第8話邂逅、そして会敵の朝✗8
「だーからそんなに心配すんなって。何もわかんなくたってレッドの奴らのひとつやふたつ、わたしらだけでかるーく
朝から元気たっぷりに臆面もなくそう言ってのけて、アルリサック・カンヴァルーは高らかに宣言した。
その溢れる活力に反応するように、彼女の癖っ毛があっちこっちに跳ねている。
そうは言っても朝だろうと夜だろうと、元気のない彼女など見たことないが。
その元気のよさに浮かれつられるように、彼女の言葉と調子は水素原子よりもなお軽い。
それもまだ戦ってすらいな、それどころか相手がどんな個体なのかも解っていないこの状況で。
彼女は何ひとつ疑うことなく、自分達の勝利を信じて謳う。
「待てアーサ。確かにみんなの強さは私もよく知っているしよく解っているが、だからといってその慢心と油断は危険だ。東洋では、蟻一匹が城をひとつ破壊する。だからこそ、石の橋でも叩いて確認しながら渡らなければならないと、そう戒める言葉が伝わっているんだぞ」
私は少し小言が過ぎるかなと思いつつ、それでも釘を刺しておく。
アーサの前向きな楽天的思考はみんなを引っ張る力になるが、それは裏を返せば後ろを振り向くことのない危機管理の低さでもあるのだから。
「これはキルッチの言う通りですわ、アーサ。どんなとき、どんな相手だろうとしっかりと気を引き締めなければなりません。そんな股の緩いことを言っていますと、何に足元をすくわれて破瓜の痛みを味わうことになるか、わかったものではありませんわよ」
そこに賛成の意を示したメルヴォルース・ドリキスが加わり、私の言葉を補強してくれる。
彼女自慢の緩く巻かれた豪奢な金色の髪は、朝の陽光を浴びて煌めいていた。
そんな彼女は上品かつ優雅な所作で、湯気のあがるカップを持ち上げ紅茶を口にする。
如何なる状況でも余裕と気品を失わない、まさしく隊の精神的支柱に相応しい姿だった。
ただその発する言葉の端々に品のない表現を選んでしまうのが、彼女唯一の玉に瑕だった。
「そうだよ。そんな油断は大敵なんだよ! それに、何も情報がないのはすごく不安だよ。何より、相手のことが解らないのは、とっても怖いよ」
そう言いながら目にかかる程伸ばした黒髪を跳ね上げるように顔を上げ、ナナルネス・ジーンリックは話の輪のなかへと入ってくる。
少し気弱なところのある彼女は、自分の内心の懸念を吐露していく。
彼女はいつも、最悪の状況を思考してしまうきらいがある、
しかしだからこそ、そうはならなよう全力でみんなを助けてくれる、健気で一生懸命な隊の支援担当だった。
「ああ、これは皆の言う通りだ。勿論、このみんなのなかにはアーサは含まれていないことを先に明言しておく。どんなことでもそうだが、情報を持たない者が最後に辿り着くのは敗北だけだ。特にレッドとの戦闘においてそれは顕著だ。敵の状態、戦場の状況、作戦の内容。これらが揃って初めて事を為せる。よってアーサは自らの発言とは裏腹に、既に脱落し負けていることになる。反論があるなら聞くが、どうせそんなものはないだろう?」
釘ではなくチクチクと針を刺すような淡々とした口調で、フォールネルト・ツーメルはアーサの言葉を否定しつつ持論を展開していく。
「ああ? あるわけないだろ、そんなもの。でも気合と根性さえあれば、大抵のことは何とでも何とかなるって。そう言ってんの!」
「それだけではどうにもならんと、さっきからそう言っているのだが?」
言いつつふたりの視線はぶつかり、目に見えない火花を散らす。
隊の切り込み役であるアーサと参謀役であるフォーが話に絡むと、いつもこんな調子になる。
真っ直ぐ前岳を見て突き進む、突撃精神に溢れたアーサ。
何事にも冷静沈着に、どんな小さな綻びも見逃さないフォー。
そんな相性最悪のふたりが真っ向から意見をぶつけ合えば、こうなることは自明の理だ。
しかしそれでもお互いに相手を嫌ってはおらず、認めるところは認めあっているのが奇妙だが微笑ましかった。
「ま、要するに、だ」
そこで最後のひとりであり隊長であるヴァルレカラッド・イーソスが、みんなの意見をまとめるように口を開く。
「確かに今回の作戦にキルッチは参加出来ん。そして情報も不確かだ。だが、それ以外はいつもと変わらん。私たち五人がそれぞれの役と任を十全にこなせば、いつも通りだ。そしてこの隊にいるみんなは、それが確実に出来る者たちだと私は確信している」
岩のように揺るぎなく、大樹のようにみんなを包み込む言葉が、五人それぞれの心に染み込んでいく。
「ま、そんなの当然っしょ」
「言われるまでもありませんわ」
「怖いけど、あたし頑張る」
「仕方ない。必要なものは自分で見付けるとしよう」
アーサ、メル、ナル、フォーが、隊長であるヴァルカの言葉に賛同の意を示していく。
「よろしい。我々の個の力、それが結ばれ紡がれたとき如何なる威力を発揮するか、奴らに叩き込んでやろう。そして教えてやれ。このほしには、私たちがいることを」
『了解!』
四人が手に手にカップやグラスを掲げ持ち、同じ言葉を唱和する。
「うんうん。私の隊の子たちはみんないい子で嬉しいよ。本当の乾杯はいつも通りに雑事と仕事を片付けてから、いつも通りに行おう。どうした、キルッチ? そんな顔して。まだ何か心配事でもあるのか?」
そうヴァルカが私に水を向けてくる。
だけど、私は何と応えていいか分からない。
この胸の裡に澱のように降り積もっていく気持ちを、上手く言葉に出来ない。
だからなのか、私はどうしようもなく的外れなことを口にした。
「だってみんな、わたしより弱いじゃないか!」
そのひと言に、全員が水を打ったように静まり返る。
そして次の瞬間、堰を切ったようにみんなが笑い口を揃えて言ったのだった。
『余計なお世話だ』
✗ ✗ ✗ ✗ ✗ ✗ ✗
このときは、まだ誰も知らなかった。
いつも通りなど、もう二度と訪れないことを。
私を含め六人で囲む食卓が、これで最後になることを。
このときのみんなの笑顔が、あんなに醜く、歪むことを。
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