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ツィカの住まいでもある最北端の島とは異なり、案内された先では住民が生活を営む空気をまざまざと感じ取れた。
アロヒュリカはあまり人気のない場所を選んだようだったが、それでも誰ともすれ違わない訳にはいかない。彼の家に案内されるという話だったが、その途中でクラリッサは何人もの民から視線を送られた。──ついでに言えば、木陰で休む鳥たちにも。
「──どうぞ、お上がりください。足下にお気をつけて」
アロヒュリカの屋敷は、周囲の家屋と比較して床が高く、クラリッサは
通された部屋は日光を遮断した薄暗い場所だったが、空気は暖かく──いや、蒸し暑いと形容すべきものであった。クラリッサは室内に入るなり、ああ暑い、と文句を垂れて被っていた布を外す。
「直射日光もえげつないけど、こう、じめじめとした暑さも
「申し訳ありませんが、そこは堪えていただきたい。フィアスティアリは、一年を通してこういった気候なのです。慣れていただく他に手立てはございませんので、悪しからず」
おかげですっかり汗だくだ、と額を拭うクラリッサを見ても、アロヒュリカは顔色を変えない。かといって露骨に嫌悪感を
アロヒュリカはつと視線を移ろわせ、クラリッサとその後ろに控えているツィカへ座すようにと促す。床には、植物を編んで作ったと思わしき敷物がある。
客人が腰を下ろしたことを確認してから、アロヒュリカは同様に座った。そして、淡々とした声音で言葉を紡ぐ。
「クラリス殿──とおっしゃいましたね、あなたは。その肌や髪の毛の色からして、カペトラ族──フィアスティアリの民ではございますまい」
「そうだね、あたしは大陸の者だよ。この島々のことなんて何も知らない、哀れな遭難者」
「その節は誠においたわしく思います。フィアスティアリ近海は、そう荒れることはないのですが……珍しいこともあったものです」
「──天駆ける太陽神様がお怒りになられた。罪を許されざる白き人が立ち入った故に」
茶化すような口調から一変、クラリッサは静かに切り込んだ。
アロヒュリカははっと
「──なーんてね。冗談だよ、気にしないで」
これに対して、クラリッサは明るい物言い、かつ大袈裟な身ぶりで返した。後方に侍っているらしい下人が、ごほんとわざとらしく咳払いしたのが聞こえたが気にしない。
「いやあ、カペトラ族?の人たちって、白い肌の人を避けるって聞いたからさ。あたしのことも良く思ってないのかな、気持ち悪く見えてるのかなって考えちゃって。ちょっと試してみたのでした、ごめんね」
「……それは、エツィカシュイムから聞いたのですか?」
「うん。でも、簡単に教えてもらっただけ。生憎、あたしは頭が良い方じゃないからね。そういった小難しい話よりも、食べ物だとか、あとは貝殻とか綺麗なものの話の方が楽しくて。だから、ここの人たちが信じてるものは、断片的にしかわからない」
だからあれこれ批評するつもりはこれっぽっちもないよ、とクラリッサは付け加えた。たとえ見知らぬ土地の信仰であろうとも、
クラリッサが言葉を連ねている間、ツィカは一言も発することなく座ったままだった。彼の横顔を盗み見る機会はなかったので、クラリッサは憶測する他になかったが──きっといつも通りの無表情なのだろう、と思った。
「……なるほど。あなたはカペトラ族を真に理解してはいないが、拒み、忌避しようともしないのですね」
ふぅぅ、と細く息を吐くのはアロヒュリカである。
彼はそっと目を伏せる。だが、長い睫毛が彼の肌に影を落とすことはない。漆黒の肌は、影すらも吸収してしまうのだ。
「たしかに、我々カペトラ族は白き皮膚を有した者を罪人だと教わって育ちます。彼らはネツァ・フィアストラ──この島々において最高の
「その割には、あんまり邪険にしないよね。あたしにも丁寧だし、乱暴だってひとつもしない。それは一体どういうこと?」
「……白き皮膚の者たちを恐れ、忌避し続けて
クラリッサが、淡い緑色の目をすがめる。口には出さなかったが、その眼差しは意外だ、と語っている。
そんな彼女の視線に動じることなく、アロヒュリカは平坦な口調で続けた。
「フィアスティアリは、絶海に浮かぶ群島。かつては、船上にて生活を営む漂流民と交流することもありましたが……。伝え聞いた話によると、彼らとのやり取りは百年程前に途絶えたといいます。我々は、外部との繋がりを失ってしまった」
「ああ、百年前っていうと、ちょうど大きい戦争があった年代かな? 世界各地に伝播したから、ここの人たちと仲良くしてたところも何かしらの影響を受けたのかもしれないね」
「……世界規模の戦争、ですか……」
アロヒュリカが何を想像したのかはわからない。ただ、良い気分にはなれなかったのだろう。彼は僅かに眉根を寄せてから、気丈に顔を上げた。
「フィアスティアリの外で何があったのか、我々の知るところではありません。しかし、多かれ少なかれ世界は変わったのでしょう。その変化に、我々は追従しなかった」
「出来なかった──とは、言わないのかい?」
「我々の祖先が何を思ったかは不明ですが……何であろうと、彼らは外界に踏み出そうとしなかった。それだけは確かです」
この時、何か相槌を打つべきだったのだろう。
だが、クラリッサは沈黙を選んだ。つい数日前に知ったカペトラ族のことを、今この場で偉そうに評するのは気が引けた。
アロヒュリカが彼女の意図を汲み取ったのかはわからない。彼は何事もなかったかのように話を続ける。
「そういった訳で、我々カペトラ族はここ百年外部との接触を絶った状態にありました。同族間で交易することはありましたが、それ以外は皆無です」
「極めて閉鎖的な共同体となったのだね。しかし、君はとても
クラリッサの問いかけに、若き首長は重々しくうなずく。
「我々は白き皮膚の者に忌避感を抱いてはいますが、憎悪や殺意の類いはそれほど強くありません。フィアスティアリの中には、過激な思想の者もいますが……少なくとも私は、我々を害さない存在であるのならば、助け合っても問題はないと思っている」
「助け合う──ということは、何か助けて欲しいことがあるのかい?」
「あなたに頼むつもりはありません。……しかし、早めに事を打たなければ、カペトラ族は遅かれ早かれ消滅することでしょう」
ひゅ、と背後で息を吸い込む幽かな音が聞こえた。それがツィカのものか、はたまたアロヒュリカに仕える下人のものか……詳細は定かではなかったが、誰かが衝撃を受けたことは確かだった。
外界の者に頼らなければ、部族が消滅する。そう聞いたクラリッサは、至極冷静な面持ちをして尋ねた。
「……それは、どういうことだい?」
「フィアスティアリには、新しい流入者がいない。それゆえに、我々は島にいる者同士で子孫を繋がなければならないのです。加えて、婚姻には幾つかの決まりがある。私個人としては、非常に煩わしいものではありますが……カペトラ族にとっては、なくてはならないものです。我々の婚姻は、縛られた中で成立する」
アロヒュリカは物憂げに息を吐いた。
「フィアスティアリに住まう人々は、年々減少しています。流出することはありませんが、亡くなる人と生まれる人が比例していないのです。それに加えて、結婚はしきたりに従わなければならない。──同じ島の人間としか、カペトラ族は婚姻の
「それは困ったものだね。最悪、血縁同士で結婚しなければならなくなるじゃないか」
「……その最悪の状況に、現在陥りかけているのです」
ひええ、とクラリッサはやや大袈裟な反応を寄越した。これでも、気を遣った方だった。
大陸における『大いなる神』は、近親相姦を重罪としている。いとこやはとこ同士で事に及ぶなど、もっての他だ。
しかし、禁忌とは時に魅力的に映るもの。親族同士の禁断の恋を描いた戯曲は少なくなく、クラリッサも仕事で何度か演じたことがあった。それゆえに、人よりはそういった事情に対する理解は持ち合わせていた。
これは倫理的な問題が大きいのだろうが、一族が滅びないために定められたこととも言われている。詳しいことはクラリッサの知るところではないが、血が濃くなりすぎると産まれてくる子に悪影響が及ぼされることもあるという。
詰まるところ、アロヒュリカたちカペトラ族は、フィアスティアリの民だけで共同体をやりくりしなければならないのだ。外部から人が流出することもないため、カペトラ族のみでその関係は成り立たせる他に方法がない。
「それじゃ、何だい? その窮地を脱するために、あたしを
「あなたには頼まないとお伝えしたはずです。今回の一件は、我々に予期出来たものではありませんでしたからね。しかも、エツィカシュイムが関係したとなれば、尚更慎重に扱わなくてはならぬ案件です。首長の私が、判断を誤るなど許されない」
眉間の皺をさらに深めたアロヒュリカは、自分に言い聞かせるようにそう言った。自他共に厳しい性分なのだろうか。それとも、首長としての責任感からそうせざるをえないのか。
冗談半分で口を出したクラリッサではあったが、何はともあれ慰みものにされないという点には心から安堵していた。自分のような不真面目で悪ふざけの過ぎる、しかもカペトラ族からしたら素性も何もわからない怪しい女を食い物にするなど、素性にも程がある。
アロヒュリカは、厳粛な面持ちでクラリッサへと向き直る。知らず、漂流者の背筋は伸びた。
「……クラリス殿。当面の間、フィアスティアリへの滞在を許します。衣食住を提供させていただくことは勿論、あなたの身に危険が及ばぬよう、我々は力を尽くしましょう。このような状況では難しいと思いますが、どうか安心して過ごしていただきたい」
「ありがとう、アロヒュリカさん」
「ただし、フィアスティアリにいる以上、あなたにはフィアスティアリのきまりに従っていただきます。そして、我々が消滅することを避けるためにも──ある程度の協力をお願いしたい」
「なるほど、等価交換ってやつだね。そういうことなら、クラリス様が手伝ってやってもいいぜ?」
にっと歯を見せて笑ったクラリッサを、アロヒュリカは顔をしかめつつ見据える。若く真面目な首長は、彼女のふざけた態度を受け入れるのに難儀しているようだった。
とにもかくにも、居場所が確保出来たことは大きい。アロヒュリカはクラリッサのことを完全に信用した訳ではなさそうだし、まだ味方だという確証もないが──端から疑心暗鬼になって、相手を決め付けてかかるのも無粋だろう。クラリッサは首長の厚意に甘えることにした。
「それで、協力っていうのは、具体的にどんなことをすればよろしいので? 家事は苦手だけど、お喋りは得意だよ。子供のお守りだとか、ご老人の介護だとか……そういったお仕事なら、任せてくれて構わないんだけど」
先程よりは誠実な風で問いかけると、アロヒュリカは少し首を捻ってから答えた。
「いえ、労働をしていただきたい訳ではないのです。あなたが住まう大陸の話を聞かせていただければ構いません。時に、別の話題を持っていくこともありましょうが……今のところは、そちらの情報を教えていただくのみで結構です。出来れば、島の者とも交流を図っていただけますと助かります。彼らもまた、現状を打開したいと思っているはずですから……きっと、悪いようにはしないでしょう。何かあれば、こちらで対処させていただきますから」
「ありゃ、そうなの? 色々手助けしてもらうっていうのに、それじゃあ釣り合わないような気もするなあ」
「いいえ、そのようなことはございません。何せあなたには、エツィカシュイムの側に付いていただくという大任があるのですから。それ以上の負担はかけられません」
エツィカシュイム、という呼び名はどうにも慣れないが──ツィカと引き離されることは今のところなさそうだ。信用出来る人物が近くにいるというのは、純粋にありがたい。
クラリッサはどん、と大仰に胸を叩く。歌劇では役者という立ち位置にもなるため、芝居がかった身振り手振りはお手のものだ。
「ま、助けてもらったのは確かだしね。あたしに出来る限りのことはやるよ。改めてよろしくね、アロヒュリカさん」
「ええ、こちらこそよろしくお願い致します、クラリス殿。……エツィカシュイム、お前も礼を」
アロヒュリカから視線で促され、クラリッサの後ろにいたツィカがごそごそと居住まいを正す。気を張っているのか、その表情は無表情ではあるものの
(ツィカでも、お偉いさんには緊張するものなのかねえ)
ぎこちない所作で頭を下げるツィカに普段と変わらぬ声色でよろしくー、と返しつつ、クラリッサは誰にでもなく内心でそうぼやいた。
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