第30話インテルメッツォ-30 忘却/茫客

「違う! 俺はそんなことを何ひとつ望んでいない! 何よりも、俺はお前のことを敗者だなどと決して思ってはいない!」

 男の身体は抗うように踏み留まり、全身の気力を振り絞って持ち堪える。

 少女の口から溢れる言葉に、押し流されまいとするように。

 男の心は立ち向かうよう声を張り上げ、心魂に意気を注いで耐え忍ぶ。

 少女の裡から零れる毒に、侵されまいとするように。

 男は、祈るように請い願う。

 己の真なる意を伝える為に。

 どうか少女の心に届いてくれと、想いを込めた言葉を放つ。

 その願いは、間違いなく叶えられた。

 男の言葉は、確かに少女のもとへと届けられた。

 少女の心へと、男の偽りなき想いは過たず伝えられた。

 だが、男の願いが結果となって結実することはありえない。

 それは、一人では果たすことが出来ないからだ。

 二人でなければ、果たされることがないからだ。

 何故なら、そこにあるのはひとつではない。

 男の想いだけで成立するものではない。

 そこには必ず少女の意志が、組成されているのだから。

 それは誰でも知らずとも解っていて然るべき、道理と条理。

 その単純なる原則を、男は完全に失念していた。

 どのような言葉であろうと如何なる想いだとしても同じこと。

 そんなものを果たしてどう扱うかなど、全ての権利は受け容れた者にあるということを。

 そして、少女は男の言葉をどのように扱い何と応えたのか。

 何を選択し、どのような決断を下したのか。

 少女の意志は、男の想いを如何にして仕果たしたのか。

 その答えは、滴るような少女の笑顔に全てがあった。

 男の言葉も想いも受け容れた少女は、それを両手で優しく包み込むようにそっと胸に抱きしめる。

 そうして一切の躊躇も逡巡も何もなく、惑いなく一息で握り潰した。

 曇りがないだけの不格好な硝子細工など、全くの要らないものだというように。

 跡形もなく粉と砕かれ、ただ虚しく地に落ち四散してゆく。

 そうして男は際限なく、幾度も何度でも思い知るのだ。

 男の魂、そこに刻み定められし傲慢の因果。

 その業を背負い続けている限り、男は己以外を識ることがない。

 己自身が何を為すべきなのか、それ以外を考えることが出来ない。

 男にとって最も重要な関心事は、何を為すかというその過程。

 結果など、それを積み重ねただけの履歴に過ぎない。

 故に、男は気付くこともなく思い至ることもない。

 己が成し遂げてしまったその結果。

 その末に、一体何をもたらしたのか。

 男は、一度たりとも顧みることはなかった。

 だがその在り方は、人々を惹きつけた。

 その己の道のみを迷いなく歩む姿に、皆は憧憬を抱いて続いていった。

 男が切り拓き踏み固めた道を、安穏と辿りながら。

 常に己の征く先のみを見て向き進み続ける男の背中だけを、見ていれば良かったのだから。

 故に、誰も気付かず思い至ることすらしなかった。

 前だけを見て歩み続けるということは、決して後ろを振り返らないということに。

「あらあらぁ、それはまた素晴らしくお言葉ですねぇ。で・す・が・ご自分からそんなことを仰るということは、当然自覚されお認めになられているというこれ以上ない証明と受け取って宜しいんですよねぇ? くすくす、まあ、答えはお訊きしませんが。どうせあなたのことです、お解りになってはいてもお気付きになさっていないのでしょうから」

 男がもたらした結果、その結晶とも言える少女は一欠片の慈悲も容赦もなく、男の歪みに爪を立てその心を抉るのだった。

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