第5話 閑話:廊下にて

 シルビアは晩餐会の会場に向かう長い廊下をセオディア・メレ・エトゥールにエスコートされながら歩いていた。カイルの予想に反して、甘い会話よりやや遠いものになっていた。

 「カイルがなぜ、無自覚なのか」という話題になっていたからだ。



「無自覚というか、無頓着むとんちゃくというか、自分が関与しない他人の心理は鋭いのですが、自分が関わる事柄に関しては鈍いのは確かです。カイルの同調能力の防衛本能かもしれませんが」

「防衛本能?」

「他人から敵意を向けられた感受性の強い人間が正気しょうきを保てましょうか?」

「敵意など山ほど転がっているが」

「メレ・エトゥールの場合は多すぎです。繊細なものは、それに耐えられませんよ」

「それは私が図太いと言ってないか?」

「まさか繊細とはおっしゃりませんよね?」


 見つめあって、先に笑ったのはセオディアだった。


「シルビア嬢の辛辣しんらつな言葉に、ガラス細工のように繊細な私の心は深く傷ついた」

「真に繊細な方は、そのような物言いはしません」

「そうか、一つ賢くなった」


 交わされる会話にシルビアは吐息をもらした。


「普通は晩餐会のアドバイスとかしませんか?」

「特にない。貴女は完璧だ」

「……貴方の辞書には緊張という言葉はございませんか?」

「緊張すると何かいいことがあるとでも?」


 予想外の切り返しに、シルビアは本気で考えこんでしまった。


「ない……いえ、ほどよい緊張感があった方が物事はよい方向に進むのでは……」

「シルビア嬢は真面目まじめだな」

「それが私の欠点です」

「欠点ではなく長所だろう」


 シルビアは驚いたようにセオディアを見つめた。そんなことを、言われたのは初めてだったからだ。


「からかわないでください」

「どこが、からかっていると?」

「どこもかしこもです。帰りたくなりました」

「協力してくれる、と言ったではないか」

「……過去の私を殴りたい気分です」

「それでも私は味方を得たことに嬉しかったが」

「……」


 この男は策士だ。腹黒だ。詐欺師だ。

 頭の回転は早いし、国を統率する能力は充分すぎるほどあるし、加護があるほど精霊に愛されている。

 だが、個人的に関わるとやっかいこの上ない。


――関わると、振り回されるのだ。それは間違いない。事実振り回されている。


「……私が青いドレスを着たことが、協力の証ですが、足りませんか?」

「事情を知っても、なお着てくれたシルビア嬢を愛してやまない」

「そういう言葉は、将来の本物のきさきにとっておいてください」

「……シルビア嬢は手強いな」

「何ですか?」

「なんでもない」


 扉の前にたどりついた。

 メレ・エトゥールは、扉の前の近衛このえに頷いてみせた。

 近衛は扉の向こうに合図を送る。


「セオディア・メレ・エトゥール並びにシルビア・メレ・アイフェス・エトゥールのご入場」


 扉が開いた。


 階下の大勢の視線が突き刺さる。メレ・アイフェスの女性がエトゥールの貴色きしょくとされるブルーのドレスを着て登場したのだ。

 そこには政治的意味合いが強い。メレ・アイフェスはエトゥールから離れるつもりがないということと、おおやけの場でのエスコートで、メレ・エトゥールの婚約者候補の筆頭であると宣言したことに等しい。


 セオディア・メレ・エトゥールに自分の娘を嫁がせようと今日の晩餐会を待ち望んでいた貴族達は見事に出鼻でばながくじかれたのだ。

 祝福のどよめきが半分、嫉妬しっとと失望のどよめきが半分だった。

 セオディア・メレ・エトゥールはシルビアの手をとり、寄り添った。


「大丈夫、あれらは森でたわむれるウールヴェだと思えばよい」

「――」


 囁かれた意表をつく冗談にシルビアの緊張は一気にほぐれた。

 シルビアは微笑みを浮かべ一歩を踏み出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る