第6話 海のド真ん中
激しく揺れる船内を駆け抜け、甲板に出るとすでに騎士たちと船乗りたちが突如として現れた海のモンスターに応戦していた。だが、クラーケンに有効な一撃は食らわせられていない。
クラーケンの触手は太く長く、船全体を絡め取って転覆させようとしている。そして、他の触手よりも長い触腕二本が甲板にいる騎士たち目掛けて激しく叩きつけられている。それを避けるだけで精一杯の様子だ。
「苦戦しているようだな」
「エリス、勝算はあるのか?」
「勝算、か……」
甲板に出たところで仁王立ちしている、ぶかぶかガウン姿のエリスに問いかけた。すると湯浴みのために無造作にまとめられた菫色の髪をゆっくりと動かしてエリスは答える。
「ない」
「ええぇ……っ」
「ところでレクスよ。
「クラーケンのことか」
正直に言えば、分かる。記憶喪失なのに俺はモンスターの名前や特徴に詳しい。これが俺に残された記憶の欠片なのだとすれば、もしかしたら俺はモンスター学者だったのかもしれない。インテリっぽいし。あるいは金持ちだったのかも。
「クラーケンは基本的には
ギルベルトたちが剣で甲板に叩きつけられた触腕に斬りかかっている。
「すごく柔軟性があって生半可な剣では切り落とせない。特に十本ある触手のうち、触腕と呼ばれる二本は手ごわい。掴まれたら――」
「ぐわぁあわっ!!」
船乗りが一人、触腕に巻き付かれて海へ放り投げられた。
「もれなくクラーケンの餌となる」
「弱点は?」
「烏賊は眉間の辺りに脳がある。そいつに損傷を与えることができれば……」
「砕けばよいか」
エリスの周りの空気が変わる。ワイバーンを仕留めた魔法を使うつもりか。
この海のド真ん中で? 悪夢じゃないか。
「ちょっと待てエリス。もうちょっと考えさせてくれ」
「なにを悠長なことを言っておるのだ、お主は」
不可解な、という感情が当てはまる表情でエリスが俺を見る。
「
「船は」
「なんだと?」
「船は無傷で残るんだろうな?」
「……」
エリスが、ガウンに隠れた手で顎あたりを撫でる。パッと見、ガウンを食べているようにも見えるそのポーズで思考すること数秒。彼女は眉をひそめたままポツリと呟く。
「無理だな」
「ちょっと期待した俺が馬鹿だった」
「船に保護魔法を掛ける、あるいはクラーケンの周囲に壁のようなものを作り出して被害をその中だけに留める。もしくは力の方向を反転させる方法があるだろう」
「ははん?」
「だが、威力を相殺するだけの魔法を連発するのは今の私には無理だ。魔力がもたん」
「高度な技術ってことね」
技術、という言葉にエリスは不満そうに言う。
「技術にあらず。魔力の問題だ。範囲を狭めるだけなら大したことではない。万物の法則を捻じ曲げるのにはそれだけの魔力が必要になるということだ」
「結局――無理ってことなんだろ?」
「……灯台にあった搾りかすのような魔法石ではなくて、完全体の魔力の結晶があれば可能だが」
エリスはそこで言葉を切る。再びガウンを口元に運ぶ。
「いや、あるいはいけるかもしれぬ」
言葉とは裏腹に確信めいた声音で言い、エリスが背後に立つマリアを見上げる。同じようなガウンを羽織ったマリアは首を傾げる。
「わたくし、ですか?」
「さよう」
「船を救うためならなんでもいたしますわ」
「よい心がけだ。難しいことではない」
「なにさせる気だよ?」
「私とマリアが同時に魔法――と魔術とやらを放つ。するとだな、外側への力とそれを抑える内側への力が同時に働き、クラーケンだけに及ぶ」
「船は無事ってことか。簡単に言えば器の中で爆発を起こすようなもんだな」
「そのようなことだ」
エリスが再びマリアを見上げる。
「お主がクラーケンを切り裂くのだ。できるか、マリア」
「はい」
マリアは髪を素早く三つ編みに結う。先ほど船室から持ってきたのか、いつの間にか腰には
「いきます!」
ズダァァアンッ!!!
雷鳴のような音が轟く。それは触腕が甲板に叩きつけられる音だった。微かに木がミシミシと軋む音さえ聞こえてきそうだ。
「このぉ!!」
ギルベルトが勇猛果敢に叩きつけられた触腕に斬りかかるが、やはり効いていない。それどころか触腕が船を愛しく抱きしめるように力を込めているようだ。
「これ以上は船が真っ二つだぞ」
「分かっておる――マリア、唱えよ」
「はい!」
息を吸ってから、マリアが両手をクラーケンに向けて一気に詠唱する。
「祖国を護りし
マリアの周囲に風が巻き起こり、同時に魔法を放とうとしているエリスの身体が大きくなっていく――
「
「
ゴォッ! っと一陣の風が幾つもの刃となってクラーケンを襲う。目標を逸れた風もエリスの魔法によって軌道が修正され、船に及ぶことはない。
激しい風は数秒、数分、止まることなく船上で暴れ続けた。
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