第7話一番大事な仕事の基本~その六~

「一体どれだけ深く掘ったんだ……」

 屋上に開けられた穴から施設内部へと飛び込んでから暫く、亜流呼の放つ四方八方あたり一面を照らし出し染め上げる、眩しく眩い緋色の輝きが見えなくなるほど、遠く深い底へと落ち込んできたとき、感嘆と呆れの成分が約二:八の割合で配合された呟きが自然と口から漏れていた。

 確かに屋上への到着は自分が一番最後だが、無駄な寄り道や余計な工程を挟むことなく、おっとり刀が駆けつけた。

 そのときには既に屋上に展開した敵戦力をあらかた殲滅し、その後、こうして現在進行中で自分が通っているのか落ちているのか、まあまず間違いなく後者だろうが、とにかくありがたく拝借させてもらっている施設内部へと続く侵入経路を確保したことになる。

 相変わらず二人揃って大した手並みだ。へりから降下した順と、自分が屋上へと辿り着いた時間を大雑把に概算して算盤を弾いても、おそらく一分も差はないのではないかと、推測の域をでないが多分大体それくらいではないかと思われる。

 こういった細かな計算や目算は苦手なのだ。昔はどんぶり勘定をザルで量るようだとよく姉に叱られたが、今はそれに亜流呼まで加わっている。そのため経費精算やら費用見積もりやらの書類が一度として一度で通った試しがない。経理へと提出した書類を突っ返されるという段階以前に、亜流呼によって上から下まで隈なく精査される。それは重箱の隅どころか裏まで検分するほど一分の隙も許さないものだった。もはや単なる書類のチェックではなく検閲に等しい。しかもその最中何度となく、眉間に皺を寄せ、目頭に手を当て、こめかみを震わせていたが、書類自体を引き裂いたり、握りつぶしたりすることはなかった。

 亜流呼はどんなことがあっても決して人や物にことはない。

 それは最も愚劣なことの一つであると亜流呼自身が定め、自らを律しているからだ。俺などから見れば、それは自分で自分を縛っているようにしか見えないが、しかしきっとそれこそが、亜流呼ほどではないにしろ、意識だけでもできることが最低限の条件の一つなのだろう。

 そして亜流呼は行動の結果生じた責任は必ずそれを行った本人が取る、もしくは取らせる。

 よって自分の書類がチェックという名の検閲を終えると、嵐の豪雨もかくやとばかりの怒涛の勢いで修正箇所を指摘し、寝耳に雷を打ち込んだように一切の有無を言わさず全て直させ、問題があれば岩に根を張る樹木のように粘り強く指導してくれた。そうして亜流呼曰く、酔っぱらいが日頃の鬱憤晴らしにMGの的にでもしたかの如く穴だらけでボロボロだった書類が、経理担当者が顔をしかめながら、それでもなんとか受けとってもらえるような形と体裁が整ったものになっていた。

 そのときの経理担当者が砂漠の砂粒を全て数えた終えた者を見るような、労いと慈愛に満ちた瞳を亜流呼に向けていたのに対し、一転して俺を見る眼は氷の地獄に吹き荒れる吹雪よりもなお冷たく鋭かったことをよく憶えている。

 流石に同じ、いや、回を重ねる毎により冷たく鋭さを増していく眼を向けられ続ければ嫌でも憶える。

 ならば同じく書類の書き方くらい嫌でも憶えるべきなのだろうし、実際出来上がるのはいつもと同じものだった。

 そしてまた同じように亜流呼の世話になる。

 延々と同じことの繰り返しだった。当然だ。

 それこそまるで誰かの人生と同じようじゃないか、などと斜に構えて皮肉を言っっている場合ではない。

 現実として毎回いらぬ手間と貴重な時間を亜流呼に使わせているだ。有り体に言って巨大な迷惑を掛けている。

 自分が悪いのは百も二百も承知で以前亜流呼に訪ねたことが有る。

 あまり気が長いとは言えない、嘘偽りなく端的かつ正直に言えばかなり短気な、逆に言えばそれだけが玉に瑕の亜流呼が、何故毎度同じ作業を、最早苦行と呼んで差し支えないこの繰り返しを見捨てることなく付き合ってくれるのか。

 すると亜流呼は一言「仲間ですから」とだけ答えた。小言も注意も、他にも言いたいことは山のようにあるのだろうが、その問いに対する答えはこれだけしかないと、その澄んだ翡翠の瞳が示していた。

 相手によっては非情に素っ気ないその場しのぎの上っ面だけの言葉のようだか、この女に限ってはそうではない。

 この女は世辞も嘘もつけない。だからこそ、その一言に込めた想いを、込められた重みを知っている。そしていつも自分の心にある言葉を心にあるまま直球で投げてくるのだ。ただしそれは空気中の分子との摩擦で炎が上がりそうな速度で、相手のド真ん中を撃ち抜いてくるときが往々にしてあるにだが。

 「それに後で社長や可音子かのこから呼びだされたくありませんしね」と少し茶化すように付け加えたのは自分で口にした言葉が少々気恥ずかしかったからなのかは、日焼けした耳の先ががやや赤らんでいるだけで分からなかった。

 これもまた彼女のなかで定めれたことの一つなのだろうかと、柄にもなくそんな考えが頭に浮かんだ。

 何れにせよ、このまま永遠に亜流呼の手を煩わせ続ける気は毛頭ない。永遠などそれこそ久遠の時を掛けてさがしたところで、何処にもありはしないだろうが。無論これがのせいだと言うつもりもするつもりも微塵もない。

 自分がやるべきことは自分でできるようにならなけれいけないのだから。

 ちなみにこの件に関して姉は一切手を貸してはくれない。平身低頭し、地に頭を擦り付けてすればきっと手を貸してくれるどころか、暗にそして厳しく諭されることだろう。

 それだけは絶対に嫌だった。見捨てられることも、見放されることも、まして、確信が持てるからこそ、それだけはしてはいけなかった。

 とにかく、このままではいけないなと自分に言い聞かせる。のためにも。

 何も変わらないものに存在している意味はない。たとえ不変であることが

 自らの意志で己を変えてゆく。変えてゆける。それもまた同じく人間であることの一つだろうと考える。

 変わった未来さきに何があるのか、それとも、そんなことはの自分には分かるわけがないがないことだ。

 そういえばもう一人の仲間である傷仁はどうしているのか、ふと思った。

 ヘリで別れて以来の短い別離だが、どうせ奴のことだ宝探しやゲームブックと同じ様に楽しんでいるに違いない。

 人生は可能な限り楽しむべきだ。それがきっと幸せなことなのだろうから。

 そうしたことを考える頭だか心だかとは全く別の部分で、この穴を降りてすぐ、ずっと奇妙に思うことがあった。

 屋上に開いていたは穴はこれ一つではなく明らかに二つ以上あった。

 亜流呼は性格的に開けた穴は自ら出てきたこれ一つだろうから、残りは傷仁が開けたものだろう。あいつの実力と能力ならば敵の殲滅はわけもないだろうが、こういった掘削作業というか物理的な破壊作業にはあまり向かないのではないだろうか。いや、奴なら自分が進むためならどうとでもするかと思い直す。

 亜流呼の場合は姿熱量を調節すれば後は勝手に道ができる。

 焼けただれた跡など一切なく、熱によりガラス化した穴の内壁が、のも亜流呼の技量の高さと俺の推測を裏付ける。

 「この施設まさか……冗談だろ」面倒極まる予測が頭をよぎるがそれはきっと当たっていると直感が理解する。

 だとすると、屋上に複数穴を開けた理由も、何処にあるかも分からない目的の品をこの掘削だか破壊だかの作業でとう懸念も消える。そして亜流呼が上に戻ってきたことにも合点がいった。

 やはり二人共なんだかんんだでしっかりと考えて動いているとは流石信頼できる仲間たちだと頼もしく思う。

 一度で確認してみようかと思ったが、思いとどまり止めておく。これは下準備さえできていれば何時でも何処でも仲間と通信できる非情に便利なものだが、欠点がないわけではない。それどころか一つ致命的な欠点がある。

 それにを使うのを止めた理由のもう一つは、長かったのか短かかったのかよく分からない落下ツアーの終点が見えたからだ。

 姉が指を指して示すように、穴の底が

 亜流呼の緋の輝きとは比べるべくもないが、てっきり穴の底には暗闇がわだかまっているだろうという予想を裏切り、灯りと呼べるほどの光が側面からもれていた。

 ここまで来てほとんど何もしていないのは自分だけだ。ならばここから汚名挽回の機会、仕事の時間だ。

 さて開いたページからは一体何が飛び出すのか、まさかいきなりゲームオーバーは勘弁だなと思いながら、特に期待も不安も何もなく、しっかりと地に足の着いた仕事を果たすことだけに集中する。

 頼まずとも発動してくれていた姉の術によりゆっくりと、仄明るい光の中浮かび上がる穴の底を両足でしっかりと踏みしめた。

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