死んだっていいじゃないか

たまごかけマシンガン

死んだっていいじゃないか

 ドアノブに紐を括り付ける。そのまま扉の上から紐を通し、輪っかを作って首を入れる。後は椅子さえ倒せば、もう苦しまなくてよくなる。なのに、どうして私はいつもそこで終わってしまうのだろう。


 インターネットで「楽な自殺方法」と検索すると、一番上に電話相談とやらが出てくる。私はそれが大嫌いだ。いつもは忠実に必要な情報を教えてくれるスマートフォンが、こんな時にだけ薄っぺらい綺麗事を語るのが気持ち悪かった。そもそも、心の傷は顔も知らない他人に話して癒えるものでもないし、話す気にすらならなかった。


 そこら辺に蔓延る、「明るい名言」とやらも大嫌いだ。そんなもの、ただ本人が自己陶酔に浸るために書き記したものにしか見えなかった。誰も私とは違うのに、私の苦しみなんて分かるはずもない。にも関わらず、平然と何の根拠もない戯言をこぼし、周りの人間を惹きつける様は、まるで詐欺師みたいだ。


 これらも私の歪んだ精神の見せるまやかしなのかもしれない。本当は皆、心の底から私達に手を差し伸べようとしているのかもしれない。もはや、それを確かめる術は無い。ただ、一つだけ確信して言えるのは、「自殺はよくない」という考え自体、私は大嫌いだ。


 別に、死んだっていいじゃないか。


 世の中の人間たちは異口同音に「死ぬな」と言う。「何故?」と聞かれると、「生きてたら、きっと良いことあるよ!」と当たり障りの無い答えを返す。一切の根拠はなく、本当に無責任な言葉だ。ただ自分が幸せになれたというだけで、全ての人類に等しくそれが当てはまると思い込んでいる。そんな荒唐無稽な論理なのに、それが社会の大通りを闊歩している。


 そのせいで、あらゆる場所で自殺はタブー視されている。某大手小説投稿サイトですら、わざわざ利用規約に、自殺を助長する表現は禁止するよう書かれている。そういった考えが社会に浸透することは、私たち自殺志願者にとって、この上なく迷惑である。国の科学力を使って、我々を安楽死させてくれたら、どれだけ良いことか。そんなことを幾度となく考えてきた。


 「自殺は他人に迷惑がかかるから良くない」と言うが、そもそも他人に迷惑をかけずに死ぬ方法を用意してくれてないなら、私たちにはどうしようもないじゃないか。私たちは自分の意思で「産まれない」事を選択出来ないのに、死ぬことすら選択できないなんて、とんだ理不尽な話だ。


 そこまで考えていて、尚、椅子が倒せないのは何故だろう。失敗したら後遺症で一生苦しむから? 周りの人に迷惑をかけるから?


 どの理由も当を得ているようで、何だかしっくり来ない。綿密に計画したので失敗することは無いだろうし、今更、他人の心配なんてしなくていいじゃないか。でも、それでも死ねないのは、きっと「死にたくない」と思っているからだろう。


 死んだ方が楽だってとっくに結論は出ている。ふとした拍子に、すぐ「死にたい」と思う。だが、それと同時に「死にたくない」自分も存在しているのだろう。


——私は、本当に馬鹿だ。


 馬鹿な自分を呪いながら、床につく。こうしてまた、最悪な毎日を迎えるのだ。いつか、死ねる日を待ち望んで。

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