第8話インテルメッツォ-8 誤解/後悔

 その目は、今でも変わらない。

 男の思い出がそのまま残る、少女の残り少ない面影の一つ。

 世界の何処にも見分けが付かないことに倦んでうんでいるような、疎ましそうな目の気配も。

 どこかで人間という生物いきものそのものに呆れているような、気怠げな目つきさえ。

 そして命あるものの営みなど全て見飽きてしまってとでも言うように、そんな厭わしげな様子を隠そうともしない正直な眼差しまで。

 変わることなく、あの頃のままだった。

 他者への興味が皆無な為に、その眼に何かが映ることはない。

 自分以外に対する関心が絶無なせいで、その瞳は何も映すことはない。

 少女の世界に色は無く、

 だからこそ、何よりも透明でどこまでも澄んでいる。

 、清澄という名の無垢なる毒。

 何処にも底が見当たらない、何もかも呑み込む純粋な深淵。

 そんな奈落を世界に二つも穿ちながら、少女はただ生きているから生きてきた。

 死にたくなる程の愁いを覚えることも、生きていることに喜びを感じることは無く。

 ただ在るが儘あるがままに、自分の為だけに生きていた。

 それ以外の事など全て、唯の一つも眼中に入ることは無く。

 少女の心にあったのは、という理由とも呼べない曖昧さだけ。

 それは少女にとって人生よりも薄く、命よりも軽いものでしかない。

 夢を見ることも無ければ希望を持つこともなく。

 こころざしが宿らない為に、野心を抱くことも無かった。

 それでも、差し当たって取り敢えずは死ぬまでは生きる事を続けてみようと思っていた。

 男と同じ時間ときを共有し、仲間と共に過ごした日々も、少女の乾いた心に空虚な風を吹かせるだけだった。

 そうして節操も無く淡々と、危うい生き方を優先して選んできた。

 何時死んでも構わないような綱渡りも殿しんがりも、率先して引き受けた。

 しかしそんな生き方をしながらも、悔いだけ残して死ぬまいとする意地だけは決して失いはしなかった。

 そんな少女の心と生き方に、変化が起きたのは何時だったのか。

 少女の陰よりも昏い道に天恵よりも眩い光が射したのは、果たしていつの頃だったのか。

 男にははそれが、解らなかった。

 より正確を言うならば、男は解っていなかった。

 共に居た仲間の誰もが同じように、誰一人として解っていなかった。

 少女を知る全ての人間が、少女がどんな人間なのか何一つ理解していなかった。

 思えば、そこが分水嶺ぶんすいれい

 運命の捻じれた瞬間

 絆が解れほつれていく前兆。

 だが、それこそが最初の間違い。

 そこで認識を誤ってしまった己の無能。

 それを看破することが出来なかった己の非才。

 自責は後悔の悔いとなり、男の心を過去に打ち付け咎め続けている。

 もしもあの時気付いていれば、全ては違っていたのだろうかと。

 少女の心に射した光が、それだけでも解ってやることが出来ていたなら。

 こんなことになるまで至った全ての無惨は、起こることなかっただろうかと。

 だが、今となっては全てが遅い。

 少女と男達の間には、絆など最初から存在していなかったのだから。

 あったのは何時でも自由に断ち切れる、麻紐の如き脆弱な繋がり。

 結び付いていた訳ですらない、少女にとってに引っ掛かっていただけの関係。

 誰もが心得違いをしていたのだ。

 共に在れば、絆は自然と芽生えるものだと。

 共に歩んだ時間が、自ずと絆を育むのだと。

 愚かにも、誰もがそう思い込んでいた。

 だから、誰も想像することすら出来なかったのだ。

 自分以外の存在に、価値を見出さない人間がいることに。

 他者との関係を、自分の都合で取捨選択出来る人間が存在していることに。

 自分以外の人間が世界に存在しない、怪物がいることに。

 だから、誰一人想像もしなかった。

 誤解と誤認と誤謬ごびゅう

 それらが齎すもたらす代償が、一体如何なるものなのか。

 誰もが仲間だと思い込んでいた少女。

 誰も仲間など思っていなかった少女。

 そんな怪物が人間の中に紛れこんでいたならば、どんな最後を迎えるのか。

 愚かにも、あの時には誰にも想像することが出来なかったのだ。

 その結果、あの頃の仲間は誰もいない。

 みんな怪物が喰らっていった。

 そうして男だけが、一人きりで残された。

 その理由は単純にして明快。

「あなただけは他の塵芥ちりあくたと違って結構強いですからねぇ、殺しきるのは。なので今日はこのへんにしておいてあげます。残りの人生、頑張ってお一人で生きてくだい。まかり間違っても復讐だとか敵討ちだとか、そんな手間と時間の掛かることにわたしを巻き込んだりしないで下さいね。いいですか、解りましたね。わたしとの約束ですよ。破ったら指と一緒に腰から下に生えてる、全部切り落としちゃいますから。その後ぶっとい肉の針を、身体中の穴という穴に千本以上捩じ込んで差し上げます。だから絶対に絶対ですよ。そんなことになったら、今度こそちゃんと殺しちゃいますからね」

 それは勝者だけが持ち得る絶対的な権利。

 絶大なる強者のみに許された余裕。

 敗者にして弱者には、地に伏し泥を舐めながら、その屈辱と侮辱を享受するのみ。

 そして少女にとっては、人を殺すという意志すらないのだ。

 殺意のない、単純な死を振りまくだけの無邪気な怪物。

 少女はただ刃を振るう。

 そこにはの首がある。

 そのまま振り抜いたら二つに分かれて

 ただ、それだけに過ぎない。

 その過程の繰り返しが、今の結果に繋がっている。

 それは人間が虫を潰すことによく似ていた。

 殺意をもって、虫を潰そうとする人間はそうそういない。

 大概は邪魔だったから、五月蝿かったから、

 叩いたら、潰れて死んだ。

 死ななければ、そこまでの話。

 それだけで終わる話に過ぎない。

 男が死ななかった理由も全く同じだ。

 決して生かされた訳でも、ましてや殺されなかった訳でもない。

 ただ作業過程を中断された。

 だからそのまま放置した。

 だから男は生き残った。

 そうして一人になった男は思い知る。

 命以外の総てを失った男は、漸くようやく理解の末端に手をかける。

 怪物を自分達の尺度で図り、手前勝手な解釈で納得した者達。

 その末路が一体どんなものになるのかを。

 そして答えは、今ここに全て出揃った。

 その顛末と結末と終末、彼らが絆と読んでいたものの成れの果てが、ここにいる

 全ての仲間を殺された男。

 誰かを皆殺した少女。

 互いを見詰める熱量に、差があり過ぎる二人の対峙。

 そんな二人を愉快そうに座して眺める、この場にいるもう一人の三人目。

 まるでそこらの家庭からそのまま拝借してきたような、あまりにも質素な玉座。

 そこに行儀よく腰掛けた姿は、ここが彼女の寝室であるかのような錯覚を覚えてしまう。

 だが彼女が堂々と尻を敷いているその位置こそ、本来ならば神の似姿が恭しく鎮座していたことに鑑みれば、あながちそうではないとも言い切れない。

 そして一言も発せずとも、彼女がどのような存在なのか自ずと察しが付いてしまう。

 それだけの光輝なる威厳と崇高なる神格が、隣に立つ少女が放つ存在感を圧しておして尚男の下まで届いてくる。

 その座った足が浮いている、幼さが残るどころか幼さそのものの外見をした童女こそ。

 決して地に足が付くことがない、容姿の調和が美の極致にまで昇華した幼気いたいけなる妖艶さで空気を濡らすこの至上の存在こそ。

 世界最強の使えないつるぎが、己の存在の総てを捧げたこの世界で唯一の絶対。

 その魂の総てを奉じて傅くかしずく、少女の世界に唯一存在する至高の人。

 この世界で、最低最悪の純真なるちから

 世界を侵食するが如くその背より溢れる赫燿かくやくたる輝きが、この童女が如何なる存在かを何より如実に証明している。

 その凶悪な光を心底心地良さげ全身で存分に浴びている少女。

 事此処に至って未だ何一つ変ることのなかった男を、事此処まで至った元凶たる少女は何一つ変わることの無い目で見詰めている。

 そんなところばかりが変わること無く、男の記憶、その思い出の中にあるままだった。

 しかしそんな色褪せた思い出も、灼き尽くされるように呑み込まれていった。

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