第3話一番大事な仕事の基本~その二~

 重力の見えない手に襟首を掴まれ引き込まれるように、闇の底へと落ちてゆく。

 数秒前まで手を伸ばせば掴めそうだった星空が、やはりただの思い違いだったと認識できるほどに遠ざかってゆく。

 ならば当然の理屈として、それだけ大地に近づいているということであり、このまま何もしなければ地面に真っ赤な肉の花を咲かせることになってしまう。

 勿論それは御免被りたい。最初から目標施設の直情で降りたわけではなく、そのうえ木枯らしに吹かれ翻弄される木ノ葉よろしく落下時の強風に流されて、予定していた着地点から大分外れてしまっている。

 大地と衝撃的な出会いを果たす前に、体勢を整える。

 天地逆さまの状態で落下中の身体を飛込競技の要領で捻り、頭を天に、足を地に向けた地上に生きる者にとってごく標準的な体勢に絶賛落下中の空中で整える。

 すると予想外と言うべきか、想定内と言うべきか、しかし一応予定通りではあるのだろう地上の様子が視界に入る。

 目標施設は、周囲を起伏に富んだ山や崖に囲まれたなか、猫の額ほどの広さに開けた平地に建てられていた。施設自体の外観も周辺の環境に溶け込むように山の一部を模したような造りになっている。その施設を中心として放射状にとり囲むような形で、背の高い針葉樹が鬱蒼と生い茂り、地上と空、双方からの目を誤魔化すためか、目立たぬよう天然の偽装が施されていた。無論それ以外にも、人の手による何らかの技術的な隠蔽、隠匿の偽装が為されているだろうが。

 その施設に続く道も何かのアトラクションかと思うほど、浮き沈みの激しい高低差があり、蛇が這いずった跡のように曲がりくねっている。さらに目くらましのための樹木のせいで、かなり道幅が狭くなっていることも難易度を一段上げる要因になっている。

 あの道を運転する者は楽しむ余裕など微塵もないだろう。それどころか無事に辿り着けるかも怪しい。たとえ辿り着けたとしても心身の疲労は相当なものだろう。

 そう考えると、空から目標施設に降下し強襲するという一見雑な作戦もある意味合理的ではある。

 空と同等が、それ以上の綿密さで張り巡らされてるであろう監視と警戒に目、そして確実に設置されている部外者立入禁止を全力の物理的手段で示す罠が、それこそ山のように仕掛けられているハイキングコースをえっちらおっちら登るよりかは、空から直接乗り込んだほうが手っ取り早いだろう。

 その分の皺寄せは、ここまで運んできてくれたへりの操縦士である高道運河たかみちうんがが背負うことになったのだが。

 木を隠すなら森のなかと言うが、偏執的なまでに”隠す”もしくは”隠れる”ことに神経を使い、それ以外のことに対する配慮が全くなされていない。隠し通せている間はいいだろうが、一度でも露見すれば、自ら人目を憚るようなことに使用していると、大声で喧伝しているに等しい。

 それでもこの少ない時間のなかでこの施設を見つけ出し、作戦を決行できるだけの根拠を探しだしたうちの調査課の能力には、素直に感嘆せざるを得ない。高道運河の操縦技術も同様だ。

 皆が自分の仕事を十全に果たした結果、今俺はここにいる。ならば次は自分がやるべき仕事を果たして結果をだす。

 そのために両脚に力を込め空を駆け出そうとした一歩手前で、亜流呼の声がを通じて直接頭に届く。

「こちらは苦道亜流呼。目標施設に無事降下完了。二人共状況の説明をお願いします」

「こちら傷仁。問題なし。もう間もなく目標施設への降下を完了する」

「こちらつくも。同じく問題ない。多少風に流されたがこちらも直ぐに向かう」

「了解しました。では各々施設に到着次第作戦を実行してください。それとつくも」

 通信の最後に何故か俺だけ名前を呼ばれた。訝しく思いながらも返事を返す。

「何だ。何か問題でも起きたのか」

 すると亜流呼は若干疲れたような、それでもしっかりと五寸釘を打ち付けるように、跡が残りそうなほどの強さで念を押す。

「ええ、その問題が起きる言っておきますが、迷子にならないように」

 なにかと思えばとんでもなく失礼極まる注意をされた。そこに傷仁が笑いながら口を挟んでくる。

「確かに大問題だ。お空で迷子なんて、そんなことになったら

 二人揃ってなんという言い草か。これは一言いわねばなるまい。そもそも俺は

「そもそも俺は道に迷ったことなどない。ただ目的地に着かないことがあるだけだ」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 何の言葉も返ってこないが、何だか呆れ果てたような雰囲気は感じる。

「どうしてこの手の奴は決まって自覚がないんだ」

「そのことについては仕事が終わった後で、今迄のを踏まえてと説明します。なので今は真っ直ぐこちらに来てください。いいですね」

 この場合の亜流呼の説明は説教と同義だ。今日一番の不吉かつ恐ろしい言葉を聞いた。

「流石にいくらんでも迷うものか、これだけ何処から見ても

「そう願います。心から。では皆最善の仕事を尽くしましょう」

 最後にそう締めくくって亜流呼の声は途切れた。

「なんでも良いから速くこいよ。でないと美味しいところは全部いただいちゃうからな」

 そして傷仁が引き継ぐように軽口を残し、亜流呼と同じように声は途切れた。

 全くどいつもこいつも人を何だと思ってるのか。どんな答えが返ってくるか怖いので訊きはしないが。

 そうだ俺はあの日、あの夜から自分の進む道を迷ったことはない。たとえ今迄進んできた道が、これから進み続ける道が間違っていたとしても。何より辿

 なんやかんやと話していたが、たいして時間は経っていないはずだ。それでも駆け出すにしろ着地するにしろ、準備諸々含めればなかなか際どい猶予だった。

 これを計算ではなく天然でやるのが苦道亜流呼という女の恐ろしいところだが、今はそれとは別の恐ろしさが成し得た結果が、灯台の灯りよりも明確に、自分の辿り着くべき場所を示していた。

 その目的地が、燃えているのだ。

 自分が体制を整え地上の様子を視界に収めたとき一番最初に目に目についたのは、嫌でも目につかざるを得なかったのは夜の闇のなかで煌々と燃えるように輝く、血とは異なる炎の赤だった。

 その特大の松明の明かりのお陰で特に目をこらすこともなく、周囲の状況を確認できたのだ。

 あんなことが出来るのも実行するのも一足先に目標施設に降り立った亜流呼だ。しかし陽動という点ではこれ以上ないほど効果的だろうが、蜂の巣を突くどころかいきなり火にくべられたのだ。今頃施設内は上も下もない大混乱だろう。

 今回の仕事の唯一にして最大の目的である奪われたという物品をで奪還するという点から見るとどうなのだろうか。真逆目的の品ごと燃やすというこはないだろうが、それ以外にも思うところはいくつかある。

 しかしここは我らがリーダーである亜流呼の判断を信じよう。確か目的の品は施設の最奥部に隠蔽されていると言っていた、派手に燃えているように見えるが、よく見れば火の手が上がっているのは施設の表層部だけだ。

 大雑把な方法で、繊細かつ正確に作業をこなす。電動ノコギリでキレイに爪を整えるのが苦道亜流呼の流儀だった。

 そろそろ自分も行こうかかと、ヘリから降りたときから片時も離れずにいた姉に声をかける。

「姉さん、頼む」すると合点承知とばかりにまた親指を立ててみせる。よほど気に入ったのか、下手したら暫く続くかもしれないなと思った。姉は一つ気にいると暫くそれに執心する癖がある。その代わり飽きるのは一瞬でその後は見向きもしなくなる。つまるところ物凄く気まぐれなのだった。言い換えれば自分に自由で正直だと言えないこともないかもしれないこともなくはないかもと言えないこともない。

 それはひとまず置いておき、仕事に集中しなけばと頭を切り替える。 

 呼びかけてから一瞬以下の刹那で発動した姉の術は二つ。まず一つ目の術の作用で落下の速度を中和する。いきなり急減速すのではなく、熟練のドライバーがもつブレーキテクニックのように、身体に一切の負担をかけることなくことなくゆっくりとだが確実に減速する。

 次に二つ目の術の作用により足下には何もないが、両脚に込めた力がしっかりと返ってくる感触を確かめる。

 これなら陸上競技のトラックを走るのと全く遜色ない。相変わらず見事としか言いようのない術の発動速度と効果精度だ。さらに本人は意識することすらなくやっているが、二つの術を同時に発動させ、そのうえ実際に作用させる順と時間を完璧に制御している。

 いやはや全く自分のような不肖の弟には手に余るほど勿体ない姉だ。本人はなんとも思ってないのに、散々周りから賞賛やら賛嘆を受け続けいい加減うんざりしていることはよく知っている。それが持てる者の傲慢だとしても、持てる者が故の権利だとも思う。

 だからただ純粋に感謝だけを伝えた。

「ありがとう、姉さん。それじゃあ行こうか」

 感謝の言葉を受けてくすぐったそうにしていたが、すぐに仕事へと意識を切り替えてくれたようだ。

 そうこの場に留まったままでは仕事にならない。傷仁は速く来なければ美味しいところは全部もっていくなどと言っていたが、この仕事にそんなものがあるのかは甚だ疑問だ。

 だがそんなことは関係ない。術の発動の呼吸は完全に姉に任せ、自分のやるべき仕事を果たすため、どこぞの火祭りを何十倍も派手にしたような熱気と騒乱が吹き荒れる鉄火場へと、迷うことなどあるはずもなく、夜の闇を強く踏みしめ、最短かつ最速の一直線で曲がることも折れることもなくただ真っ直ぐに奔り出した。一番大切なものだけは絶対に手放すことはなく。

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