38日目 桃太郎の桃

 目が覚めたら、流されていた。


 流れる水の上に、ぷかぷか浮いている感覚がする。

 体の中で、何かが動いている感覚もする。

 そして――聞こえてくる音が、なんとなく、「どんぶらこ~どんぶらこ~」と聞き取れる気がする。


 日本語には色んな擬音があるけれど、この5文字ほど特定のシチュエーションに限定された擬音もないと思う。

 今日の俺は、巨大な桃になって、川を流れているようだ。

 神は殴れないけど――鬼は殴れるかもしれない。俺から生まれた太郎くんがやってくれる。


 川に流されながら、あたりを見回す。

 道路は舗装されていないし、電線や鉄塔ひとつ見えない。川の護岸工事なんてされていないし、遠くに見える家は茅葺きである。

 どうやら、本当に「むかしむかし」の時代らしい。それも、田舎である。


 ……お。あれは。

 大きなたらいを横に置いたおばあさんが、川で洗濯をしている。この時代の服の素材が何かは知らないけれど、洗濯機なんて便利なものはないし全部手洗いだ。ご苦労様です。そもそも石鹸すらないかもしれないけれど。


「おや……」


 俺がどんぶらこどんぶらこと流れていくと、おばあさんはこちらを向き、大きな声を出す。演劇かってくらい大きな声だ。


「これは立派な桃だ。持って帰ってじいさんと一緒に食べようじゃありませんか」


 独り言にしては大きい。ボケてる……わけじゃないだろうし。

 あるいはこの世界が『桃太郎』の世界だから、これをお話として見た人が理解しやすいように、世界の法則や常識がねじ曲がっているのかもしれない。


「よいせっと」


 川の真ん中を流れる俺に向けて、おばあさんが手を伸ばす。


 すると。

 次の瞬間、俺はおばあさんに抱きかかえられていた。


 ……は?


「じいさんも喜んでくれるじゃろう」


 おばあさんどうやって拾ったんだろうって積年の疑問が解決されると思ってたのに!

 何それ? ハンドパワー? どういうこと?

 必要ない描写は世界からも省かれちゃうの?


 大きなたらいの上にすっぽりとを乗せて、おばあさんは言う。


「今日はもうおしまいだ。帰りましょう」


 次の瞬間――俺は、おばあさんの家の前にいた。

 都合よく、じいさんも柴刈りから帰ってきている。

 なんなんだこの世界。


「ああ、おじいさん。大きな桃を拾ってきたから食べましょう」


「なんだいこの立派な桃は。いいじゃないか、食べよう」


 包丁を持ったおばあさんが、俺に刃を当てる。

 衝動に突き動かされて、体が動く。ぱかっと割れる。


「おぎゃー!」


 主人公が生まれた。これが幼い桃太郎か~。

 そんなことを思いながら、俺の意識は消えていく。桃の出番は終わったから、世界から抹消されてしまうのだろう。


 ……次は、もう少しまともな桃太郎の世界だといいなあ。

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