第15話
今夜は前と反対、南銀端の宿にベッドイン。
裏参道から入れた次は表から、だそう。
大宮二大歓楽街、北銀と南銀はなるほど、
氷川本殿の裏、表の参道にそれぞれ面している。
お前は、と太郎、現代の渡り巫女、みたいなもんなのか。
深香のあまりに自然な、淫乱でもなければ恥じらいもない、娼婦でも聖女でもない、敢えて言えば精戯を極めながらあくまでビジネスライクな泡姫の如き、50手前の先日迄の素人童貞タクシードライバーの片手を握りいそいそ歩く深香の背中に、なんともいえないこう、もにょり。
見返す、深い瞳。
私じゃ、イヤ?。
その声が聞きようには不可思議な怯えを伴う、奇異だ。
いえ、畏れ多いですが、と真顔で。
あからさまな安堵の吐息が輝くような口許から零れる、なれば、よし。
にっと、また、今迄にない魅力に満ちた、小悪魔と気張った女神がない交ぜに在るかの、新機軸な表情を突き付けられ太郎は軽い眩暈、全く、この小娘にはあとどれだけのチャームスキルが実装されているんだ。
虚勢を張っているが、否、せいいっぱい大人の演技を、正に演技、素振りを何とかかんとかしてはいるが、正直太郎は覚束ない。
太郎はあまり商業美人に興味が、知識が関心が無い。いわゆるあいどるなるもの、殊握手券と大量の破棄CD、などという事象を仄聞するに、どっちもどっち即物的にすぎる、ファンなら信徒なら余剰物資をせめて布教活動での頒布聖典にでもしないものか、けっきょく瓦乞食、真性餓鬼道かと。
それでも世に氾濫するビジュアルは彼の視界にも容赦なし浸透突破し来る、うむ、まあ確かに可愛い、美しい、が。
いまこのじぶんのめのまえでぜんらでいるこのいきぼとけめがみのびれいしゅんれいなることはどうかいやないぜつごぜっぴんだいべっぴん。
こんなに智的で、
個性的で、
主体的で、
とにかくなんでもいい、言葉を尽くしてこの存在を誉めちぎりたい。
そして愕然とする、おれはいったいここでなにをしているんだ。
秦野深香。
俺が彼女を知っているのは改めてほんとうにこれだけ唯一だ。
それ以外は何一つ、彼女を知っているとは言えない、俺たちは、街角で行き逢い、親交を重ね、潮が満ちるように今日を迎えた、のではないもちろん、先日は逆レイプもどうぜんに童貞を喰われ、そして今夜も、客とサービス事業者としてロケーションなるここに到着しただけで、引かれるまま物理的に部屋まで来たにはきたが。
秦野深香。
もちろん、先日の体験でこの娘の尋常ならざるは骨髄に達している、どころか、真実人間であるのかさえ怪しい、サブカル界隈ではいっそありふれた、美形人外クリーチャー、太郎のふしぎな事に、サブカル作品世界登場人物、あの世界にはサブカルものが存在しないのか、何故自身をフィクションと対比警戒予防行動を取る者が絶無なのか。
といってたしかに、一介のタクドラたる自分にすれば枯れ尾花に怯え逃げ出すくらいのリアクション、オプションが貧困貧弱。
しかし。
深香に悪意を感じない。
チャームされてる?。恋愛感情とはそれだろう。或いは女郎雲に喰われる、それこそ贄なる引かれ者の小唄、か。
だとして48歳独身、とくだん喪い畏れるものとてない。
眼前の裸身がゆるやかに振り向く、貌には。
おだやかな、笑み、零れる。
みか……。
太郎は口ごもり、舌打ちする、自身に。
なあに、たろう。
深香の眼は潤み貌は紅い。
太郎は唾を呑み、思わず呻く、きれいだ、こんなきれいな女性、いや存在を俺は今まで、短くはない生涯でまだ眼にした事は、いや、今夜の君は。
深香の眼が、すぼまり、双眼が濡れ満ち零れた。
あ、と太郎が思わずその余りの愛おしさから胸にかき抱き、頬をそっと拭う、どうしたんだ、突然。
深香は幼児のようにしゃくりあげ、太郎の唇を吸い、離し、告げる、嬉しい。
深香の華奢なその肢体は無残だった。
鋭く細い斬撃の跡が無数に走り、全身を覆っている。
いったいなにが原因での傷跡なのか、まるでそれは、剣豪が日本刀で微塵に切り刻んだかの、かつ。
この傷では、並みの人間では生きていないだろう、いや、信じられないがもし刀傷が骨まで断ち割っていたのであれば、命どころか復元すら危うい肉塊となってその場に積みあがった、光景すら思い浮かぶ。
百年の恋も霧散する醜悪なオブジェ、深香の裸身、しかし太郎は違った、ビジュアルではない、この娘は、そのものが美しく輝いている、なぜだろう、でも太郎にはそう観得る。
同時に、脳裏のさまざまな雑音が、意味目的なぜこの俺を、白く透け、ぱっと弾け、細かく砕け吹き散る、いいのだ。
深香が選んだ私を祝福せよ、惜しみなく受け取れ。
技術も体位も無い。
互いに無心で互いを貪る。
慈しむ、愛おしむ。
男女の交わり、聖なる営み。
性交を手段としての秘術体系はいっそポピュラーだろう。
なにしろ生命誕生の儀式なのだ、その効果は推して知るべし。
深香が入って来る。
胎内で、クンダリーニを暴れさせてしまい母子共に危難に陥ったこと。
その母は借り腹であり、彼女が幼少の頃には死別したこと。
護鬼と夢中で遊んでいたとき、家宝の壺と皿を粉微塵にしてしまったこと。
座敷牢に一月放置されたこと。
トラウマで小学生の間夜尿が収まらなかったこと。
高校二年のとき、
父親を腹上死させ、
本家から叩き出されたこと。
太郎が入って来る。
私とは何か。
私、を生じさせているこれは何なのか。
何処から来て、何処へ向かうのか。
なんのために。
躁鬱、入院、自己破産。
転職転職転職。
私は愛さない、愛されない、
身も心も穢れ切った人面の化外、それが私。
私は愛さない、愛されない、
興味がない、意味がない、無論、資格もない。
貴方は素晴らしい、
その人生を汚辱に沈められながら、
磨き抜かれた神魂の輝きはどうだ、一点の曇りも無い気高き宝玉。
貴方は素晴らしい、
真のみを見据え臨む、
無窮の学徒。
そんな貴方が好ましい。
そんな貴方が麗しい。
そんな貴方が愛おしい、何よりも。
貴方が、欲しい、
総てを。
一魂二身。
一つに、繋がる。
二人は、同時に達する。
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