9 次世代のショコラショー
それから数年。真鍋製菓は業界最大手と呼ばれるまでに成長した。
チョコに向かう二人の日々に変わりはないが、一つだけ大きな転機があった。
芳乃が社長に指名されたのである。年齢と性別、どちらも異例の抜擢だったが、社内に異論はなかった。魔女に次ぐ躍進の立役者であり、雫とコンタクトが取れる唯一の人物であることも推された理由だった。寝耳に水だった芳乃も、最後には覚悟を決めた。
しかし、新社長の船出を待ち受けたのは、かつてない暴風雨だった。
新型コロナウイルスの流行である。
高い感染力と死亡率を備えたそれは、またたく間に世界に広がり、
「エラい時に社長になっちゃったよ」
芳乃は嘆息した。肩書が変わろうとも、雫の前の彼女は学生のままだ。
「今、わたしたちにできることって何だろ?」
巣ごもり需要もあって、真鍋製菓の業績は悪くない。だがこの状況が続けば、世界的な不況が来るのは確実視される。嗜好品であるチョコレートや菓子が、今まで通り売れる保障はない。いや、商売を抜きにしても、コロナ禍に塞ぐお客様を笑顔にしたい。それこそが菓子屋の存在意義ではないか。
「コロナを治せるチョコとか……無理だよね?」
「馬鹿言わないで」
「だよねー。いくら魔女でもねえ」
「そうじゃないわ。
一度作ったものを、また作る馬鹿はいないでしょ」
芳乃は目を丸くした。そして思い出した。
「……《風邪にきくショコラショー》?」
二人が若い頃に開発した不人気商品だった。
「え? あれ、コロナにも効くの?」
「免疫を高めるチョコだから、何にでも効くわよ。
体内のウイルスは消せないけれど、重症化は防げるわ」
「それって、コロナがただの風邪になるってこと?」
「そうとも言えるわね」
二人は顔を見合わせた。魔女による救世劇の幕開けだった。
《風邪にきくショコラショー》は、医薬品や健康機能食品ではない。効果こそ抜群だが、あくまでチョコ菓子である。本当にコロナに効くにせよ、それを証明し認可を取るには時間がかかり過ぎる。
芳乃は早々に認可をあきらめ、ひたすらチョコを売る戦略に出た。
まずは不人気に終わった原因を徹底的に改善した。ショコラショーにはホットミルクに溶かすという手間がかかる。雫は小さなスプーンにチョコを固め、ミルクをかき混ぜれば、すぐ飲めるようにした。そのまま食べるにも便利になった。
商品名も《魔女のショコラショー》に改め、大々的に売り出した。
コロナを予防する効果を誇大広告ギリギリまで押し出したCMを作り、まずはTVとネットで大々的に宣伝した。
CMの目玉は、雫の起用だった。芳乃に拝み倒され、ついに公表された《チョコレートの魔女》の素顔は、全国の話題をさらった。CM中の雫の台詞、「チョコレートに不可能なんてない」はトレンドになり、マスコミは連日、魔女一色になった。
これを起爆剤に新商品は快調な売行きを見せたが、それはまだ序章だった。
コロナによる患者数が、目に見えて減り始めたのだ。
医師は科学的根拠を理由に否定したが、ワラにもすがる国民にはどうでもよかった。《魔女のショコラショー》は売れに売れ、魔女の名にふさわしい、非科学的な結果を出し続けた。
ショコラショーが国民食として定着した数か月後。マスクは捨てられ、日本はコロナ以前の生活を取り戻した。
この結果を受け、芳乃が目を向けたのは世界だった。欧米の患者数は、日本の比ではない。ワクチンの製造が追いつかず、死者の増加に歯止めがかからない状況だった。
ここで芳乃は英断を下した。
《魔女のショコラショー》の製法を公開し、全世界の製菓業界に協力を呼び掛けたのである。
「この先は商売じゃない。慈善事業よ」
反対意見もあったが、芳乃の意思は固かった。
海外に販路を持つ国内大手はすぐ応じた。しかし国外企業の反応は鈍かった。真鍋製菓の名は海外では知る人ぞ知る程度。科学的根拠も乏しく、眉唾になるのも当然ではあった。
芳乃は一計を案じた。《ガナッシュの魔術師》の召還である。
かつて雫に袖にされた天才、ロペール・ランカスは、魔女手ずからレシピを教えてもらえると聞き、光の速さで来日した。その陰に、芳乃再びの拝み倒しがあったことは言うまでもない。
帰国したロペールは記者会見を開き、真鍋製菓への協力を宣言した。同時に、全世界の製菓業に向け、改めて協調を改めて呼びかけた。
伝統ある名店の看板は伊達ではなかった。欧州はついに重い腰を上げ、製菓業者は分野を問わず、《魔女のショコラショー》のライン製造に着手した。芳乃は販売条件をつけなかったが、商品名は《魔女のショコラショー》で統一され、魔女マークのないパッケージは一つもなかった。
奇跡的な勢いで、ショコラショーは世界に広がった。ワクチンと併用すれば効果が高まるという論文も追い風になり、ついにコロナは駆逐された。ウイルスは消えずとも、ただの風邪に堕したのである。
世界が日常を取り戻した翌年、ノーベル医学賞に雫の名がノミネートされた。
パンデミックを食い止め、世界の防疫を次世代のステージに引き上げた功績は、本命中の本命とされたが、雫はにこりともせず一言。
「興味ないわ」
魔女の目的は常に一つ。
世界に名を馳せてなお、雫は変わらないのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます