第19話 ラ・プルート
この話の主な登場人物
カトリーヌ 主人公(わたし)
フランツ 護衛
ヒルダ 家庭教師
ドナード 御者、馬の世話係
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
フランツが口の横に手のひらを添えた。
これから小声で語るというゼスチャーだ。
それに引き寄せられるように、わたしとヒルダはフランツに顔を寄せる。
「それで何時ここを出るという話だけど、明後日の夜にしよう。下限の月で早くに沈むから暗いし、それ以降では天候が荒れそうだ。準備は大丈夫か」
わたしたちはこくりとうなずいた。
「でもフランツ殿、どうして明後日なんですか? 早ければ明日の夜でもここを出た方が」
そのヒルダの指摘はもっともだった。
わたしも同意見だった。
それをフランツはこう説明した。
「道程で気になる場所が何ヶ所かあるから、わたしが先に馬で見回ってくる」
「フランツ、一人で危険はない?」
「なあに見回りなら一人の方が身軽で安全だ。それに領内をうろつくのは何時もやっているから、何も心配はいらない」
そう事もなく言ってのける彼に、わたしとヒルダが暗い顔をする。
「そんな顔すんなって。明日の明るいうちに俺は出るから、夜までには戻る。二人には準備の方をよろしく頼む」
フランツはそのあと、御者のドナードさんのところへ向かった。
そして、「馬、一頭、用立てて欲しいのだけど、お願いできますか」と要請した。
「どんな馬がいい?」
「遠出するので、速い駿馬をお願いできないかと」
「それじゃあ、あいつ、ボン・エトワールに乗っていけ」
「前にも乗ったことがある、速かったなあ」
「いつ使うんだい?」
「明日、明日の早朝から」
「わかった準備しておくよ」
「お願いします」
翌朝、まだ朝靄が残っている時間に、フランツは厩舎に向かう。
もうドナードが待っていた。
「おお、きたか。ほれ、準備しといだぞ」
「助かります」
フランツはそう言って手綱を受け取り、すっと乗って鞍上の人となる。
「それではお借りします」
「気をつけてな」
厩舎を出て裏口から草原にでる。
しばらくはギャロップという早足で進んでゆく。
そして馬の足が温まったころ、フランツは馬の首をぽんぽんと叩いて、「さあ、そろそろ行こうか」といい、かかとで馬の腹をとんっと押した。
そうしたら。
馬がぐっんと加速した。
その身体が後ろに持って行かれるような加速。
だからフランツは前屈みになって手綱をしっかりと握る。
「ボン・エトワール、お前、本当に速いな」
ボン・エトワール、英語ではラッキー・スター。つまり幸運の星。
顔に白い毛が生えていて、それが星に見えるところからそう名付けられた。
ボン・エトワールはたくましい足でぐんぐんと加速してゆく。
両足の膝でしっかりと支えないと振り落とされそうな馬脚で草原を突き進んでゆく。
だから、この馬に乗りたがる者はほぼ居なかった。
乗るのは御者のドナードとフランツくらい。
そして思いっきり走らせることのできるのは、いま鞍上の人となっている彼くらいのものだった。
だからボン・エトワールは気持ちよく走っている。
まるで、「俺の足を見てくれ」と言っているよう。
たちまちにして大河に行き当たり、そのまま川沿いを北上してゆく。
その川べりをフランツは観測しながら進む。
やがて橋にさしかかる。
近隣に橋は多くなく、馬車で通過するにはそこを通らないと対岸に行けなかった。
まずはそこを確認した。
他の橋は人が通過できるほどの小さなものが大半で、馬車が通過できる橋があっても道が悪く、急ぐには適さなかった。
だからここの大橋を通るしかなかった。
──橋は問題ない。ここを突破さえできたら、後は緩やかな山道。馬車でも楽に行ける。
フランツは橋を渡らずにそのまま川を北上した。
緩やかな斜面が続く。
それでもボン・エトワールはぐんぐんと突き進んでゆく。
目の前に山脈とその谷にかかる大きな砦が視界に入ってきた。
それは北の山脈にかかる、大きな関だった。
関と言っても、ただの通行関所ではない。
谷をまるまるふさぐ巨大な城塞だった。
なんと左右幅二キロに及ぶ。
名を『ラ・プルート・ダス・グランツ(巨人の関所)』と言った。
通称プルート。
関所というが、超巨大な城壁だった。
それが国の北部、その国境に連なる山脈の開けている谷間を完全に塞ぎ、隣国からの敵軍の侵入一切を拒んでいる。
フォルチェ家を国内でも有数の侯爵として君臨させているのは、ひとえにこの城壁があるゆえだ。
だからフォルチェ家が山岳地帯を領地にしているのは、それは地方豪族だからというのではく、国内最重要防衛の要、国境を守る家という意味が込められている。
遠くからも見えるプルート。
それは巨大過ぎるため、走れども走れどもなかなかに近づいてこない。
途中、休憩をはさみ、ずっと目指してやっと近づくことができた。
そして細部が見えるところまできたとき、フランツは不思議な物を見た。
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