第4話一番大事な仕事の基本~その三~

 夜闇を踏みしめ奔り出してから数瞬もしないうちに、違う世界へと踏み込んだ感触を覚えた。

 自分が向かうべき仕事場であり、仲間たちが戦っている鉄火場へと向かって、秒速など置き去りにして最短かつ最速の全速力で夜を駆け抜ける。何の迷いもなく目標へと突き進む一個の弾丸のように。そうして切り裂き、駆け抜けてきた空気が、眼で、鼻腔で、肌で、全身で境界線を踏み越えたことを伝えてくる。

 今迄落下中から感じていた、濡れたような静寂に包まれた冷ややかな夜から、燃え盛る炎よりもなお熱く猛る、お互いの闘志と敵意と殺意が渦巻く戦場へと。

 その戦場を目掛け、近づけば近づくほどに濃く熱くなってゆく闘争の空気を感じながら、さらに速さは加速する。

 目に映る炎と血の赤、鼻腔に触れる、燃え盛り天をも焼き焦がそうとするかのような炎の匂い、肌に伝わる渦巻く炎に包まれてゆく剣戟と争乱の熱気、そしてそれら全てが己のうちに点火した、戦闘への高揚と興奮の炎へとくべられ、さらに熱く燃え盛り猛り滾っていくのを、全身を巡る血の温度感じていた。

 本来ならばあってはならない感情。戦闘と闘争に焦がれ、自分から戦場に飛び込んでいくなど、常に片時も離れぬ一心同体の姉を守るという、自分の最も大切な使命の一つと相反する愚行。だが当の姉はこの件に関しては何も言わず、寧ろ自分自身に自由に生きろと言わんばかりに戦場へと導きさえする。この抑えきれない、姉への想いとは真逆の欲求が、それとも産まれるまえから植え付けられたものなのか、あるいは全てを奪われ、僅かに残されたものの結果なのか。

 滑稽なことに自分自信のことなのに分からない。何度考えても答えがでない。

 あの夜の、それまでが終わり、これからが始まり今に至る、青い月光のなかで得た自分自信の確信。その確信が心に疑念と疑問の石を投げ込み、揺らがせ、波紋を起こし、波打たせる。

 本当の自分は何なのか、本当は自分は何をしたいのか、そして本当に自分は――。

 そうしていくつも湧いてくる疑念と疑問の手に囚われ思考の泥沼に引きずり込まれていく自分を、引っ張り上げてくれるのもいつも姉だった。

 具体的には右の頬を結構な力で張られた。血が出るほどではないが、紅葉の跡は残るかもしれない。また前よりも力がましているなと考えながら左手で頬を撫でる。

 しかしその一発で心に巣食ったはきれいサッパリ全て吹き飛んだ。

 そして現在お気に入りの真っ最中である親指のサインを見せ、自分が向かうべき場所を指し示す。

 そうだ、こんなを考えるのは今じゃない。

 自分の生きる目的、生きている理由、生きつくべき終点。それは全て姉のためだ、姉を守り、姉を生かし、姉とともに在る。そして何よりも姉の願いを叶える。それがあの夜、自分の意志と心と感情で確信し、自分自身で決めた自分だけの想いだ。

 ならば何の迷いも矛盾も存在しない。

 姉の望む通りこのまま戦場に飛び込み、姉の思うように自分自身に自由になり、姉の願うまま共に戦う。そして何があろうとも、何をしようとも必ず守る。絶対に守り抜く。これでいい。考えればいい。

 そうだ大事なことは何処にいるかではない、誰とともに在るかだ。

 元々姉は天真爛漫、自由奔放、天衣無縫、やりだいことは何だろとどんなことだろうと好きにやる、行きたいところへは、何処へだろうとどうしようとも勝手に行く。ただ大人しく、安全な場所に籠もっているのは

 ならば自分はその願いに従い叶えるまでだ。何をしようと何処に行こうと全身全霊を賭けて守る。それだけは曲がることも折れることもない。もし信念と呼べるものが自分にあるのならこれこそがそうなのだろう。

 あの夜以来今迄幾度となくあった自分の確信と姉への想いの相克。それも今迄通りに姉によって解決された。その都度一番大事なことは何なのかをより強く思い起こさせ、より固く決意させ、より深く刻み込む。

 そうして懲りることなく幾百、幾千、幾万回も姉への想いを確かなものにしていく。

 思考に沈んでいた時間は一瞬未満であったし、その間勿論足を止めてはいなかったが、戦場に辿り着く前に意志と心と感情をことができたのは僥倖だった。

 そう今は仕事の真っ最中なのだ。集中しなければならない。

 いまや恒例となった例のサインをだし、姉に感謝を伝える。姉はとでも満足そうにしながらも、手をひらひらと振って気にするなと伝えてくる。その仕草を見て改めて、姉への愛しさと守ってみせるという闘志が胸のなかで湧き上がる。

 そうして湧き上がる気持ちのままさらに加速し、鉄火場まであと僅かの距離まで迫ったところで待ち切れないとばかりに一気に跳躍。戦場の空気が最も濃く熱く渦巻く、闘争の混沌の中へと文字通り飛び込んでいった。


 結局つくもはこのあと最後の最後までついに気付くことはなかった。つくものなかの確信と信念がへの想いと矛盾し、相反し、相克し、身を引き裂くように思い悩む姿こそが最も弟を愛しく感じるときであることを。

 そしてその度に幾度となく繰り返してきた、つくも本人は救いだと信じている、への想いを新たに改めるが単なるでしかないことに。

 今迄として切り捨ててきたものほとんどが、決して手放してはいけないものだったということに。

 そうして弟の苦しみを癒やすたびに新たな疑念と疑問の種を埋め込んでいることに。

 だが気づいたとしても何も変わることはないだろう。

 つくもにとって姉が最も大切な存在で在る限り。つくもの人生が姉のために存在している限り。

 自分が変わるための選択と決断をつくも自身がしない限り。

 たとえどんな道を辿ろうと逝き着く終着点が変わることなどあり得なかった。

 

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