第3話 地獄の魔王軍かかりつけ医

「よし、経過は順調だな。何度でも言うが、暴飲暴食はくれぐれも厳禁だ。はい次」


 ここは魔王軍のかかりつけ医の医務室。

 今日も今日とて、多数の魔族患者が彼の元を訪れる。

 短く刈り揃えた髪型が精悍な印象を与える、二十台後半から三十代前半に見えるかかりつけ医の男。

 その、かかりつけ医の男に診察されている魔族の患者がたずねる。


「先生、いつまで食事制限を続ければ良いんでしょうか? もう薄味の味気ない食事が辛くて」


「一生ずっと続けていくんだよ! 糖尿病が治っても、濃い味付けの料理やお菓子は週に一回。頑丈な魔族の身体に感謝することだな。そもそも人間なら、糖尿病は不治の病なんだぞ!!」


 そう叱って、魔族の患者を追い出す人間の男。

 名を代紋だいもん 未知男みちおという。

 ショウタと同じく、この世界に転移した日本人である。





 ──これは一匹狼の医師の話である。

 大学病院の医局は弱体化し、

 命のやり取りをする医療も、ついに弱肉強食の時代に突入した。

 その危機的な医療現場の穴埋めに現れたのが、フリーランス。

 すなわち一匹狼のドクターである。

 例えばこの男。

 群れを嫌い、権威を嫌い、束縛を嫌い、

 専門医のライセンスと、叩き上げのスキルだけが彼の武器だ。

 外科医・代紋未知男、またの名を「医師エックス」

『自分、失敗しないので』





「やめろ、危険なナレーションを入れるんじゃない!」


「先生? 誰に向かって話してるんですか?」


 突然あらぬ方向へ向かって叫んだ代紋医師に、患者の魔族がいぶかしげに尋ねる。

 代紋医師はレンズの入っていないフレームだけの眼鏡を指で押し上げると、目の前の患者魔族に答える。


「気にしなくても良い。それで君は身体のどこが辛いんだ?」


「それよりも先生はいつもソレを掛けてますけど、何か意味があるんですか?」


 と、眼鏡を指差す魔族患者。代紋医師は咳払いをひとつ。

 目と目の間の、フレームの中央を指先で押さえながら彼は答える。


「この世界に来て視力は改善したのだが、どうにもコレを掛けていないと落ち着かなくてな」


 医師エックスこと代紋未知男。

 この世界に転移した際に、医学チートと肉体能力向上の恩恵を受けている。

 そして彼は、その能力で『魔王』を倒した立役者でもある。

 そんな彼が魔族患者の診察を終えて、次の患者を待っている時。


「先生、帝国からの使者が今日も来ましたよ」


 そう告げる看護師兼助手の女性魔族。

 代紋医師はため息を吐く。

 そして頭を振りながら愚痴をこぼす。


「またか。毎日りもせずにご苦労な事だ。こちらも、余計な時間を取れる身分では無いのだがな」


 そんな彼の嘆きも構わず診察室に入ってくる、鎧を全身に着込んだ護衛の騎士とその騎士をお供に連れた人間の男。

 男は揉み手をして代紋医師に声を掛ける。


民草たみぐさに医師エックスと呼ばれるダイモン先生におかれましてはご機嫌うるわしゅう……」


「毎日無駄な足労そくろう大変だな。だが何を言われても答えはノーだ。帰りたまえ」


「皇帝様は帝国政府お抱えの医師として召し抱える準備が……」


「いたしません」


「それだけにとどまらず、医師組合の責任者として存分に采配をふるって……」


傀儡かいらいの責任者など、いたしません」


「魔王を倒した勇者としての叙勲じょくんも、いい加減受けてもらわないと……」


「『魔王』討伐の最大の功労者は誰か、貴方も知っているのだろう? 叙勲だって受ける事など、いたしません」


「うう……。成果もなく手ぶらで帰らねばならない私の立場も、少しは考慮……」


「いたしません。さあ帰りたまえ」


 そして腕組みをして、帝国からの使者を睨みつける代紋医師。


「私、診察したいので」



*****



「ダイモン先生、魔王様も今日来られました」


「まったく。どうせ断っても魔王の権限を使って強制的に来るのだろう? お通ししてくれ」


 そして入室する、イケメン王子の女魔王。

 真っ黒で、棘があちこちに付いた厳ついデザインの鎧を着込んでいる。

 見た目に反して意外に軽いのに防御力が凄いのだ、と代紋医師は聞かされた事がある。

 強化プラスチックのような物なのだろうな、と彼は想像している。


 後ろに、宰相として魔王の補佐も務める双子の弟のトスティも控えている。

 さらに、遠くに黄色い歓声をあげて見守る、追っかけファンの魔族女性が何人も。

 代紋医師は、彼女達の視線をカットすることも兼ねてドアをバタンと閉めた。


 それでも座らない魔王。

 チラチラと流す視線の先には、頬を染めて魔王とその弟を見つめる代紋の看護師兼助手。

 医師エックスこと代紋未知男は、軽く手を振り助手を追い払った。


「無理を言ってすまないな、ダイモン先生」


「ほぼ毎日の事ですからな」


「先ほど帰ったのは、マヌカ帝国の者か。『魔王』討伐の功労者の先生を拒絶しておいて、今さら戻ってくれだなどと厚かましいにも程があるな」


「魔王様も人のことは言えんでしょう。その同じ功労者のショウタを追い出したんだから」


 そう言った瞬間、代紋医師はしまったと思ったがそれこそもう遅い。

 キリリと凛々りりしいイケメン王子な女魔王の顔が、クシャリと崩れて目に涙が浮かぶ。

 そのまま両手で顔をおおい、泣き始めた。


「うわーんそうなのだ〜! 私はいつまでもそばにショウタがいて欲しかったのに、ドノエル達が勝手にいいぃぃィィ!!」


「昨日言った事はやってみました?」


「うう、ヒック……ああ、先生の言った通りに第三ボタンまで外してみた」


「余計な仕草しぐさはしてませんな?」


「ああ」


「ふむ。あのオッパイ星人のショウタがそれでも動かないとは、相当な決意の固さですな」


 ガァーン! という擬音が聞こえそうなぐらい、魔王アスティの顔色が真っ青になる。

 今にも泣きそうな表情で代紋医師に駆け寄ると、必死にすがり付いた。


「だだだだダイモン先生、それは困る! 私はショウタの手作りプリンを、心ゆくまで食べたいのだ!」


「ショウタのプリンを食べたい……ね。しかし今でもシードルくんを迎えに行った時に、プリンは食べてきているのではないのですかな?」


「う……そ、それは……。そ、そうだそれは、今は交易が行われているとはいえかつての敵地で食べるよりは、安心できるこの魔王城で食べたいというか……」


「おや、姉上はいつもショウタの店の二階は落ち着くから気に入っている、と私に話してくれているではないですか」


 と、そこへ双子の弟のトスティが、意地の悪い表情でそう横から口出しをする。

 魔王アスティはギョッとした顔で振り向き、自分の顔と瓜二うりふたつなイケメン宰相を見た。

 そんなアスティの後ろでは代紋医師が同じく意地の悪い笑顔で目をキラリと光らせ、トスティに向かって親指を立てる。


「うおぉぉん! トスティもダイモン先生も意地悪しないでくれ!! 私は……私は……!」


 目をぐるぐるさせながら頭を抱える女魔王。

 その様子に思わず、代紋医師とトスティは笑い声をあげた。

 笑い過ぎて、目に浮かんだ涙を指で拭いながら代紋医師は魔王アスティに告げる。


「まぁショウタの頭にのぼった血が引くまでは、時間を置くことですな。血がの方に上っていたなら、魔王様が身体で鎮められたでしょうが」


「身体……?」


 代紋医師のセクハラ発言に、一瞬キョトンとしたアスティ。

 その意味が理解できると、顔が今度はでダコのように真っ赤になった。


「かかか身体でショウタの、その、あの、なんだ、たかぶりを……鎮めるなど……!」


 と、声を張り上げかける魔王。

 しかしすぐに口唇を尖らせると、視線を横にしてそっぽを向く。

 そして両手の人差し指の先同士をチョンチョンと突つき始めた。


「し、しかしだが……しょ、ショウタが、もしどうしても、と言うのなら、その、べ、別に私は……」


 そんな魔王アスティの様子に苦笑いしながら代紋医師はつぶやく。


「ショウタもそこまで魔王様に想われて、光栄ですな」


「うむ! 私はショウタの作るお菓子が、プリンが大好きだぞ!!」


 満面の笑みで、そう代紋医師に答える魔王アスティ。

 代紋医師と双子の弟トスティは、思わずその顔をまじまじと見つめる。

 そして屈託のない笑顔に、先ほどの言葉が本心から言っているのだと理解。

 トスティと代紋医師の二人は、同時にため息をついた。


 ──この女性ひと、自分の本当の気持ちにまだ気が付いていないのか。



「とりあえずショウタの説得は、しばらく様子を見ましょう姉上。シードルを迎えに行く時間の捻出は、私がなんとかしますので」


「そ、そうか。いつも苦労をかけてすまないトスティ」


 弟のその発言に、ひとまず納得した様子の魔王アスティ。

 最後に思い出したように代紋医師に訊いた。


「ところで私は考えたのだが、ショウタの代わりにダイモン先生が四天王を……」


「いたしません。私、診察したいので」



*****



「ショウタ殿のプリン。ショウタ殿のプリン。ショウタ殿のプリン……」


「黙れバウ。だんだんあやしい世界のワードに聞こえてくるだろう」


「ねえドノエル、いつになったら私達の紹介がされるのかしら?」


「余計なことは考えるな、カロン。我らはいついかなる時でも臨戦態勢でいれば良いのだ」


「プリン、プリン、プリン」


「黙れバウ」

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