第29話 紆余屈折
壁を飛び越えた先には、幸運な事に不法行為の目撃者は誰も居なかった。倉庫が幾つか並んでいる元々人通りの少ない場所だったようだ。
俺の財布を盗んだガキの手掛かりはほとんど無い。だがあんな妙な格好をした子供が1人で歩き回っていれば嫌でも目立つはずだ。
表通りで聞き込みをすれば、1人か2人は見ている奴が居るかも知れないし、万が一あのガキがベルモの寄越した盗賊なら宿屋に向かっている可能性も高い。
あのすれ違った一瞬で、俺に触れもせず財布を抜き取った技量は目を見張る物がある。
もし女が俺に触れていたら聖剣の力で俺への害意は消えていたはずだ。『盗みをしよう』なんて思いがキャンセルされるのは言うまでも無い。
俺は
☆
「おやいらっしゃい。以前連れてた美人さんには振られたのかい? 今日はどうすんだい? 泊まっていくのかい?」
宿の女将はしっかり俺の事を覚えていた。前回来たのはクロニアとベルモを連れて、クロニアの叔父さんに会いに行く途中だったかな。
俺は現在指名手配されている身分だが、女将の対応は以前と変わっていない。恐らく手配書はまだ壁の門ほどには町中に出回っていないんだろう。だがきっと時間の問題だよな……。
「いや、今日はゆっくりしている暇は無いんだ。えっと… 俺を訪ねて誰か来てないかな?」
ゆっくりしている暇が無いのは勿論だが、何より今の俺は一文無しなのだ。飲み食いする小銭すらも残っていない。
ただここでベルモの寄越した盗賊が俺宛てに訪れていれば、あのガキはベルモとは関係無い、通りすがりのスリガキでしかなくなる。
その時は銀麦亭に来ていた盗賊の力を借りて、スリガキの捜索を行えば良いし、スリガキがベルモの使いなら、ここで待っていれば間を置かずに顔を見せるだろうから、そこで捕まえてしまえば良い。
「いぃや、今日はアンタがお客さん第1号だよ。それで? 何か食っていくのかい?」
そうか、誰も来ていないのか… うん? そうしたらクロニア達も来ていないという事か? ここまで来る途中、町中で事件があったようには見えなかったが、ひょっとして何かトラブルに巻き込まれでもしたのか?
さすがの俺も体は一つなので一度に複数の問題解決に当たれる余裕は無いぞ…?
「女将、邪魔をするぞ。ちと
クロニアがティリティアを伴ってのんびりとやって来た。とりあえず大きなトラブルでは無かったらしいのは安心したが、さてはお前ら俺を町の外に独りで待たせたまま遊んでやがったな?
「緊急事態だったんだよ! 実は
俺はクロニア達と別れてから、いま銀麦亭にいる経緯を2人に話して聞かせた。
「それは… 深刻ですわね。それでその泥棒さんがベルモさんの寄越した盗賊さんで間違いないのですか?」
「それはまだ分からない。でも女将さんが言うには俺達を訪ねてきた奴はまだ1人も居ないらしい。そいつは俺に『寝坊して人を待たせている』と言っていたから、可能性はかなり高いと思う…」
ティリティアと俺がヒソヒソと話している所に、女将との商談を終えたクロニアが戻って来た。
「だからって関所破りは見つかれば極刑だぞ? 全く、大人しくしていろとあれほど…」
「ちょっと良いかい? アンタらの客ってひょっとしたら『ここ』じゃない所に行ったかも知れないよ?」
頼まれた保存食を店の奥から持ち出してきた女将が話に割り込む。声を潜めていたので俺達の話の内容は女将には聞かれてはいないはずだが、タイミングが悪すぎて心臓に悪い。
更に心臓に良くないのは女将の放った新情報の爆弾だ。
「南門から
そう言えば初めてラモグに入った時に、門衛のおじさんから同様の説明を受けた覚えがある。ラモグ=銀麦亭という意識でいたので、別の宿の可能性を微塵も考えなかった。
ついでに言うなら、その『すずらん亭』とやらにベルモの盗賊が向かっていた場合、そいつとはすれ違った挙げ句、無関係のスリガキは宿に来る必然性皆無のまま、町の何処か、或いは既に町の外に出てしまっているかも知れない。
もしそうなら全てに於いて手遅れとなり、財布を取り戻す事すら絶望的となってしまう……。
「おいコラ、顔を青くしている場合か!? 今すぐ『すずらん亭』に向かうぞ!」
こういう時に切り替えが早くて決断力のあるクロニアは本当に助かる。俺達は銀麦亭を出て、押っ取り刀ですずらん亭へと走っていった。
☆
すずらん亭と銀麦亭は広場を挟んだ徒歩1〜2分程の距離、俺達が辿り着いた時点ですずらん亭では既に一悶着起きていた。
「てめぇこのガキ! 俺の財布をスリやがったな!」
「ボクはオジサンの財布なんて知らないよ! …あれ? こんな所に見知らぬ財布が…? きっとすれ違った拍子にボクのポケットに入ったんだよ。勝手に入ってきたんだからボクは悪くないよ!」
ドンピシャ、早速例のスリガキを見つけたぞ。ゴロツキ風の男と揉めている。どうやらあのゴロツキさんも俺と同様の被害を受けたみたいだな。
「ふざけんな! 盗みをしらばっくれやがって… クソガキが、その腕へし折ってやる!」
ゴロツキ男は年甲斐もなく、小学生くらいの子供に本気で掴みかかっている。周りには数人の見物人が居るが、ゴロツキ男の仲間なのか関わり合いになりたくないのか、敢えて子供を助けようとする奴は居なかった。
「おい、あの子がお前の言うスリじゃないのか? どうするんだ…?」
クロニアに耳打ちされる。どうするかなぁ? 俺も被害者だから心情的にはゴロツキに味方したいんだけどなぁ、クロニアもティリティアも『子供を助けろ』オーラ全開で俺を見つめてくるんだよなぁ……。
えー? これって俺がやらなきゃいけないのかなぁ? 俺って指名手配されてるから目立つ真似は極力避けたいんだけど…?
などと考えつつも、あの子をゴロツキの良い様にされたら、俺の財布ごとゴロツキに持って行かれる可能性もある。ガキを捕まえて懲らしめるにしても、それは俺たちでやるべきだろうな。
「えー、ゴホン!」
彼らの前でわざとらしく咳払いなどをして見せる。ゴロツキとスリガキ、両方の視線が俺に向けられた。
「なんだぁテメェは? 邪魔しようってんならテメェも容赦しねぇぞ…?」
ゴロツキのこの反応はまだいい。問題はだな……。
「あーっ! さっきの親切なお兄さんだ! ねぇボク今悪い奴に絡まれてて困ってるんだ。助けてよ!」
言うが早いか、スリガキは俺に向かって突進、抱き着いて来たのだった……。
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