第6話一番大事な仕事の基本~その五~

「そうして出てくると、まるでお前が今日の仕事で倒すべき最後の敵みたいだな」

 亜流呼は特段急いだ様子もなく、さりとて無駄な動きもない。いつもの背筋を正しながらも鷹揚さを感じさせる所作で、屋上から縦に(力ずくで)開けた穴の中から現れた。

 具体的にはゆっくりと上昇しながら、屋上に開いた穴から頭から全身を覗かせるようにして出てきた格好だ。そんな少し間が抜けた、まるでドアが開いたままのエレベーターを見ているようで、若干笑いが込み上げてくるが、ここで笑えばこの仕事が終わった後での追求・叱責・矯正の三本立てフルコースは避けれない。よってそんなことはおくびにも出さず亜流呼が屋上にでてくるまで大人しく待っていた。

 そんな何とも言えない笑いを誘わずにはいられない登場の仕方であっても、同時に威厳と壮麗さを感じずにはいられない姿となっていた。

 仕事に臨み冴えやかな美貌はより一層研ぎ澄まされたように引き締まり、無意識だろうが自身の人並み以上に豊かな胸を誇示するように組まれた両腕も、傲然としながらも余裕と自信の現れを示しているようだった。

 実際は単に手持ち無沙汰になったがポケットに手を入れることをはしたないと考え、仕方なく腕を組んでいるうちに癖になってしまっただけという、何ということもない事実を知っている。だがそんな事実など、その姿を一目見れば跡形もなく燃え尽きてしまう。

 それは全身に纏った緋の輝き。赤く漲り、朱く猛り、紅く昂ぶる。灰白色の髪はそれそのものが燃え盛る炎であり、後ろで一本に括っていた髪紐を解かれおろされた仄白い炎は、自身が生み出す熱に炙られうねる大気に波打つ紅蓮の波濤。

 鍛え抜かれ日に焼けた健康的な小麦色の肌は、火に灼かれ打ち鍛え抜かれた硬さとしなやかさを併せ持つ赤銅色へと鮮やかに変化していた。

 この変異がとして生来持ち得る力の一端を解放した姿。

 能力:現象顕現プロデュース、分類:世界源素エレメント、属性: 火消えることなきもの、階位:クローバートゥエルヴ十二本の四葉、である苦道亜流呼の仕事着であり戦闘時の基本的な状態だ。

 そんな姿をした亜流呼が、おそらく自ら開けたであろう穴から屋上に一歩踏み出したところで、大きく深呼吸を始めた。するとその呼吸に合わせるように纏っている炎が勢いよく舞い上がる。

 狭い屋内で力を抑えるのは亜流呼でもそれなりに神経を使うのだろう。大きな力を持つというこはやはりそれなりに面倒なこともあるのだなと思いつつ踊る炎を眺めているとき、先だって先の台詞を言われた。

 ならばこちらもと多少の皮肉とからかいを混ぜて返したのだが、憮然とした顔や嫌な顔一つせず、それどころか「仲間に向かってそんなことを言うべきではありませんよ」と大真面目な顔で諭された。このままだんまりを決め込むと今が仕事中だということを忘れ、そのまま説教モードに移行しかねない。

 そう今は仕事の真っ最中であり、余計なことで時間を浪費している場合ではないのだ。

 決して自分の非を認め改めるまで延々と廻り続ける亜流呼のお説教が嫌なわけではない。

 俺にも一秒でも早く終わらせて帰りたいと思う程度には、仕事への熱意はある。

 よって不本意かつ不得意だが話の転換と継続を試みる。これを意識することなく流れるように自然にできる人間は無条件ですごいと思う。

「それで現在の状況は一体どうなっているんだ?」我ながら無理矢理だと思うが、とりあえず現状確認の意味も込めて亜流呼の意識を仕事に向けてみる。

 亜流呼は一瞬不満と不審と怪訝さが等分された表情を見せたが、そこは根っからの委員長気質の持ち主。すぐに今が仕事中だと思い直し、質問にはしっかりと答えてくれる。説教自体は後回しになったでけかもしれないが。

「あなたがこの屋上に到着する少し前に、私たちが降下した時点で現れた敵戦力の掃討はほぼ完了。現在は作戦開始の前に確認したように各人それぞれで敵戦力の陽動および殲滅。そして目的の物品の探索と奪還を遂行中です。あなたが相手にしたのは恐らく出遅れた遅刻組でしょう」そして説明の後に六人分の死体と、俺の右手が自由にになっていることを確認し、「やる気はあるようですね」と付け加えた。

 何だか話の出だしに棘があるように感じるたがそれはきっと気の所為だろう。そう思っていたほう賢明だと俺の直感が告げている。そして何よりも忘れずに手錠を外しておいて本当に良かった。

「了解。現状は把握した。作戦は第二段階、というか本番に入ったというわけか」

「その通りです。そして今まさにましろさんの力が必要なときです」

 だというのに随分余裕のあるご到着ですねというは無視し、自分たちの、自分たちにしかできない仕事を始める。

「姉さん、頼む」

 そう声をかけると委細承知とばかりに例のサインを出すのも忘れ迅速に動き、懐から前もって準備しておいた数十枚の折り紙を取り出した。

 色はまちまちだがどれも目立たぬように紺や黒など暗い色のものばかりだ。本人は千代紙などの明るく派手なものを使いたがったが、そこは何とか説得して納得してもらった。そのために色々と代償を払うことになったが、姉のために払うものならたとえそれが何であれ

 折り紙にはさらに目立たないが、血を一滴加えた黒い墨で書かれた姉直筆の呪が刻まれている。この作業も本来この枚数を仕上げるのに通常はどんなに速くとも丸一日はかかるそうだが、姉は五分と掛からず終わらせた。傍から見ていると落書きかなぐり書きをしているようにしかみえないが、姉からすれば必要なことを、必要なだけ、必要なところに記しただけで、むしろ他の術者が何であんな無駄なことばかりしているのか分からないそうだ。理解できないのではなく、分からない。もし魚と意思疎通ができたなら、水中を泳ぐ人間を見たとき同じことを思うのだろうか。

 そんなことは今はどうでもよく、問題は術が発動するかどうかだが、姉ができると保証した以上それは必ずできる。それは信頼とは全く違い、かといって信仰なんてものであるはずもない。

 ただそれはそういうものであると受け入れているだけだ。

 そしてそれは今回もそうなった。

 持っていた折り紙を景気よく一斉に宙にばら撒く。通常ならば風に吹かれて何処かへと流されていくところだが、手から離れた折り紙はそのまま宙に張り付いたかのように留まる。そして誰の手も触れるていないのに、猛烈な速度でひとりでに折られてゆく。

 そうして出来上がった、蝶、蜂、蜻蛉、蜘蛛、蟷螂、蟻などの紙の虫たちはまるで生命あるもののようにそれぞれが地を進み、空を行き、亜流呼や傷仁が開けた穴から施設内へと入り込んでいった。

「これでそれらしいものを見付けたらすぐに分かる」

「相変わらず見事な手際です、ましろさん」

 亜流呼が本心からの感嘆を込めて何の思惑も下心もなく姉を賞賛する。

 基本的に亜流呼は世辞も嘘もつけない。それは生きていく上で不便極まりない素質だが、間違いなく美徳の一つではあると思う。

 同じく世辞は言えないが、嘘ならば姉以外の誰に対してもどんなことでも、何の罪悪感もなくつくことができる自分とはそれは大きく、そして決定的な違いであり差であった。

 そんなことは知ってか知らずか、しかし直球で褒められたのは分かったのだろう。もう飽きたのかと思った例のサインを今迄よりも拳と指に力を込めて示し、亜流呼に礼を返した。

 亜流呼も同じサインを力強く突き出し答えた。

 女同士言葉は交わさなくとも通じ合うものがあるのかと、勿論嫉妬など感じるわけもなく、ただ何とも言えない居心地の悪さと疎外感を覚え、自分から話を切り出す。

「亜流呼、虫が苦手だからってくれぐれも燃やすなよ。数が減ればそれだけ発見に時間がかかることになる」そして帰るのが遅くなる。

「分かっています。私もそれくらいの見分けはつきます。それに何でもかんでも燃やしているわけではありません」

 今度はやや憮然とした調子で返してくるが亜流呼の言うことは正しい。虫が苦手だと指摘されても本当のことなのでなにも言わないのも実に亜流呼らしかった。

 亜流呼の傑出し、他の火属性能力者と隔絶した点は単純に能力の強さや届きうる範囲の広さだけじゃない。能力自体の精緻かつ精密な制御こそ眼を見張る点だった。

 特に火という制御が難しい属性でありながら、亜流呼自身の着ているスーツは燃えるどころか小さな焦げ跡一つついていない。

 それは先程から腕一本分程度の距離で面と向かって話しているにも関わらず、一切の熱を感じていない俺自身が一番体感していることだった。

 これが並の火属性能力者ならば力を使えば着ているいる衣服は全て燃え尽き、能力の発動中は周りのものを見境なく焼いてしまう。

 必要なものを、必要なだけ、必要なところに。それが力の大小に関係なく本当の意味で持てる力を使うということなのかもしれない。

 そんなことを思ったが口にしたのは全く別のことだった。

「それで先に施設内に入ったはずのお前が何で今更外にでてくる?」

「――それは、やはり私では探索や捜索といった役割には決定的に向いていません。ですので陽動と殲滅に専念することにしました。ここから敵戦力を引きつけていき、あなたたちの報告に合わせ随時掃討しながら階を下りていきます。そう思い上がってきたところで丁度あなたたちの気配を感じたので状況説明も兼ねて目的の物品の発見をお願いしようかと。適材適所です」

 なるほど分かった。穿った見方をすれば自分に向いてない仕事を同僚に押し付けているようにも聞こえるが、それは自分では何もしない人間に限った話だ。

 だが亜流呼は最も危険な役割を自ら進んで引き受けたことになる。それに今日の三人のなかで一番目立つのは間違いなく亜流呼だ。

 この女ならどんなことであろうと自分の仕事を十二分にはたすだろう。いや、下手をした必要以上に。

 そう思い念のため釘を刺す。というかお願いしておく。

「頼むから今日は何があっても”精霊”は使わないでくれよ」

「分かっています。こんなところで”あの子”をだしたら仕事も何もかも全部おじゃんです」

 失礼なと言わんばかりだが、前例がないわけではないので強くはでれない。

 しかしあの”精霊”を愛玩動物扱いとは恐れ入ると思ったが意外とそんなものなのかもしれない。これも持てる者の特権か。

「じゃあ行くとしますか。そういえば妙なことがあるんだが」

 一番最初に報告すべきことが一番最後になってしまった。まあ、それでもちゃんと報告はしたのでギリギリセーフか。

「ええ、それなら私も感じました」

 それなりの年月を共に戦い、いくつもの死線を超え、修羅場を潜り、地獄から生きて帰ってきた間柄だ。お互い同じ違和感を共有していることは多くを語らくても伝わった。

「それでも果たすべき仕事になんら変わりはありません。大丈夫、私たちなら何があっても必ず何とでもなりますよ」

 それは嘘偽りの全くない百パーセント純粋な信頼の言葉。ただ単純な自分を信じてくれるいるといううれしさが胸に満ちる。

 だが同時にその言葉が無数の小さな針となって胸に刺さる。自分はそんな言葉をかけてもらうような人間じゃないと。

「そうか。それなら俺も何とかしてきますか」

 しかしそんな痛みは全て無視し、自分の仕事を果たすことに集中する。

「施設内はかなり複雑な構造のようです。大事なものを見落とさないよう注意してください」

「了解」

「それと言い忘れてましたが施設内には私たち以外の勢力がいるようです。うっかりしてました」

 一番最初に言うべき一番大事なことを一番最後に言われた。さっきの俺の気持ちを返してほしい、このうっかり屋め。

「でも別れる前に報告したのでギリギリセーフですよね」

 自分で言うなと思ったが、自分もついさっき同じことを思った上に自分でもまあいいかと思ってしまったので何も言わなかった。

 そういえば仕事で大切なのは報告・連絡・相談以外にもあったなと思い出す。

「念のために確認するが俺たち以外の勢力に数と規模は目的は?」

「不明です。しかし数としては多くて二つ、恐らくは一つでしょう。そしてどちらにせよ極少数だと思われます。目的は多分私たちと同じでしょう」

 なんだか既視感を覚えるのは気の所為だろうか。

「そうかとりあえず分かったことにする。あとこれも確認だが目的の品とやらは施設の一番奥にあるんだろう?」

「不明です。一体何処の誰からそんな情報を得たのですか。少なくとも

 ちゃんと話を聞いていなかったことを突かれる前に強引に話を続ける。

「なら最後の確認だ。結局俺たちや他の連中も狙ってるらしい目的の品ってのは?」

「不明です。先程社長にも問い合わせてみましたが、やはり”見れば分かる”の一点張りのようです」

「左様か。もーとりあえず分からないことも分かってることも全部まとめて了解だ。しかし元々妙な仕事だが、ことここきていよいよきな臭くなってきたな」

「それもいつものことでしょう?」

 そう亜流呼はいつも通りの笑顔で問いかける。

「確かに、確認するまでもなくいつも通りだな」

 自分ははたしてどんな表情で答えたのだろうか。

「ええ、それなら」

「ああ、それなら」

『大丈夫、必ず何とでもなる』

 二人の声が自然に揃う。

「それじゃあ今度こそいくとしますか」

「ご武運を。あとちゃんと開けておいて下さいね。あなたは呼んでも答えないときが

 最後の最後まで注意を受けた。何だろうもしかして俺は無意識のうちにわざとそうされるように仕向けているのだろうか。

 だとしたら随分と器用なものだ。

かしこまりました、我らがリーダー。イエス・マムそちらこそ問題ないとだろうが気を付けてな」

 これ以上何か言われる前にさっさと行こうと、亜流呼が出できた穴から一気に迷宮の中へと姉と一緒に飛び込んだ。

 飛び込む寸前、姉の方をちらりと見ると何やら随分とワクワクした様子だった。何がそんなに楽しみなのかよくわからないが、まあいい。なかで蛇が出ようが、鬼がでようが、竜がでようが全部切り捨ててやるべき仕事を果たすまでだ。

「あとで人の話をちゃんと聞いてなかった件について詳しく聞かせてもらいますから、必ず生きて帰るんですよー」

 もう結構な距離を離れているのによく通るその声が、帰りたくない理由が増えたことをはっきりと伝えてくる。

 仕事への意欲もやる気も自身の身体と同じ速さで落ちていく。

 夜の闇とは全く別種の、人が作り出したじっとりと貼りつくような空気が凝った暗闇。

 今度は地に足が着くことを願い、捨てたくても捨てられない憂鬱さを抱えながら本日二度目の重力主催の落下ツアーに足を引かれ、眩い緋色の輝きから遠ざかっていった。

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