翼人

@hamapable

第1話

 霧が濃くなってきた。

「この霧を抜けたら―――」

悪いのは視界だけだというのに、運転手は大きな声で、一音ずつ区切りながら言った。

「そしたら、私はそこで引き帰らせて頂きますね」

私が返事をするより前に、運転手は「心配しなくても、すぐ抜けますよ」と続けた。

「昔はこの霧が抜けられなくてね、最近ですよこの道が見つかったのは」

そうだ、だから彼らは魔法を使うとずっと言われてきた。訪れる者を拒む霧、今はこの霧もただの気象現象であることが証明されている。彼らが我々の容姿とかけ離れていることは事実だが、どうやら魔法が使えるわけではないということもわかってきた。

けれど、魔法が使えなくても、彼らは神秘的だ。

「薄くなってきましたね、霧」

私の声はよほど不安に満ちていたのだろう、運転手が笑うのが聞こえた。

「ちゃんと街が見えるところで降ろしますから、ちゃんとわかりますよ」

はい、と言ったつもりだが声になっていたかはわからない。

 窓の向こうはまだ霧でぼんやりしているが、どうも崖沿いの道を走っているらしいことがわかった。すぐ左は奈落だ、よくこんな道をあの霧の中正確に走っていたものだ。

 「"外科医"なんでしょう、あなた」

げかい、という三文字に力を入れて、運転手は私に訊いた。

「なんでまた外科医の方がここへ」

 霧が晴れた。

「あなたよほど悪趣味な―――」

「霧、晴れました」

私は運転手の声を遮った。「ここまで、ですよね」

運転手は黙って車を止めた。


  美しい集落なのだろうという予想は、小さく裏切られた。無論それは私の予想が幻想的過ぎたからだが―――目の前にあったのは、どこにでもある森で、更に人が住むために切り開かれていた。森の中で暮らしたいと思うなら理想的なロケーションだが、私は彼らは木の洞に住んでいるとさえ夢見ていたから、近代的な―――寂れた避暑地によくあるような、少し時代遅れの―――ログハウスを見た私は、少し拍子抜けさえした。

「キ、タ、さん?」

どこからか声がして、私は辺りを見渡した。

「キタさん、ですか?」

集落の入り口に佇んでいるログハウスの門の影から、十代くらいの少女が飛び出してきた。

「ええ、はい、北です」

慌てて私は帽子を脱いでペコリとお辞儀をした。

「アヤカです。ほら、お電話したでしょう」

少女はぴょんぴょんと私に駆け寄ってくる。

「ああ、アヤカさん、この度は、どうも」

今夜宿泊するお宅の娘さんだ。この集落には宿というものがないうえ、運転手は集落に入るのを嫌がるので、日帰りで訪れるか、私のようにどこかのお宅にご厄介になるしかない。

「本当にいらしたのね! 嬉しいわ、歓迎しますわ」

アヤカさんはぴょんぴょんと跳ねる。

「"やうた"の方がうちに泊まるなんて初めてだわ。だってそもそも滅多に来ないし、来てもすぐ帰られるのよ。ずうっと前に泊まった方はうちには来なかったし」

早口で捲し立てる。

「ええ、あの、感謝致します。私のような見ず知らずの」

「まあ!見ず知らずなんてひどい。兄さんを手術したのでしょう」

剃刀のような発言に私はぎょっとした。

「ええ、あの」

どう答えればよいのか。確かに私は、彼女の兄から体の一部を切除した。

正確には、彼女の兄からだけではない。

何人もの翼人の背中から、美しい、広げると片方が四畳ほどにもなる、純白の翼を、切除したのだ。


 彼らの背には翼が生えている。滑空することはできるかもしれないが、どうやら飛ぶことはできないらしい。もっと残念な現実を明らかにすると、ほとんどの翼人はその翼を完全に広げることすら難しい。日常生活で使わないため、翼を扱う筋肉が発達していないのだ。

 ではなぜ彼らには翼があるのか、そんなことはわからない。ただひとつわかっていることは、その翼は現代に置いて厄介でしかないということだ。彼らの集落で生活をするぶんには問題ないかもしれないが、集落を出て暮らすとなると、住宅も家具も、交通機関さえ翼があることを前提に設計されてはいない。

 多くの翼人が翼の切除を望み、我々一部の外科医はそれに応えた。一部の、というのは、翼の切除自体は違法でもなんでもないが、生まれ持った―――しかも美しい―――身体的特徴を、病気でもないのに切除することには賛否両論あるからだ。翼人も、翼のない人間も、無慈悲な外科医に石を投げる者は多い。特に集落に住み続ける者は外科医を恨みさえしていると聞いていたから、私はアヤカの笑顔に困惑した。

 アヤカは私が言葉を詰まらせた理由を見抜いたらしい。

「兄さんが望んだ手術でしょう、それをお引き受けくださったのでしょう」

ニコニコと私に近づき、当然感謝していますわ、と頭を下げた。

「それに、正直なところ」

小さく周りを見た渡したかとおもうと、アヤカは私の顔にぐっと近づいた。

「私も大人になったら、手術をしようと思っているんですの」

驚きとともに、なるほどという気持ちにもなる。彼女は現代っ子だ、とでもいうべきか。

「そのときはきっと先生にお願いしますわ」

我が家はこちらです、とアヤカは集落の奥へと私を案内した。


 アヤカの髪は日に透けると少し赤く、そうでなければ真っ黒に見えた。これは彼女の兄も同じで、私はこれを太陽によくあたる人の特徴だと思っている。つまり私の持論では、紫外線によって髪が灼けるとすこし赤みを帯びるのだ。これは私が小さい時分に、活発な従兄弟の髪をみて得た持論だった。

 目の前の男性も、同じ髪をしていた。当然だ、彼はアヤカの父で、私の患者の父で、そして、この村への訪問を強く希望した私を、受け入れてくれた人だ。

「この度は、ありがとうございます」

私は彼とまだ目を合わせることができない。ただ赤く透けた髪を見ている。

「私のような、つまり外科医は、翼人の、その」

緊張なのか、だんだんと息ができなくなってくる。

「翼人の村に入るなんて、できないと思って、いましたから」

「私も"やうた"が」

目の前の男性は、気まずそうに咳払いをした。

「失礼。翼をもたない方には、この村は不便でしょうに」

詳しく意味は知らないが、"やうた"は翼をもたない人間のことを指す。

男性の言い回しは皮肉と猜疑心に満ちていた。何故来たのか、浅はかな好奇心ゆえではないのか―――

 気まずい沈黙が流れた。こうなることが分かっていたのだろうか、アヤカは私を自宅に招くと、父親に声をかけさっさとどこかに出かけてしまった。私はどこを見ていればよいかわからず、男性の向こうの壁を見つめていた。

「―――失礼」

彼もまた自分の顔を見てはいないことに、ようやく気づいた。

「こんなことを言われるために、おいでなさったわけではないでしょうに」

私もまだ彼の顔が見れない。

彼がどんな表情をしているのか。

自分自身がどんな顔をしているのか。

「私が何故来たのか、ご不安でしょう」

ようやく発した自分の声が、震えていることはわかった。

「もしかすると、私たち外科医のことを、翼を奪う悪魔のように思っていらっしゃるかもしれませんが、決してそんな―――」

「それはわかっている」

ぴしゃり、と男性が答えた。私は少し驚いて、息を吸う。

「翼を切り離すように望むのはあなたではない、患者の方だ」

私が息を吸っている間に、男性は早口に言い切った。

「息子のようにね」

息を吐く音がした。


 壁の木目は、温かみがあった。この家は翼があることを前提に設計されている。ふと壁にもたれかけられるように、壁には傾斜がつけてあった。天井は高く、ドアは両開きで、大きく開くようになっている。


「私は、もうこの仕事をやって20年近くになります」

本当は17年とちょっとだが、この「20年近く」というちっぽけな見栄は、私の癖でもあった。

「翼の手術も同じくらい前からやっています。たった20年近くで―――」

急に自信がなくなり、私の喉から声が出なくなった。壁の木目がぐるぐると回りだしたかに思えた。

「やはり、そう思われますか」

男性の爪がテーブルを叩く音がした。思わぬ合意に、私は彼の顔を見た。


髪が透けたときと同じ、赤味がかった瞳をした、どこにでもいる老人だった。


 ゆっくりと、私の喉がまた動き出した。

「たった20年近くで私が観察した限りでも、あなたたち翼人の翼は、年々大きくなっているように思います」


 そう


 そうなのだ、私がこの村に来た理由はそれだった。アヤカの翼も、アヤカの兄の翼も、広げれば片方が四畳ほどにもなるであろう大きさだった。最近手術をした若者も皆、そうだった。背骨が翼の重みに耐えられず、背骨が変形している者さえいた。


 そして私の目の前にいる男性の背中には―――


「私の翼と娘の翼を比べてみますか」

老人は皮肉げに笑った。

「しかし広げなくともお分かりではないですか。私の家系はとくにわかりやすいほうだと思います。私の翼は明らかに息子や娘よりも小さい」

私が答えるよりも前に、老人は立ち上がり、隣の部屋に消えた。

隣の部屋から声がする。

「今アルバムをお持ちしましょう。私の父は私よりも翼が小さかった。その父の写真もあります。写真だけでは、わかりにくいかもしれませんが」

お気遣いなく、と答えたかったが、何しろこの村に来た目的はそれだ。私は黙って座っていた。

隣の部屋から戻ってきた老人は、私の前にそっとアルバムを置いた。

「必要なら、持って帰りなさい」

私はアルバムの上に手を置いたまま、じっと俯いていた。

老人は私をしばらく見つめていたが、部屋を出ていこうとした。

「我々"やうた"は」

自分でも驚くほど大きな声が出て、私は老人を見た。老人も驚いた様子で私のほうへ振り返っていた。

「我々は、ずっと昔あなた達を見たときには、かつてあなた達は空を飛んでいたのだと思っていたのです」

もはや筋力は失われているが、それでも昔は空を飛んでいたか、それかどうにかして、滑空していたと思われていた。

「しかし、年々とあなた達の翼は大きくなっているのです。つまり、もっと昔はもっと小さかったということも考えられます」

「そう」

老人はゆっくりを頷いた。

「おそらく我々の祖先も、空を飛んだりはできなかった」

「では」

ではその翼は何なのか。なぜ、大きくなるのか。


近年は自分自身の体を変形してしまうほどに。


では何故


その言葉は、体の外に出なかった。


老人の瞳の奥に、怯えが見えた。

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