第25話 雨

 イベント戦が終わったこともあり、3人で祝勝会でもしようという話になっていたのだが、今日はどうしても武束の都合が付かなかったらしい。


 「いやいやすまない! 今日はどうしても外せない用があってね! 2人きりでチャンスだよ紙手殿……ってうぎゃあああ!?」


 「黙りなさい」


 そんなやりとりがあり、奈津と二人で家路につくことになった。

 ちなみに奈津は学校の敷地内にある寮に住んでいるが、急に「買い物がある」と言い出して俺と一緒に学外に出ている。さすがに俺と2人きりになりたくてそんな事言うわけはないだろうから、きっとそうなんだろう。

 改めて考えてみると、こうしてふたりきりになるのは初めてかもしれない。

 だがなぜか彼女はじっと黙ってしまっている。さすがに沈黙が苦しい。

 おまけに天気も悪く、じめじめした空気で空一面灰色の雲だ。ますます重苦しい。

 どうにかして話をしないと。話題、話題、えーっと……。


 「あーえっと……あ、そういえば、な、奈津はポーカーの日本王者なんだよね? どうしてこの学校に来ようと思ったの?」


 「借金」


 「借金……?」


 そういえば、寺岡がそんな事を言っていた気がする。

 ポーカーの大会で優勝しても返せなかったぐらいの莫大な借金があると。


 「ポーカーバカな親が作ったたくさんの借金」


 「それは……」


 この話題は地雷だったかもしれない。早くも後悔してしまう。

 彼女の様子から、特殊な家庭で育ったのだろうとは思っていたのだが。

 正直、なんと言ったものかわからなかった。

 俺が言葉に詰まっていると、彼女は肩をすくめて言った。


 「この学園は何でも願いが叶うと聞いたから」


 「……ああ、それで借金を返すつもりなんだ」


 納得の理由だ。

 少なくとも、お金で解決することであるなら華戸学園なら余裕だろう。


 「ポーカーバカでそれしか教えて貰えなかったけど。そのおかげでこの学校に入れたことには感謝している」


 「……なんで?」


 「ひょっとしたら会えるかもしれないと思っていたから」


 「……誰に?」


 「私の英雄ヒーローに」


 「……英雄ヒーローって……」


 なんだろう。っていうか誰だろう。

 普通の女子みたいに乙女チックな事を言うんだな。ちょっと意外だ。

 ふと、突然彼女が俺の顔を覗き込んできて、思わず一歩後ろに下がる。


 「元気ない?」


 「……そ、そんなこと、ないよ」


 「嘘」


 でも確かに。葉月先生との会話で受けたダメージがまだ残っている。


 『優しいだけじゃやっていけないよ』


 ほんの少し、あの学園でもやっていけそうな気がしていたのだが、俺はやっぱり無理なのかもしれないなぁ。

 はぁ、と大きなため息をついた時。


 ぽつ、ぽつと冷たい水が頭に降りかかってくる。

 雨か……。

 衝撃的なことに気づいてしまい、はっとする。


 ……まずい!


 「カードが濡れるっ!!!!」


 俺も奈津も、とっさに鞄を胸に抱えて少しでも濡れないようにする。

 傘など持ってきていなかった。

 カードが濡れてしまったら、下手したら対戦で使えなくなってしまうかもしれない。


 「……奈津、折りたたみ傘持ってる?」


 「ない」


 ならば仕方ない。


 「……俺の家に行こう。ここからならすぐだから」


 「わかった」


 その恰好のまま2,3分ほど走り、なんとかマンションにたどり着いた。


 「……えーっと。ごめん、狭い部屋だけど」


 「いい」


 急いで部屋の奥に置いてあるタンスからタオルを2枚取り出し、1枚を奈津に渡す。


 「……はい、タオル」


 「ありがとう」


 走ったとはいえ、奈津は全身びしょぬれになっていて服が肌にぴったりくっついて、白い下着が透けている。

 見てはいけないものを見てしまって、慌てて目をそらして体を拭く。


 「え、えっと……風邪ひくとよくないし、よかったりゃ、しゃ、シャワー、使う?」


 噛み噛みになってしまったが、下心なんて無い。無いったら無い。


 「あなたはいいの?」


 「……お、俺は大丈夫。カードが無事かどうか見とくよ。先にどうぞ。……着替え用にまだ使ってないTシャツとかあると思うから、探しておくよ」


 「じゃあ。使わせてもらう」


 奈津は突然じっと黙った。何を言うかと思えば。


 「覗かない?」


 「……覗かない!!」


 「そう」


 なぜかちょっと残念そうな声で脱衣所の方に入っていった。

 いつも自分が過ごしている部屋でクラスメイトの女の子が裸になっている。その事実だけで心臓が跳ねまくっている。覗くなんて度胸は毛頭無い。

 衣擦れの音が妙に生々しい。

 奏星なら全然緊張しないのに……と思ったが、この前の事を思い出してちょっとドキリとする。 


 『いつまでも子供じゃいられないんだよ』


 そんな幼なじみの言葉を振り払うように、鞄を開けてデッキケースを取り出す。

 良かった。ケースはほんの少し湿っているが、中のカードは無事だった。

 あとは、奈津のカードだ。

 もし濡れてしまっていたら、できるだけ早く乾かさないといけない。

 申し訳ないと思ったが、緊急事態だ。鞄を開けさせてもらうことにする。

 飾り気の無い鞄のジッパーをおそるおそる引いたが、中に入っていたのは勉強道具とデッキケースだけで余計な物は一切入っていない。

 なんというか、実に彼女らしい。

 ちょっと笑いながらデッキケースを取り出し、中身を確認する。こっちも大丈夫そうだ。


 「あれ、これ……」


 そのケースの中に、1枚だけ学園産のTCGではないカードが入っていた。

 しかもこの裏面は、俺がかつてプレイしていたカードゲーム、『レジェンドヒーローTCG』のカードだ。表替えしてみて驚愕する。


 「……うお、まじか!」


 勇ましく戦う白金に輝く獅子のカード。超々レアなレジェドレアの特別仕様『白金の英雄-シルバーレオン』。

 通常仕様のプラチナレアの物は再録版も含めて俺も所持しているが、レジェンドレア仕様はあまりにも排出率が低く、世界に5枚ほどしかないと言われているほど珍しいカードだ。

 武束が知ったら喉から手が出るほど欲しがるだろう。

 奈津がそんなカードを持っているなんて思いもしなかった。

 たぶん、お守り代わりにしているんだろう。何重にもスリーブに入れられていて、大事にしていることがわかった。

 それにしても。


 「奈津、『レジェンドヒーローTCG』やってたんだ……」


 「それ」


 ふいに、彼女の声がして振り返った。


 「ああ、奈津。もうあがったの……てぇぇぇぇ!?」


 あまりのことに大声を上げてそのままひっくり返りそうになった。

 なぜかと言えば、彼女はタオル1枚の姿だったからだ。


 「……ななななな、なんで!?」


 首がねじ切れるかと思うほどのスピードで反対側を向いた。

 それでも彼女の綺麗な足とか腕の肌色部分が脳に焼き付いてしまった。


 「着替えがなかった」


 「……忘れてたっっっっ!!!!!!」


 自分のせいじゃないか!! っていうか彼女も彼女で言ってくれればいいのにっ!!

 彼女もいつもと変わらない調子だったのだが、心なしか恥ずかしそうだった。


 「ご、ごめん!! ……ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待ってて!!」


 慌ててタンスの奥の方から新品のTシャツとジャージを取り出し、できるだけ彼女の方を見ないようにして手渡した。

 ごそごそと音がする。自分の真後ろで女の子が着替えている……ちょっと考えただけで心臓が破裂しそうなほどバクバク鳴る。


 「もういい」


 「……はぁ」


 無意識のうちに呼吸を止めていた。大きなため息をつきながら振り返った。

 いつも制服姿しか見たことなかったのだが、Tシャツにジャージというラフな格好な上に、奈津が自分の服を着ているという状況がなんとも落ち着かない。

 まるで、同棲している彼女に服を貸してあげているような……いやいやいや。冷静になれ。

 奈津は一緒にカードゲームをする仲間であってそういう関係じゃないだろう。落ち着け落ち着け。


 「えっと、ごめん。わざとじゃなくって……」


 「それ」


 思わず机の上に置いてしまった奈津の大事なカードを指差す。


 「懐かしい」


 「あ、ごめん勝手に空けちゃって……奈津も、このゲームやってたの?」


 『レジェンドヒーローTCG』はプレイ人口が多かったが、それでも奈津ほど強くて同い年の中学生女子プレイヤーともなれば有名になって当然だし、どこかで会っていてもおかしくないのだが。

 そう尋ねると、奈津はほんのすこし悲しそうな顔をした。


 「やっぱり覚えてない?」


 「……何を?」


 「私を助けてくれたこと。私にカードゲームを教えてくれたこと」


 「……俺が? 奈津に?」


 俺が奈津と会ったのは学園に入ってからのはずだ。

 いや、でも確かに……初めて会った時から、奈津とはかつてどこかで会ったような気がしていた。

 それに、このカード。非常に珍しい物だが、見るのは初めてじゃない。

 確か1年前、カードショップで会った女の子が持っているのを見た事が……。


 「……あっ」


 そうだ。思い出した。

 あれは、そう。俺がまだカードゲームをやっていた頃のこと。

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