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催し物は嫌いではないが、以前と比較するとその熱気に乗ることが難しくなった──とクラリッサはつくづく思う。
北の島の民たちのほとんどは、クラリッサに対して気さくに接してくれる。特に仕事を共にしたモーワンや女たちは、友人か己が子供のように話しかけてくる。
それが嫌な訳ではないが、慣れぬ空気感と自分にしかわからないであろう疎外感に晒されている中で笑顔を保ち続けているのははっきり言って苦痛に等しい。島の女たちからもらった菓子と、子供たちから首やら頭やらに飾り付けられた装飾品をそのままに、クラリッサはこっそり人気のない木陰へと逃げ込んだ。
「……疲れたあ」
まだ日は高い。直に、ネツァ・フィアストラに対する儀式も行われるだろう。
アロヒュリカに見つかれば単独行動は控えろと注意されそうなものだが、たまには一人の時間というのも大切だ。クラリッサは木の幹を背もたれ代わりに座り込み、そっと目を閉じた。
遠くから、人々の騒ぐ声や、何やら楽器を打ち鳴らす音が聞こえる。故郷──大陸では見聞き出来ないであろうそれらに不快感はないものの、当事者として受け入れるのは
クラリッサは人嫌いではない。しかし、不特定多数の人物と話し続けて平気でいられる程、他人との関わりを楽しめる人間でもない。
生ぬるい風を頬に感じながら、たった一人異国に取り残される。時間が止まったかとも思える感覚に、逆らうことなく、凪いだ精神のまま
「──クラリス様?」
──と、此処で心地よい孤独は呆気なく終わった。
おもむろに目を開けてみれば、すぐ側には心配そうな眼差しを向ける女──メクティワがいた。祭事だからか、いつもより着ているものの柄は緻密な凝ったもので、装飾品の数も多かった。
「ああ、良かった……。日に当たりすぎて、気を失われていたのかと思いました。具合は大丈夫ですか? 私で良ければ、お水をお持ちしましょうか」
「いや、へーきへーき。ちょっとお昼寝してただけだよ、気にしないで」
冷静になって考えてみれば、メクティワの反応も尤もである。たしかに、この祭りの日に人の輪から外れて、一人ぼっちで目を閉じているなど、ある意味不気味にも感じられよう。
さすがに引かれたかな、と軽く後悔していると、メクティワはおずおずとクラリッサの隣に腰を下ろした。そして、躊躇いがちにこちらへと向き直る。
「その……意外です。クラリス様はこの島の民から好かれておいでなのに、お一人でいらっしゃるなんて」
「うーん、申し訳ないんだけど、ちょっと気疲れしちゃってね。皆には良くしてもらってるけど、それでもさすがに休憩したくなっちゃってさ。お仕事をサボってる訳じゃないんだし、皆には内緒にしてくれないかな」
お願い、と両手を合わせると、メクティワは柔らかく苦笑した。
「ご安心ください、私も同じようなものですから。クラリス様のおっしゃったことは誰にも言いません」
「おっ、ありがとー。メクティワさんも共犯ってやつだね」
いしし、とクラリッサは悪どい笑みを浮かべる。悪戯仲間を見つけた悪童のような笑いだった。
いかにもおとなしく、やんちゃとは無縁にありそうなメクティワだが、クラリッサの言わんとするところはすぐに理解したらしい。神妙な顔つきでこくりとうなずいてから、ふふ、と口元に手を当て、つられて笑みをこぼした。
「クラリス様は、不思議なお方ですね。大人の女性なのに、時たま私よりも幼く見える」
「へへ、こう見えて子供心を忘れていないからね。いつでも心だけは若々しくありたいのさ」
「あら、十分若々しくていらっしゃいますよ。今のお顔だって、未婚の少女のようですもの」
恐らく自分より若いであろうメクティワにそう言われると、何だか複雑な気分である。婚期の平均が遅くなりつつある大陸でも、クラリッサは行き遅れに分類されそうなものなのに。
クラリッサが喜んでいないことを、メクティワも察したのであろう。小声で申し訳ございません、と謝罪してから、彼女はふと視線を外した。
「……──」
メクティワが口ずさむ旋律。異国の響きを持った歌。
彼女がか細く紡ぐそれは、今日の祭りでネツァ・フィアストラを讃えるものに違いない。クラリッサもツィカの指導でほとんど歌えるくらいまで上達していたから、それが何かを即座に判断することが出来た。
「メクティワさん、歌、上手いねえ」
そう声をかけると、メクティワは顔を上げて、ぱちぱちと何度か瞬きをした。
「いえ、私など、そんな……。皆が歌うものですから、ある程度慣れておかないと」
「まあまあ、褒められた時は素直に受け取るものだよメクティワさん。あたしなんて、ついこの間覚えたばかりなんだ。慣れ親しんだものであっても、何も見ずに暗唱出来るってすごいことなんだぜ?」
それを責めるつもりはないが、素直に賛辞を受け取ってもらえないのはどうにも気持ちが悪い。何だか余計なことをしたような気分になるし、理由はどうあれ否定されるのは好きになれない。
むう、と年甲斐もなく頬を膨らませているクラリッサを、メクティワはしばらく不思議そうに眺めていた。……が、すぐに申し訳なさそうな顔になる。
「すみません、私ったら、失礼を……。普段、このように称賛されることがあまりないもので、どう答えたら良いかわからないのです……」
「いやいや、気にしないでよ。謝る程のことじゃあないって」
メクティワのことが苦手な訳ではないが、こうも謝罪ばかりだとやりにくいことこの上ない。もう少し自分に自信を持ってくれても良いものだが、こればかりは彼女の境遇にも起因しているのだろうし、あれこれと意見するのは得策ではなかろう。
「そういえば、ツィカも歌が上手なんだよね。教えてもらったって言ってたけど、もしかしてそれってメクティワさん?」
話を逸らすついでに、前々から気になっていたことも聞いてみる。仲が良いと耳にした時から予想はついていたが、実際に問うてみた方が手っ取り早い。
この問いかけに対して、メクティワはええ、と珍しく朗らかな笑顔を見せた。そして、ずいと距離を詰めてくる。
「その通りです。短い期間でしたが、北端の島へ行くことを許されていた時期がありましたもので、その時に……。随分前のことですが、あの子は覚えてくれているのですね」
「なるほどね。すごく楽しそうに歌うから、きっとツィカにとって良い思い出なんだろうね。初めて聞いた時はあんまり上手だからびっくりしちゃった」
「あの子は、昔から歌うことを楽しんでいましたから……。今でも、のびのび歌っているのでしょう。喜ばしいことです」
それに、とメクティワは続ける。
「恥ずかしがり屋で無口なあの子が、自分の歌を披露するとは……。クラリス様のことを、それだけ信頼していることの証ですね。あの子はずっと北端の島に一人きりでしたから……気の置けないお相手が出来たというのは、姉としても嬉しく思います」
「無口なのはわかるけど、ツィカって恥ずかしがり屋なの? 割りと大胆だよ、あの子」
「それは、クラリス様に心を許しているが故でしょう。初めて旦那様にお会いした時なんて、一言も口を利かなかったのですよ。旦那様の遣いに対しても同じような反応だと聞いていますし、そもそも自分から発言したり、誰かに接触しようと試みたりすること自体珍しい子ですから。クラリス様はあの子にとって、特別な人に違いありません」
こうも断言されると、少し気恥ずかしい。クラリッサはそうかなあ、と頬を掻いた。
何がツィカの琴線に触れたのかはわからないが、信頼を得られている──もっと言えば、特別な人として扱われているかもしれないというのは素直に嬉しい。
クラリッサには友人らしい友人などほとんどいないし、嫉妬ややっかみを受けることはあっても心を許してくれる者は兄くらいのものだった。本人がこの調子なので気取られることはあまりないが、前向きな感情を向けられるとやはり気分が良い。特にツィカとは気が合う、と思っていたから、その喜びはひとしおだ。
「……ま、信頼してもらえてるならそれに越したことはないかな。話し相手がいるってだけで、あたしとしては万々歳だよ」
──が、良い大人が憶測で大はしゃぎするのはいくら何でも見苦しい。クラリッサは平静を装って誤魔化した。
その真意をメクティワが悟ったかは不明だが──彼女はふふ、と笑いをこぼしてから、おもむろに立ち上がった。
「そろそろネツァ・フィアストラ様への儀式が始まる頃合いですね。クラリス様も参加されるのでしょう?」
「ああ、うん。アロヒュリカさんはそう言ってたけど、部外者が参加するのもどうかなって感じだよね」
「何をおっしゃいますか。フィアスティアリはクラリス様を受け入れたも同然。ならば、ネツァ・フィアストラ様も同様でしょう。ネツァ・フィアストラ様は争いや殺生を好まぬ神ですから、協調の姿勢を見せてお怒りにはならないはず。むしろ誠意と受け取られると私は思っています」
あたしを受け入れたのはあくまでもアロヒュリカさんだよ──とは言わなかった。さすがにここで水を差すのは無粋だ。
「──じゃ、行こうか。メクティワさん、案内頼める?」
すっくと立ち上がって、クラリッサは伸びをする。
そんな彼女を見上げ、メクティワは至極穏やかな声色で、承知致しました、とうなずいた。
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