豊穣の村

吉野玄冬

第1話

 世は群雄割拠の戦国時代。

 近江国おうみのくには織田信長が平定するまでの間、北部南部ともに激しい戦の渦中に何度も置かれた。

 男は雑兵として出て行くことが多く、どこの村も農作業を行う労働力が不足しており、更には年貢の取り立ても厳しいことで、飢饉ききんに苦しんでいるところばかりだった。


 しかし、そんな中でも豊かに暮らす一つの村があった。

 その辺りは以前は広大な森林で満たされていたが、長い時間を掛けて人々が切り開いていった土地だ。

 今や小高い山が残されているだけで他は畑や住居で埋め尽くされている。

 そこでは不思議なことに毎年あらゆる農作物が豊作続きで、年貢を取り立てられても余りある収穫があった。

 それゆえ、人々は決して穏やかな時勢でなくとも健やかに毎日を過ごすことが出来ていた。


 そんな村の外れ、山を入ってしばらく進んだところに一軒の家があった。

 藁葺わらぶきの屋根と木の壁で造られたこじんまりとした物だ。

 見るからにごく少人数しか住むことが出来ない。

 隣には畑があり、豊かに実った農作物をせっせと収穫する一人の少女がいた。


「っ……」


 額の汗がその大変さを物語っていた。

 未だよわい十二の彼女には重労働だと言える。

 しかし、手伝う者は誰もいない。

 見るからに着古した小袖を一層黒ずませながら、黙々と続けている。


 少女の名前は椿つばきと言う。

 今は泥で塗れているが、その肌は玉のように滑らかな白色だと窺わせた。

 人目を惹くのは容姿も同様で、幼くも整ったかんばせをしていた。


 椿はこの場所で独りで暮らしている。

 少し前までは母親と一緒だったが、今はいない。病気で亡くなってしまった。

 生前に色々と教わっていたので、今のところは問題なく過ごせている。

 やがて、本日分の収穫を終えたところで来客があった。


「こんにちは、椿ちゃん」


 しゃがれた声でそう言ったのは、ふもとに住んでいる老婆だった。

 その手には何かが包まれた風呂敷を抱えている。


「あ、おばあちゃん」


 その姿に気づいた椿はすぐに傍まで駆け寄った。

 老婆は息を切らしているので、手を貸して縁側に座らせた。

 山に入ってこの家まで歩いてくるのは椿のように若くても一苦労となる。

 老婆のような年となれば猶更だ。


「いつも無理して来なくていいって言ってるのに……」

「椿ちゃんが心配でね。様子を見に来たくなるんだよ」


「でも……」

「前も言ったが、村に住むのはどうだい? そしたら私も安心できる。村長だって子供を邪険に扱ったりはしないよ」

「……ううん。わたしはお母さんと一緒にいたいから」


 椿はそう言うと、家の脇にある墓を一瞥した。

 石を立てただけの簡易な物だが、その下には母の遺体が埋まっている。


「そうかい。なら、仕方ないね。それじゃこれ」


 あっさりと引いた老婆は風呂敷を開くと、中から南瓜を取り出した。


「ありがとう、おばあちゃん」


 素直に礼を言って受け取る。

 以前、断ろうとしたこともあったが、荷物になるから、と押し返された。

 他の農作物を渡そうとしても同様だ。

 なので、申し訳ない気持ちとなるが、一方的に貰うことしか出来ない。


 物心つく頃には父も祖父母もいなかった椿にとって、老婆は自分の祖母も同然だった。

 それゆえ、労わりたい気持ちはある。

 その為には言う通りに山から下りて村に住むのが良いだろう。


 しかし、椿にはそう出来ない理由があった。

 それは決して老婆に言ったことではない。

 母も椿も村の人々には不気味がられている。

 村に関わろうとせず、山の中に住み続けている為だ。

 近くに住んではいても、彼らからすれば余所者に過ぎない。


 老婆は例外だ。こんな自分達に優しくしてくれる彼女はあまりに善い人だった。

 それでも、打ち明けられない秘密がある。

 母には村に下りるのは必要最低限にするように言明されていた。

 だから、老婆の提案に従うわけにはいかない。


「それじゃあね」


 少し休んだ老婆は去って行った。

 その後ろ姿を見送った椿は、貰った南瓜をどう調理するか考えながら家の中に入った。





 闇夜に包まれた山中を歩み行く者がいた。

 優れた視覚によって獣道を見つけ出すことが出来るので、暗闇でも大きな問題はなかった。

 ただ、昼日中ひるひなかの方が進みやすいのは言うまでもない。

 それでも、人目に付くことは出来ない理由がある。


 その原因は彼の容姿にあった。

 褐色の肌に紫の髪、そして琥珀の瞳。どれも只人にあらざる特徴だった。

 他者に見つかってしまえば最後、すぐさま捕らえられてしまい、良くて見世物、悪くて処刑という未来は想像に難くない。

 それゆえ、こうして人目をはばかり行動するしかなかった。


 彼の名前は嵐介らんすけと言う。

 元は上等だった小袖もこれまでの道中ですっかりボロボロになっていた。

 今のように山中を進んでいると、木々の枝や葉によって擦れていってしまうのだ。

 彼の身体が十四という齢に関わらず、成人男性に勝るとも劣らない背丈なことも原因の一つだった。

 必然的に引っ掛かる範囲が増えてしまう。替えはないのでどうすることも出来ない。

 ただそれよりも一つ、重大な問題が発生していた。


「うぅ……」


 嵐介は騒がしくがなり立てる腹部を押さえた。

 もう数日、ろくな物を食べていなかった。

 持っていた食料はうに底をついており、入手できる当てもない。

 これまでは夜の内に畑から必要な分だけ盗んで持ちこたえていたが、最近はどこもかしこも痩せた土地だらけで盗むには忍びなかった。

 そのせいで行き倒れてしまっては元も子もないが、嵐介は豊かな土地を探すことを優先してしまった。


 元より行き場のない流浪人。ここらが潮時かも知れない。

 身体が泥濘ぬかるみに捕らわれたように重く、ぼんやりしてきた視界の中でふと思った。


 そうして、嵐介の心が諦めへと傾いてきた時のこと。

 獣道を抜けたかと思えば、少し開けた空間に家が見えた。

 どうやら中で蝋燭の火が灯っているようで、窓から柔らかな光が漏れている。

 人が住んでいるのだろう。なら、食料もあるはずだ。

 そうは思ったが、奪うことには躊躇いがあった。

 かといって、この見た目だ。頼んだところで応えてくれるはずもなし。


 とにかく傍に行ってみよう。

 畑があって豊かに実っているようであれば、いつものようにそこから頂けばいい。

 そう考えた嵐介だったが、既に限界が近かった身体は思うようには動いてくれず、あろうことか家の傍まで来たところで力尽きてしまう。


 家の中から物音がする。転倒したことで気づかれてしまったらしい。

 ここまでか、と嵐介は全てを投げ出すように瞼を閉じた。

 あっという間に意識が遠のいていく。


「大変! 大丈夫!?」


 最後に聞いたのは耳朶じだに心地の良い、軽やかながらも玲瓏れいろうな響きの声だった。





 小鳥のさえずりが山中に響き渡り、朝の訪れを教えてくれる。

 目を覚ました椿は慌てて身体を起こした。

 隣を見ると、昨夜見つけた若い男が寝ている。呼吸をしており、冷たくもなっていないので、ホッとする。


 夜も更けてきてそろそろ眠ろうかという頃、突然外から音がしたので驚き、それが獣でもなく人で、倒れていたことには再度驚いた。

 その大きな体を引きずりながら何とか家の中に運び込むと、母の布団がまだ残っていたので、ひとまずそこに寝かせた。

 目を覚まさないことにはどうしようもない、と傍に控えて彼の様子に気を付けていたが、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。


 見たところ、夜の内に起きた様子はなかった。起こしてみても大丈夫だろうか。

 椿が思案していると、突然男はうめき始めた。


「ぐ、うぅ……」


 胸を掻き毟るようにして苦しんでいた。

 しかし、こういった時の行動に詳しくない椿は、何をすれば良いか分からずにおろおろとしてしまう。

 村に誰か人を呼びに行くべきだろうか。だけど、山を下りるのに時間が掛かってしまう。それじゃ間に合わないかも知れない。

 そんな風に必死に考えていたが、男はカッと目を開いた。視線を力なく彷徨わせる。


「……こ、こは?」


 椿は目を覚ましたことに安堵し、声を掛ける。


「わたしの家よ。あなたは家の傍で倒れていたの」

「…………」


 椿の存在に気が付いた彼は驚いた様子を見せ、口をつぐんだ。

 その表情がフッと暗くなったように思えたが、何か間違っただろうか。

 これまで母と老婆以外の関わりがない椿にとって、どう接すれば見当も付かなかった。


 何を言おうか悩んでいると、突然、雷鳴のように大きな音が轟いた。

 それは彼の腹部から発されていた。そこでようやく弱っている原因を察する。


「……もしかして、お腹が空いているの?」


 それなら何とか出来る。

 そう思った椿は、昨晩貰った南瓜の残りを差し出した。鍋で煮込んだものだ。

 流石に丸々一つは食べ切れないので、何度かに分けて食べ切ろうと思っていた。


「……っ」


 男は信じられないといった顔をし、目の前に差し出された食べ物に抗うことは出来ず、身体を起こすとガツガツ喰らい始めた。


「……ふぅ」


 椿なら二日は掛かりそうだった量をあっという間に食べ切ってしまうと、男は満足気に軽く息を吐いた。その機を見越して話しかける。


「わたしの名前は椿。あなた、名前は何て言うの?」


 こちらを警戒しているようだったが、ジッと見つめていると根負けしたように呟いた。


「……嵐介」

「嵐介、素敵な名前ね」


 言葉で聞いただけの椿にそれがどのような字か分かるはずもないが、声に出してみて何となく良い感じがした。

 男の人と会話するのは初めてということもあり、何だか楽しい気分になってくる。

 そんな椿を胡乱な眼つきで眺めた嵐介は、意を決したような表情で問いを投げ掛ける。


「お前、俺が怖くないのか?」


 その問いに椿はキョトンとする。言っていることの意味が分からなかった。


「どうして?」

「だって、ほら、俺はこんな見た目で……」


 そう言って嵐介は自分の身体を指し示したが、それでも椿は理解できない。

 褐色の肌に紫の髪に琥珀色の瞳。何か変なのだろうか。


「……村の男の人とは違っていると思うけど、外にはあなたのような人もいるのね」


 老婆以外の村人を遠目に見たことはある。

 なので、男性という存在については知っていた。

 それらと嵐介が違っていることは分かる。

 だからと言って、まともに触れ合ってきた相手が母親と老婆だけな椿には、そういうものなのだとしか思えなかった。


「そんなわけないだろ。外にだって俺みたいな奴はいない」


 そう語る嵐介の瞳は哀し気に見えた。

 気づけば椿は彼の手に触れており、穏やかな声音で囁きかける。


「それでも、わたしはあなたを見た目で怖がったりしないわ。だから、安心して」


 彼はまるで怯える獣のようだった。

 その為、ちゃんと伝える必要がある。怖くないよ、と。


「お前……」

「わたしはお前じゃないよ。椿って呼んで」


「……椿は変わっているな」

「そう? わたし、ずっとここに住んでるから自分が変わっているのかも良く分からないの」


 その言葉に嵐介はフッと笑みを零した。

 ようやく肩の力が抜けて、警戒が緩んだようだった。

 椿は密かに安堵する。

 初めて尽くしの対話に緊張していたが、上手くいったらしい。


「ご飯、まだ食べられる? わたしも食べたいから作ろうと思うんだけど」

「いいのか?」


 彼は心配そうな目でこちらを見てきた。食料の貯蔵を気にしているのだろうか。

 貯蔵分で乗り切らなければならない冬なら少し厳しかったかも知れないが、草木が盛んに生え広がる今の季節なら特に問題なかった。

「うん、大丈夫。この辺りは豊かな土地で食べ物には困ってないもの」

「そうなのか……珍しいな。今は飢饉で苦しんでいる場所ばかりなのに」

「飢饉?」


 椿は聞き覚えのない言葉に首を傾げる。


「食料が足りていないことだ。不作が原因らしい」


 嵐介の説明を聞いて納得した。

 自分達に無縁な言葉が使われることはあまりない。道理で聞き覚えがないわけだ。


「この辺りは毎年、豊作続きだから。ほら、見て」


 閉じていた戸を開いて、縁側の向こうに広がる畑を見せる。

 そこには多種多様な農作物が実っていた。

 特に今が収穫時の野菜が彩りを飾っている。

 嵐介は感嘆の息を上げた。


「凄いな、どれも立派で……」

「それじゃあ、少し休んでいて。ご飯の準備するから」


 そう言って椿は立ち上がると、火を起こす為の薪と食事に用いる野菜を集める為、外に出た。





 嵐介は畑で収穫を行う椿の姿を眺めていた。

 どうやら本気でまた食事を振舞ってくれるつもりらしい。

 この異質な見た目を気にすることもなく、優しくしてくれる。

 そんな人間がいるなんて、とても信じられなかった。


 ずっとここに住んでいると言っていた。

 それは他者との関わりが薄いということだろう。

 その分、俗世の穢れに染まっていないのかも知れない。


 増え過ぎた人間の醜悪さに傲慢さ。

 そんなものを嫌というほど見てきたからこそ、椿の心は純真無垢に思えた。

 それは白く透き通るような彼女の肌と同じように綺麗に感じられた。


 気づくと、嵐介は立ち上がっていた。

 先程の食事で既に身体は元気を取り戻している。

 動いても問題はなさそうだったので、畑の方に出て椿に声を掛けた。


「俺も手伝う」

「そう? なら、薪に使えそうな木を集めてもらえる?」

「分かった」


 嵐介は近くのくさむらから枝を拾い集めていく。

 長く燃やしていられるような太い物も家の傍まで持っていった。

 すると、それを見た椿は感心した様子で声を上げた。


「わぁ、嵐介は力持ちなのね!」

「これくらい、普通だ」

「そんなことないわ。わたしじゃ細くて小さな枝しか運べないもの」


 確かに彼女の体躯は随分と華奢だった。背丈も嵐介の胸元辺りまでしかない。

 まるで柳か何かのようで、強い風が吹けば折れてしまいそうに思う。


「だから、手伝ってくれて嬉しい。それじゃ中に戻ってご飯にしましょう」


 椿は囲炉裏に積もった灰の上に薪を置くと、火吹き竹を使って空気を送り込んだ。

 昨夜起こした際の火種が残っていたようで、間もなく薪に火が移っていく。

 その後、水とひえや野菜を入れた鍋を煮込みながら、こちらに話しかけてきた。


「嵐介は何歳なの?」

「十四だ」

「じゃあわたしの二つ上ね。わたしは十二歳だから。でも、そんなに大きいから大人だと思ってた。男の人ってそういうものなの?」


 椿は好奇心で聞いている様子だった。

 山中にあるこの家で過ごし続けているようなので、世については知らないことばかりなのだろう。

 嵐介は何と答えるべきかと思案するが、彼女にはなるべく誠実に話したいと思えた。それでも、とても話せないこともあるが。


「いや、俺が普通じゃないだけだ。普通は椿とあまり変わらないくらいだろう」

「そうなんだ。なら、嵐介が特別なのね。きっと色々な人に羨ましがられたでしょ」


 椿の言葉に他意はないのだろう。素朴な感想を言っただけに違いない。

 それでも、頷くことは出来なかった。自然と声が低くなってしまう。


「……そんなことはない。人は自分達と違っている相手に対しては恐ろしいくらいに残酷になるんだ」


 家族や祖先がどれほど酷い目に遭わされたか。

 その光景が脳裏をよぎり、身体が強張った。

 椿はこちらの様子から暗い感情を察したようで、柔らかく包み込むような声音で呟く。


「それは……悲しい話ね。こうしてお話が出来るなら、仲良くすることは簡単なはずなのに」


 皆が彼女のように心優しい人であれば良いのに、と切に思う。

 やがて、椿は鍋に入れた具材が十分に煮えたのを確認し、最後に味付けとして味噌を加えた。


「はい、どうぞ。召し上がれ」


 完成した味噌雑炊入りの椀と箸を一緒に手渡された。

 先程は礼儀も何もなく獣のように喰らってしまったが、今度はしっかりと感謝の気持ちを込めて手を合わせる。


「いただきます……ん、美味しいな」


 そう言うと、自分の分にも手を付けずにこちらの様子を窺っていた椿は、にへらと頬を綻ばせた。


「ほんと? 良かったぁ……」


 安堵したらしく、彼女も食べ始めた。どう思われるか、心配だったのだろう。

 ただこちらとしては、こんな風にちゃんとした料理を食べること自体が久しいので、文句があるはずもない。

 美味しい、という感想は嘘偽りのない言葉だった。

 少しして、椿はふと思いついたように口を開く。


「そう言えば、嵐介はどこかに行こうとしていたの?」

「別にどこでもない。行く当てもなく放浪していただけだ」

「そう……」


 椿はこちらの返事を聞くと、何かを考えるような仕草を取った。

 その後、彼女は驚きの提案をしてきた。


「なら、もし良かったらなんだけど……ここに一緒に住まない?」

「なっ……」


 嵐介は思わず絶句してしまう。

 まさかそんなことを言われるとは思ってもいなかった。

 椿が心優しい人間なのは十分に分かったつもりだったが、それにしても会ったばかりの者を信用し過ぎだ。


 悪い奴ならその優しさに付け込んで何を仕出かすか分かったものじゃない。

 例え自分が悪事を犯すことはなくとも、そのような立場に甘んじるのはまっぴらごめんだった。

 これは矜持の問題だ。

 優しくしてくれた相手だからこそ、それを利用するような真似はしたくなかった。


「嵐介は他の人に見られたくないのよね? ここにはわたし以外いないから丁度いいじゃない。後はたまに麓に住んでるおばあちゃんが訪れるくらいで、いつも長居はしないからその間だけ隠れてもらって」


 そう言われると、確かに条件としては理想的だった。

 食事に困らず人目に付かないのであれば、これ以上にない環境だ。

 しかし、嵐介は首を横に振った。


「駄目だ。命の恩人である椿にこれ以上迷惑を掛けるわけにはない」

「そんなことないわ。わたしはこれっぽっちも迷惑だなんて思っていないもの」

「それでも、だ。椿がどう思おうと、俺が納得できないんだ」


 言明すると、椿は栗鼠りすのように頬を膨らませた。

 ようやく子供らしい一面を見た気がする。

 けれど、彼女は激昂するようなことは決してなく、胸の奥底にある泉から汲み上げていくように、ポツリポツリと穏やかに言葉を紡いでいく。


「……前はお母さんが一緒だったけど、もう死んじゃったから、今のわたしは独り切り。そういうものだと思ってたから、別に嫌じゃないの。でもね、こうして嵐介と出会って、やっぱり誰かとお話するのは楽しい。もっともっと、わたしが知らないことを教えて欲しい。それに、やっぱりわたし独りで過ごしてると大変なこともある。だから、嵐介に手伝って欲しい。力を貸して欲しいの。それじゃ理由にならない?」

「うっ……」


 椿の真摯しんしさが良く伝わってくるので、嵐介は言葉に詰まってしまった。

 これ以上、無下に断ることは躊躇われた。こちらも真剣に考えなくてはならない。

 彼女の言う通りであれば、決して一方的に迷惑を掛けるわけじゃない。

 こちらが提供できるものがある。それならば己の矜持を納得させることも出来た。


「…………分かった。いつまでかは分からないが、しばらくここで世話になっていいか?」


 嵐介は悩んだ末にそう述べた。いずれは出ていくようなことを匂わせたのは、もし椿が迷惑そうにしたならすぐにでも出て行こう、という思いからだった。

 しかし、彼女はそんなことは気に留めた様子もなく、パーッと花開くように表情を明るくした。


「うん、もちろん! それじゃ早速、嵐介が住む為の準備しないと!」


 椿は食事もまだ終えていないのに立ち上がって、部屋にたった一つの箪笥の中を探り始めた。

 彼女の提案を受け入れたのはいくつかの条件が噛み合った結果に過ぎない。

 ただ結局のところ、自分はこの椿という少女の優しさに触れて、惹かれてしまったのだ。

 ならば、遅かれ早かれ承諾していたかも知れない。

 椿のせわしい姿を見ながら、嵐介はそんな風に思った。

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