第8話 海の幸とコーヒー、そして急変

 この話の主な登場人物


 カトリーヌ 主人公(わたし)


 オーギュスタン(オーギュ) 許嫁

 アラベル 妹

 父

 母(継母)


  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 食事は豪華だった。

 贅を尽くした料理はオードブルからして見事の一言に尽きた。

 荘厳なというのではなく、一品一品に料理人、その職人技がうかがえる品々だった。


 前菜はエビのテリーヌ。

 大きなエビをふんだんに使用し、それをすり身にしてコンソメのゼリーに封じ込めてテリーヌにしてある。

 その柔らかくも芳醇な味わい、そして濃厚なエビの香りが口の中で踊る。


 そしてタラを初めとした数種類の魚卵をチーズと混ぜたディップソースは、パンにも野菜にも合う。

 魚臭さを何で消しているのかまでは正確に分からないけれど、ビネガーの他に何か蒸留酒を使っているのではないと予想された。


 さらにスープの見事なことと言ったら。

 少し赤みがかったオレンジ色のスープで、それを一口含んだときにわたしの動きは止まった。

 口の中いっぱいに広がる海の幸を閉じ込めた味わい。

 分かった。

 これは元はブイヤベースだ。

 だけど形となる具がない。

 すべて取り出してある。

 何て贅沢な。


 それだけではなく、取り出した魚介の身をすりつぶしてメレンゲと混ぜてムースにしてある。

 それがスープの上にふわっと浮かんでいる。

 それと一緒にスープを口に含むと、こんどは肌が粟立った。

 ぞくっときたのだ。

 それほどまでにこの魚介スープは最高の一品だった。


 メインは舌平目のホワイトソース煮。

 臭みが一切なく、それがソースとよく合い、身を口に入れた瞬間に身がほろほろと崩れ落ちる。

 付け合わせのエシャロットと一緒に口に入れると、また味わいが変わってくる。

 そうやって飽きさせない味になっている。

 わたしは南の魚介を堪能した。


 だけど。

 相変わらず、目の前に座るオーギュは妹と仲良く話しながら二人もまた食を堪能していた。

 それさえなげればと思う。


 両親も食事のできには満足なようだった。

 いま、わたしたちが居る地は山岳地帯。

 これほどまでの海の幸を味わうことなど、まずあり得ない。

 だから父はご満悦だ。

 それを見て継母が、「わたしの故郷の味、ご堪能いただけたかしら」と言った。


「ああ、現地まで旅行しないと味わえないこの珍味が、ここで味わえるとは。オーギュスタン、よくぞ手配してくれた、礼を言う」


「いえいえ、わたしはお金を出したくらいで、ほとんどはこのアナベルが用意してくれました」

 そう言って傍らのアナベルを見て微笑む。


「わたしも苦労しました、みんなに喜んでもらえるように、いろいろと心砕きましたのよ」と、アナベルは微笑んだあと、わたしの方をちらと見てふっと笑った。


 わたしはその会話を驚きでもって聞く。

 ──オーギュの手配ではなく、義妹アナベルの差配なの、これ。


 いったいどういう風の吹き回しなのかと思う。

 彼女が食事会の手配とか、まったく訳が分からなかった。

 でも、それであっても、今日、ここで提供された食事は見事に尽きた。


 わたしは最後のスイーツ、オレンジのジュレとバニラアイスをコーヒーとともに味わっている。

 なんでもこのコーヒーは南の遠い異国の地から船便で届いたという逸品だそうだ。

 その香りをすっとわたしは吸い込んだ。


 ──ああっ、なんて良い香り。


 わたしは紅茶も好きだけど、コーヒーも好きだった。

 そして嗅いだだけで分かる。

 これは極上のコーヒーだ。

 何しろ匂いが通常の何倍も濃厚だ。


 給仕から説明を受ける。

「まず初めはブラックで、その苦みをご堪能ください。その為に濃く入れてあります。そして次にシュガーを足してお飲みいただき、最後にミルクを注いでお召し上がりください」


 わたしは言われた通りに、まずはブラックでいただいた。

 たしかに味も濃い。

 だけど同時に鼻から抜ける匂いがわたしを魅了する。


 ──このアロマ、癖になりそう。


 わたしはうっとりとしていたに違いない。

 そして言われた通りにシュガーを足して数口飲み、ミルクを差し入れてその味の変化を楽しんだ。


「お姉さまのカップが空になっているわよ」とアナベルが給仕にそう指示する。

 彼女はわたしとカップをじっと見ていた。

「お代わりをお持ちしましょうか」と給仕から問いかけを受ける。


「いえ、結構です」


「ご遠慮なさらずに。せっかくお姉さまのために大好きなコーヒーを特別にご用意したのよ。せっかくですから、もう少し堪能してほしいわ」


「それなら、もう一杯いただこうかしら」


「かしこまりました」


 給仕がうやうやしく下がる。

 このコーヒーはポットによる継ぎ足しではなく、一杯一杯、新しく入れ直している。

 だから部屋の隅でバリスタがカップを暖めて準備していた。

 そして二杯目が届けられた。


「ありがとう」


 礼を言ってカップを手を伸ばしたときのことだ。

 そのわたしの指先、それが震えていた。

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