第5話 最初の兆候

 この話の主な登場人物


 カトリーヌ 主人公(わたし)

 ヒルダ 家庭教師


 オーギュスタン(オーギュ) 許嫁

 アラベル 妹

 父

 母


  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



「お父さま、お母さま、オーギュさまがいろいろと買ってくれたのよ、ほらっ」


 アナベルが背後の数々の品物を示す。


「カトリーヌの婚礼の結納がまだだというのに、もうお前はそんなに買ってもらったのか」


 その父の声が嬉しそうだ。


「オーギュスタン殿は本当に義妹想いでいらっしゃること。これでは花嫁が嫉妬するのも分からないでもないわね」と継母がわたしを冷たい目で見る。


「立ち話もつまらないわ、パティスリがあるのだからみんなでお茶しましょ」


 そのアナベルの提案で、みんなは食卓の間へと向かう。

 わたしの訴えはこうしてうやむやにされた。

 一応、オーギュスタンは、「君もいこう」と声はかけてくれた。

 横目でちらっと見ながら。


 そして彼の腕にはアナベルがまとわりついている。

 人目もはばからず、ぴったりと寄り添っている。

 仕方なしにわたしはその後をついて行く。

 自分でもわかる。

 相当に暗い顔をしている筈だ。


 長テーブルに全員が着座し、厨房からケーキが運ばれてくる。

 みんなはケーキだけど、わたし一人だけがショコラタタン。つまりチョコレートのタルトだった。

 それを正面に座るアナベルが薄笑いを浮かべて見ている。


「気に入ってくれたかな」

 アナベルの横に座るオーギュスタンが首をかしげながら聞いてきた。


「え、ええ」


 ──わたし、ベリーのタルトを楽しみにしていると言ったのに。


 彼はそんな会話も覚えていないのは明白だった。


「お姉さまのそれ、わたしが見立てたのよ」と言ったのはアナベルだ。


「あなたが」


「ええ、お姉さまショコラが大好きですものね、だから特注のものを用意させたの。間違えないようにプレートも付けたわ」


 確かに四角いチョコのプレートに、ホワイトチョコと金箔でわたしの名前が刻印されている。


「ありがとう」


 わたしは礼を言ってから、チョコタルトを一口含む。

 舌の上で溶けたそれは、少し苦みがきつかった。


「ビターがお好きでしたものね、それとももっと甘い方が良かったかしら」


 それを言ったアナベルがほほえんでいる。


「これで構わないわ」


 そう言ったものの、わたしはその苦いチョコに顔をしかめた。

 その間もわたし以外、全員の会話が進んでいる。

 楽しげに、誰しもが笑顔だ。

 持て余しているわたしは、そのえぐみに食が進まない。

 と、その時である。

 少しめまいがした。


 ──あれ?


 心臓の鼓動が速くなり、頭痛がする。

 息も荒くなる。


「お姉さま、どうかなされました」


 アナベルがじっと確認するようにわたしを見ている。

 その表情が頭痛であいまいになる。


「少し頭が重くて。すみません、せっかくですけど、もうこれ以上は」


 そう言って席を立つ。

 ふらついた。

 自室に戻ろうと歩き始めたけど、その歩みもおぼつかなかった。

 ふわふわと雲を踏んでいるかのようだ。

 わたしはメイドに寄り添われながら部屋に戻り、ベッドに服のまま横になる。


 そのとき、ぎっとドアが開く音がした。

 ヒルダだ。

 そしてベッドに横たわるわたしを見た。


「カトリーヌお嬢さま、いかがなさいました。抱えられて運ばれるのを見たものですから、ノックもなしに入室してすみません」


 そう言ってヒールの音を立てて駆け寄ってくれた。


「ショコラタルトを食べていたら、急に頭が重くなって、そして頭痛が」


「それはいけません、いま、すぐにお医者さまを」


「それには及ばないわ。こうして休んでいるだけでいいから」


「でも」


「心配しないで。それよりもわたしの横に居てほしいの」


 その言葉を受け、ヒルダはベッド脇にあるソファ型のスツールに腰を下ろした。

 そして手を取ってくれた。

 わたしはパティスリの一件を彼女に話した。


「そんなことが。それでオーギュスタン殿は見舞いにこないんですね」


 わたしはそのときことを思い出す。

 体調が悪くなったとき、彼は何事かという表情をしてみせたものの、特に声をかけるとか近寄って様子を見るということをしなかった。

 ただ、顔をアナベルに向けたまま、ちらとこちらを見ただけだった。


「お嬢さま、わたしが一晩、お付き添いいたします」


 そう言ってヒルダがわたしの頭を撫でてくれた。

 それでようやく安堵することができた。

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