第16話 お姫さまだっこ

 この話の主な登場人物


 カトリーヌ 主人公(わたし)

 フランツ 護衛

 ドナード 御者、馬の世話係


  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 手紙を受け取ったドナードはそれを見る。

 封筒の表には『マヌエル・ディートハルト・ドナードさまへ』と名前が記されており、裏には封緘でしっかりと閉じられている。

 つまり本格的な封書だった。


「これは」


「その手紙はいまは開けないで、時期がきたら読んで欲しいの」


「時期とは?」


「それはいずれ分かるわ」


 それを聞いたドナードは意味を察したようで、目にいっぱい涙をためている。

 そしてわたしも。


「お嬢さま、寂しゅうございます」


「わたしも寂しいです。あまり遊んでくれなかったお父さまのかわりに、ドナードのいるこの部屋がわたしにとって憩いの一つでした。そしてこんな形でしか伝えられないことをお許しください。でも、いずれ戻ります。必ず、どんな形であれ、戻る決心です」


「そうですな、この邸宅にはお母様のお墓がございます。また再会が適うよう、わたしも期待しております。そして、わたしめ如きが僭越ですが、ご用とあらばお呼びください。何処へでも駆けつけいたしますゆえ」


「ええ、そのときが来たら、きっと」とわたしはドナードの手を取った。


「来たるべきときのために、少し酒でも控えるとするかな」


「そうですよ、ドナードさん。大好きなお酒、少しは控えた方がよろしくてよ」


「あ、いや、何の気にしに言った言葉なのにお小言を頂戴しましたわい。でも、お嬢さまのお小言を聞くのも悪くない」


 そう言って彼は笑う。

 わたしも笑った。

 それは、あの食事会以来、初めて心から安らげる笑いだった。

 わたしはこの場所が好きだ。

 それを去らねばならぬ寂しさを、しばし忘れた。



 歓談ののちに戻る時間となり、そこでちょっともめた。

 わたしは相変わらず歩いて戻ろうとしたのだけど、それをドナードとヒルダが止めた。

 いわく、「無茶だ」という事だ。


 その御者の作業場は邸宅の端にある。

 だから大きな屋敷の真ん中に戻るまでえんえんと歩く必要があり、そして階段を上らないといけない。

 時間がかかるからというよりも、体力の消耗を心配してのことだ。


「わたしがメイドを何人か呼んできますから」とヒルダが部屋を出ようとする。

 そんなやり取りをしているさなか、護衛のフランツが御者の作業場までやってきた。

 ドナードが嬉しそうな声をだす。


「おおっ、フランツ殿、いいところへ。この聞き分けのないお姫さまを連れていってくだされ」


「いったいどうなされたのです」

 そうフランツが訪ねると、「お嬢さまはご自分で歩いて戻られると言って聞かないのです」とドナードが訳を話す。


「いえ、自分で戻るって言い張っているのではなく、お仕事をしているメイドたちを呼びつけるのを、その、ためらうというか」


 わたしがそう説明すると、フランツが、「なーんだ、そんなことでしたか」と言ったのち、わたしをひょいと抱き上げる。


「きゃっ」


 思わず声が出た。

 彼がしたのは、いわゆるお姫さまだっこだったからだ。


「聞き分けのないお嬢さんは、こうして運ぶ方が早い」


 わたしは殿方に抱えられて顔が赤くなる。


「お、おろして頂戴」


 大声がまだ出せないので、小さな声で抗議する。


「いいえ、このままお部屋まで運びます」


「はっはははっ、これはいい。まるで婚礼の花嫁と花婿のようだ」


「もう、ドナードさん、からかわないで」


 わたしは顔を赤くして抗議する。

 だけどドナードにはもっと別の物が見えていたようだ。


「赤い絨毯のチャペル、鳴り響く鐘の音、白いタキシードの花婿、そして抱きかかえられる純白のドレスをまとった花嫁であるカトリーヌお嬢さま。そんな光景を見てみたい。いつの日ににか、そんなお姿を、このわたしめに見せてください」


 御者の彼はそんな具体的なことを言った。

 なので、わたしにもその光景が脳裏に浮かんだ。

 そして花婿は家が決めた許嫁ではなく、目の前に居るフランツだった。

 彼が白いタキシードで、わたしに微笑んで抱きかかえている。

 そんなイメージが脳裏に、そして強烈に浮かび上がったのだ。

 だからわたしは顔をもっと真っ赤にして、小さな声で、「はい」と言うのが精一杯だった。


 ドナードはうんうんとうなずいたあと、「きっとですよ」とつぶやいた。そして、「フランツ殿、お嬢さまをお願いいたします。どうかくれぐれもお守りしてあげてください。できるならば、ずっと」


 ドナードのお願いを受け、フランツは、「必ずや」と答える。

 その彼の横顔を、わたしはぼーっと熱に浮かされたようにして見た。

 そして彼の腕に抱きかかえられる安心感。

 その腕の中こそ、わたしの安住の地としか思えなくなっていた。

 わたしは無意識に、そしてすがるようにして彼の首に腕を回し、その胸に顔を埋める。


 部屋を出るときドナードさんは、「さらよなではなく、また会う日まで」と手を振った。

 わたしも、「ええ、また会う日まで」と手を振る。

 再会を願って、二人ともそうしたのだ。

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