第10話インテルメッツォ-10 記憶/貴奥

 男の答えを聞いた少女は、一瞬酷く間の抜けた顔になる。

 それは見た目相応に純で素朴な、まさにわらべの如き無垢な表情。

 その表情のまま何度か目を瞬かせしばたたかせ、首を捻って視線を宙に彷徨わせている。

 そうしてぐるりと一回りしてのち戻ってきた視線は、再び男に向かって定められた。

 どうやらこの話のについては、自分で回答を出すことは出来なかったようだ。

「はて? そぉでしたっけぇ? でもわたし、あなたと一緒にあちこちに気をやってた頃、確かに見た覚えがあるんですよねぇ。。あれ、あなたがお遣いになられたのではありませんでしたか?」

 少女の中に未だに残る記憶の欠片が、断片的な真実を曖昧に歪ませている。

 それを喜ぶべきなのか哀しむべきなのか、男には判断することが出来なかった。

 少女が男やその仲間達と共に在った過去に対して、何も思うことは無く何を想っていないのは明白だ。

 彼女の手によって流された血の河と築かれた屍の山を見れば、何も言わずとも明らかだ。

 ならば何故今となっても彼女の心から消えることなく、微かに残りこびりついたままなのか。

 それだけは、少女自身にしか判らないからだ。

 否、それは彼女本人でさえも判らないことなのかもしれない。

 しかしそうだったとしても、男は言葉にぜずにはいられない。

 少女に思い出して欲しく無いと言えば嘘になる。

 少女に覚えていて欲しいというのは嘘ではない。

 だが本心は、違う。

 ただ己が忘れない為に、どんな些細な切っ掛けからでも心に刻み直しただけなのだ。

 その為に、少女の記憶を利用する。

 どれだけ校閲を入れても無駄なこと。

 いかに訂正を施しても無為に終わる。

 いくら添削を行ったところで無益に過ぎない。

 幾度同じ事を繰り返しても、すぐに忘却の屑籠の底に沈んでいくだけだろう。

 少女にとって興味も関心も無いなど、何度目であろとも常にそれは最初の振り出しなのだ。

 自分の心の為にひとの感情を弄ぶもてあそぶな。

 全く、どの口が言えたものかと自己への嫌悪で男の口の端が歪む。

 やはり自分は魔王と呼ばれても仕様が無いと、改めてそう思いながら。

 決して思いはしないであろう些事に自嘲する。

 果たして何時の頃からだっただろうか。

 男には自分で己を嘲笑う悪癖が、心根深くまで染み付いてしまっていた。

「もう一度言うが、俺は魔法遣いじゃない。だがお前の言う通り、魔法遣いは確かにいた。俺と……嫌、俺の仲間の一人がそうだった。お前が見たという魔法は、遣っていたものだ。お前が姉のように慕っていた、彼女がな。そして、今はもう遣えない。そんなことは俺に訊くまでもなく、お前が全てを最も良く知っているはずだ」

 心が軋んでいく音にあえて耳を塞ぎなら、男は少女に言葉を返す。

 失われた思い出を刻み直すこと。

 二度と戻らぬ過去を語ること。

 それは自らの手で己を傷つけ自分自身を抉ることに他ならない。

 だがそれでも、男は伝えずにはいらなかった。

 そんな男の想いに一切斟酌しんしゃくなどすることなく、少女は自儘じままに言葉を紡ぐ。

「あれぇ、そうでしたっけ? まぁ、多分そうなんでしょうねぇ。えぇ、勿論わたしはそれで構いませんよぉ。あなたがそう仰るのでしたら、。今更疑ったりなんて致しませんよぉ。ただ、あなたが魔法をお遣いになられるとろこをもう一度拝見したいなぁと。そう思っただけなのですから。特に深い意味なんてありませんよぉ。だって、誰がどうしただとか、何がどうだったことやら、みんなが最後はどうなったかなんてこと、

 少女の、他人を慮るおもんぱかることのない言動は出会った頃からの常だったが、今ばかりは看過することは出来なかった。

 最後の一言だけは何があっても、捨て置くことなど男にとって不可能だ。

「どうでもいい、だと……」

「はい、その通りです」

 無垢に振るわれる屈託無き少女の言の刃の鋭さは、あの頃のまま変わらない。

 否、遥かに凌駕している。

 無情と無慈悲に研がれた無邪気さはより一層の冴えを見せ、義憤に燃える男の言葉をただ一刀のもとに斬り落とす。

 その一言が、男からの問いに対する応えの全てであるかのように。

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