
そして、「さ、みなさま方、お手をあげてください」と伝える。
だけどデニスは顔は挙げるが姿勢は低くしたままだ。
「我はクノール家、デニスと申します。ぜひ、お名前を」
わたしは両手を身体の前にそろえ、「フォルチェ家のカトリーヌと申します」と簡単に自己紹介した。
それを聞いたデニスがぴくと反応した。
「フォルチェ家」
そうつぶやいた。
「ええ」
わたしは肯定した。
「鉄壁王と呼ばれる、あの家」
「そうとも言われています」
「プルートとか言う忌々しい城壁を擁するフォルチェのご家中」
「はい、そこの長女です」
それを聞いたデニスは驚きの表情をした。
そして言った。
「て、敵国のご令嬢!」
その言葉を聞いたわたしは微笑む。
その横でフランツは、「また敵国言われた」と苦笑し、ヒルダはいたずらっぽくにししと笑っている。
「おい、仇敵の令嬢だ」
「どおりで気品あるわけだ」
「でも何でこんなところに」
驚いているデニスの背後、その部隊の面々も口々に言い合っている。
だけどデニスは背後に注意する。
「確かに仇敵のご令嬢だ、確かにそうだ。でも、礼を逸するな。決して無礼な振る舞いをするでないぞ」
そう窘める。
「若ぁ、わしら口は悪いけどそんなことしませんぜ」
「したことないでしょ」
と、今度はデニスが窘められた。
「さ、みなさん、そろそろお身体をあげてください」と勧める。
でも、まだデニスと部隊の面々は姿勢を低くしている。
わたしは、「困りましたね。やっぱり仇敵の子女の言葉は届かないのかしら」と頬に手を当ててみせる。
「そんなことはありません!」と起き上がったのはデニスだ。
それを見て、背後の隊員たちも起き上がる。
「よかった」と微笑んだわたしは、スカートのすそを持ち上げ、頭を垂れて改めて挨拶をした。
「わたくしが仇敵フォルチェ家の長女、エロイーズ・ジョルジーヌ・カトリーヌ・フォルチエです。以後、お見知りおきを」
さらに、「皆様方のおかげで危機を脱することができました、本当に感謝いたします。このカトリーヌ、ご恩は忘れません。必ず報いる所存です」
デニスは、「あ、いや」と手で制したあと、「そこにおられるフランツ殿一人で対処できたと思います」と慌てる。
「そんなことはない、わたし一人ではもう少し手こずっただろう。デニス殿の助け、心強かった。そして背後に居る隊員の皆さま、あの茂みに潜んだ気配の消し方、見事でした。あれで賊は数を頼みに突き進んできた。そこへ至近距離からの横槍、精強なる戦士の一撃というものを久々に見ました。感服です」とフランツは微笑む。
デニスの隊員たちは自分らの功績が認められ、それが評価されたので頬を指でかいたりははにかんだりした。
純粋に嬉しかったのだ。
「貴殿も、ぜひ、お名前を」
デニスが名を聞く。
「申し遅れました。フランツ・ラウレンツ・マルコ・エーベルヴァイン。以後、フランツで構いません」
それを聞いたデニス。
エーベルヴァインという姓が何か心に引っかかった。
──はて、エーベルヴァインのフランツ、どこかで。
だけど思い出せないのでその場はそれで納めた。
従者が馬を持ってくる。
それを受け取り、手綱を握ったデニスが言った。
「さ、皆さん、ここを離れて我らの幕舎にご案内いたしましょう」
わたしたちを保護してくれるというのだ。
それに有り難く従うことにした。
「デニス殿、ヒルダを馬に乗せてやってくれませんか」
わたしはそう頼んだ。
「ヒ、ヒルダ嬢をですか」
「ええ」
「カトリーヌお嬢さま、わたしは馬車でいいです!」
「せっかくですから乗せていただきなさいな」
「でもぉ」とヒルダはもじもじとする。
「デニス殿、乙女をその馬に、ぜひ」
デニスはつばをのみ、「わ、わかりました」とまずヒルダを乗せ、その後ろに自分がまたがる。
わたしはその光景を見て、「デニス殿、振り落とされないようにしっかりと抱きしめてあげて」と言った。
「だ、抱きしめるですか」
デニスの顔が真っ赤だ。
「そうしないと危ないよね、フランツ」
わたしはそう言葉を彼に向けた。
フランツは、「ああ、夜道で馬があばれないとも限らない。どうかその乙女を抱きしめて支えてあげてください」と言う。
「わ、わかりました。それではヒルダさん、い、いきます」
「は、い」
彼女も顔を真っ赤にして小さくうなずいた。
デニスは言われたとおり、左腕を回してヒルダを抱きしめる。
小柄な彼女はまるで包まれたようになる。
デニスの心臓がばくばくと音を立てている。
それがヒルダに伝わる。聞こえる。
そして上半身をぎゅっと押しつけられているヒルダの心臓の鼓動も、また、デニスに届いていた。
わたしが馬車に乗り込むと、「ご案内、お願いします」と御者席についたフランツが馬車をゆっくりと発進させた。
そうやってわたしたちとヒルダを乗せた馬は静かに動き出し、その後を隊員が槍を立ててついて行く。
それはまるで儀仗隊のようだった。
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こんにちは作者です。
私事で申し訳ありませんが、ここ最近少し忙しい日々が続くので更新は週末になります。
こればかりは個人の力では如何ともし難く、何とかペースを速められるように頑張ります。
恐縮ではありますが、なにとぞ、ご容赦ねがいます。
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