第25話

 私がホスト遊びにはまらず、借金を抱えても300万円程度で済んだのは、カナエさんのお陰かも知れない。

 私の夫が9歳年下でもしっかりしているのは、カナエさんの相手になったホストのお陰なのだろう。

 私がナイトクラブで働く事はあっても、風俗で働かずに済んだのは、ヨウコとヤスエの弟のお陰だ。

 私がんなに貧乏になっても、アダルトビデオに出ないでいられたのは、クミコの妹のお陰。

 私がヤクザな道に進まないで済んだのは、班目孝彦さん、フサエのお兄さん、本田泰之さんのお父さん、冴子さんのお兄さんのお陰。

 私がお酒に溺れる事はあっても薬物に手を出さなかったのは、アユミとフサエの彼のお陰。

 私が中絶した事がないのは、ヨウコとクミコとチカコのお陰。

 私が実父に凌辱されずに済んだのは、ヤスエのお陰。

 私が誰にも裸の写真を撮られず、脅迫されなかったのは、ノリコのお陰。

 私がどんなに腹が立っても人を刺さずに済んだのは、キミコのお陰。

 私が父母や男性に暴力を振るわれても、耳の鼓膜を守れたのは、チカコのお陰。

 私が結婚出来たのは、小椋純子さんのお陰。

 私の姉が何があっても生きているのは、タカエのお姉さんのお陰。

 私の父や夫が浮気をしないのは、アサコのお父さんのお陰。

 私の子どもが健康に生まれたのは、フサエの子どものお陰。

 私自身が健康に生まれ、元気に生きられるのは、マユミと、タカエの親御さんのお陰。

 私が髪を滅茶苦茶に切られず、入れ墨も無く、フィリピン人を見ても平静でいられるのはミナコのお陰。

 私が好きな事を職業に出来たのは、尼の中井さんのお陰。

 私がどんなに言葉を直されても寡黙児にならずにいられたのは、ナツミちゃんのお陰。

 私の両親が離婚しなかったのは、木本信一君の親御さんのお陰。

 私が監禁された事がなく、水商売を辞められたのは、マチコのお陰。もうひとつ、マチコは私の代わりに今なお水商売を続けてくれているのかも知れない。

 私が事故に遭っても軽症で済んだのは、アユミの彼と、桜井正一さんのお陰。

 そして牧原道子さんは、私の代わりに正一さんの死を受け止めてくれた。

 みんな、私の代わりにそうしてくれたのだ。

 私がぎりぎり「取り返しのつく状態」でいられたのは、みんなが代わってくれたお陰だ。

 本当にお陰様です。

 本当に大変な思いをさせて済みませんでした。

 本当に有難うございました。


  人はみな、何かしら重い荷物を抱えている。何もなさそうに見えても、よく聞くと重くつらい荷物をいくつもいくつも…。

 そう、私も重くつらい荷物をいくつも抱えていた。誰も理解してくれなかったが。

 光の園のみんなだけは、マチコ以外に誰も信じてくれなかった私の話を熱心に聞き、信じてくれた。だから私もみんなの話を熱心に聞き、信じられないような話でも、ただただ信じた。

 若ければ若いほど、女であればあるほど、器量が良ければ良いほど、無知で経験値が浅いほど、純粋であるほど、悪い人に狙われる可能性や誰かに妬まれる確率は高くなる。

 だから相手が若くて綺麗だから、何もつらい思いをした事はないだろうと思うのは間違っている。その人は、どんなに若くても、例え子どもで、重い荷物を背負っている。

 そう、誰も、彼も、彼女も、どんな人も…。死ぬほど重く、つらい荷物を抱えているものだ。

 だからこそ、絶対に人の人生を軽んじてはならない。平凡な人生を送っている人などひとりもいない。


 そして、最後と言うのは後から思うものだ。

 あの人と会うのは、あれが最後だった。

 あの人が私に優しくしてくれるのは、あれが最後だったんだ。

 あの仕事が最後だったんだ。

 あそこへ行くのはあれが最後だったんだ。

 そう、「これが最後かも知れない」と思えば、どんな人も、どんな仕事も、絶対に粗末にすることは出来ない。

「明日、何かでその人たちやその仕事と永久に別れるかも知れない」のだから。家族でさえ。


  そういえば私は子どもの頃に、学校で色々な科目がある事を不思議に思っていた。

 何故、国語や算数、理科、社会、歴史、体操や道徳を学ぶんだろう。何故方程式など覚えるのだろう。何故粘土や絵画や料理をするんだろう。何故読書感想文や詩を書いたりするんだろう。何故歌を歌ったり楽器を演奏するんだろう。何故生徒会の役員を決める選挙などやるのだろう。

 何の役に立つんだろうと心底分からなかった。だが大人になった今なら心底よく分かる。

 それはその人が将来どんな仕事をするか分からないから、その人にどんな才能があるか分からないから、それを開花させる為に、合う職業に出会う為に、幼少期のうちに色々な経験をさせてくれる場所、社会で通用する為に学ぶ、覚える訓練をする、それこそが学校の役目なのだとよく分かった。よくよく腑に落ちた。

 また、母が毛嫌いしていた漫画も決して悪くはない。私はフランス革命を、漫画のベルサイユのばらで学んだし、歴史に関心も持った。 


 どんな職業も「世の中に必要」であるが為に存在している。世の中に馬鹿にしていい職業などひとつもない。

 ヨウコやヤスエの弟が働いていた風俗業界も、決して馬鹿にしてはいけない。「一般の女性を、性犯罪から守ってくれている」のだから。

 父はそうでもなかったが、母は人の学歴や職業しか見ない人だった為、私が美容師になっていたと知った時、いちばん大変な仕事だの、社会的信用が低い等、散々言った。

 そして母は私が転職するたびにこう言った。

「それは、いちばん大変な仕事よ」

 世の中にいちばん大変な仕事は随分たくさんあるんだなと、呆れた。

 大人になってから

「定時制高校や通信制高校も、卒業すればきちんと高卒として認可されるよ」

と話した事があったが、

「でも、そう思うじゃない」

と、昔窓を開けたままシャワーを浴びたと決めつけた時と、まったく同じ答えが返って来てがっかりした。母はどこまで行っても分からない人だった。

  また母は、私のいとこで、なっちゃんとよしこちゃんという姉妹が親のコネでスチュワーデスになった時(本人たちも優秀だったのだろうが)、旅行先の空港でスチュワーデスを見るなり、さも羨ましそうにこう言った。

「なっちゃんとよしこちゃんもこうなるのよ」

 私は聞き流した。

 母は私が小学生の時に悪意無く言った言葉、友達の親が子どもが困っている時だけ助けてやると言う考えの持ち主である、それを聞き尊敬した、というのに過剰反応した。そして事あるごとに蒸し返し、一生忘れないとねちねち私をいじめた。

 私は母を許したが、母はスチュワーデスになれなかった私を許さなかった。

 だが、同じく私のいとこで母親の過干渉の為に20年以上引きこもっている、まさくんとゆみちゃんというきょうだいと比較して、私の方がまだマシだと、おかしな感心の仕方をして褒めてくれた事もあった。あまり嬉しくはなかったが。

 そのゆみちゃんだが、自分の家族にこんな事を言ったそうだ。

「私は沖本家に生まれたかった」

 それを聞き、父母も姉も私も仰天した。

 繊細なゆみちゃんがうちに生まれていたら大変だったろう。姉と私だからこそ何とか突っぱね、跳ね返し、蹴って、外に飛び出せたのだ。隣りの芝生は青く見える、とはこの事だと思った。


  また母は、父とさえ結婚しなければ、だの、あんたたちはもっと酷い家庭に生まれたかも知れない等よく言っていた。

 うちより酷い家とはどんな家だろうと当時は想像も付かなかったが、クミコやヤスエはうちより酷い家庭環境だった。


 母について物凄く意外だったのが

「私は造花の仕事でも、英語の勉強でも、努力をしたらそれなりの結果を出したし、良い評価も受けたけど、家族だけはどう努力しても良くならなかった」

と言っていた事だ。

 私には「自ら引っ掻き回し、わざわざ修羅場を起こしている」ように見えたが、母はあれで「努力していた」のだった。

 返事のしようがなく、黙ってしまった。


 私は中高年になった今なお、あまり深く考えずに何かしてしまう事が多々ある。それは幼少期、母に考える力、工夫する力、最後までやり遂げる力をことごとく潰された経験があるからではないかと言う気がする。勿論いい年をしてそのせいにしてはいけないが、だったらなおの事、息子が何かするのを辛抱強く待たねば、と思っている。

 確かに子どもがなかなか出来ずにいる姿を見ているのはじれったい。だがそこをぐっとこらえ、口出し手出しをせず、考える力を、工夫する力を、最後までやり遂げる力を育ててやらねばならない。子育ての基本は「待つ事」と言っても過言ではない。

 母は待てない人だった。


 私は母が絶対に無理と言い切った事を次々に成し遂げてきた。

 まともな就職、まともな生活、まともな人生、幸せな結婚、婚礼司会、愛情のある育児、そして何より自分で選択、決断、実行する事。

 そして母がおしまいだと言い続けたどん底の状態から、何度でも蘇って来た。

 これからだって負けるもんか。

 これからも次々に奇跡をおこしてやる。スチュワーデスにはなれないが。

  ひとり暮らしを長く続け、あらゆる手続きを自分でこなした。何をどうするか、自分で選び、決断し、行動した。 

 また、10日間に渡り、北海道をひとり旅をした事もある。パックの旅行ではなく、ガイドブックを見て、泊まるホテルから、乗る飛行機、新幹線、汽車のチケットの手配、名所はどこを見る、どの順番で回る等、全部自分で決めて実行した。

 お金もかかったし、頼れるのは自分だけで、緊張し過ぎ、腹を壊しっぱなしだったが、私のたいせつな財産になっている。

 やれば出来るんだ、物凄い達成感を味わった。

 幼い日、その日着る洋服を自分で決めた事や、渡れなかった信号を渡れるようになった時の達成感を思い出した。

 そう、母に1から10まで命令され、何もかも決められていた時代は捨てた。


 私の仕事や交友関係に必ず口出ししてきた母だが、ひとつだけ「口出し出来ない仕事」があった。

 それが「婚礼司会」だった。

 分からないから、口を出せなかったのだろう。つまり婚礼司会だけは「思い付かなかった」のだ。

 また、結婚式の仕事は儲かってたまらない事もなかった。お金に糸目を付ける人は多かった。おしめを付ける人はいなかったが。


  子どもを自分の思い通りにしようとするのは、その子を「自分以下にする」という事だ。自分が思いつかない事は「させられない」のだから。

 だから子どもを尊重し、個性や可能性を信じるべきなのだ。そうすれば子どもも親を信頼しながら、親が思いもよらない人生を満ち足りた気持ちで歩んでくれる。

 いちばんの親孝行とは、温泉に連れて行く事でもなく、豪華な結婚式を挙げる事でも、孫の顔を見せる事でもなく、幸せに生きる事だ。


 そして人を変える事は出来ないし、その必要もまったくない。それが私の持論である。

 私は小学生の時、授業中に手を上げられない子どもだった。先生に促されても、友達みんなが手を上げていても、それでも私の手だけは上がらなかった。母は呆れたし怒ったが、上がらないものは何をどうしても上がらなかった。

 また16歳の時にアルバイト先で、いらっしゃいませ、と大きな声で言えないという理由で、先輩に死んだ魚を背中に入れるという嫌がらせを受けた事がある。びっくりして悲鳴を上げた私にその人はこう言った。

「ほら、大きな声出るじゃない。その調子でいらっしゃいませって言いなさいよ」

 だが私は婚礼司会者として何百人を前に堂々と話し、悠然と仕切った。

 その頃、先生も、友達も、先輩も、みんな私がそんな職業を選ぶとは考えもしなかっただろう。

 つまり「今の状態」だけを見て、無理矢理方向転換させる必要はないのだ。長い目で見れば、相手は思いもよらない方向へ進む可能性がふんだんにあるのだから、性急に直す必要はない。


 また、人に文句を言ったり責める事も出来ないし不必要だ。相手の美点はそのまま自分の美点で、相手の欠点はそのまま自分の欠点だからだ。

 この人はずるい、と思っても、誰かにとって自分はずるい人間だ。この人は親切と思ったら、誰かにとって自分は親切な人という事だ。

 文句があっても、まったく同じ事が自分にも当てはまる。

  例えば旦那さんが奥さんにこう言ったとする。

「お前、母親だろう、きちんと子どもの面倒見ろよ」

  まったく同じ事が言える。奥さんはこう言えば良い。

「あなた父親でしょう、きちんと子どもの面倒見てよ」

 旦那さんがこう食い下がったとする。

「お前、誰のお陰で生活が出来る」

 奥さんはこう言い返せばいい。

「あなた、誰のお陰で仕事が出来るの?私がいなければ、子ども抱えてどうやって家事と育児と仕事するの?私が家事と育児をやっているお陰でしょう」

  親が子どもにこう言ったとする。

「誰のお陰で学校に通える?」

 子どもはこう言えば良い。

「じゃあ行かない。不登校する」

 困るのはどっちだ?その親はなおもこう食い下がったとする。

「勉強しなさい、あんたが壁にぶち当たるのよ」

  まったく同じ事が言える。

「そっちこそ仕事の勉強しなよ。壁にぶち当たるよ」

  その子どもはこうも付け加える事が出来る。

「だからその程度の人生なんだよ」

 不倫していた男性が、別れ際に相手の女性にこう言ったとする。

「君、俺との事は誰にも言わない方が良いよ。これから君もいつか誰かと結婚するだろうけど、その時に自分の妻が妻子持ちに抱かれていたカスだなんて知ったら旦那さんはショックを受けるからね」

 女性はこう言い返せば良い。

「あなた、私との事は誰にも言わない方が良いですよ。自分の夫が他の女を抱いていたカスだなんて知ったら、あなたの妻も子どももショックを受けるからね」

 結婚式を挙げた翌日、旦那さんが新妻にこう言ったとする。

「なあ、釣った魚に餌はやらないって知っているか?俺にとってお前はもう釣った魚だ。餌はやらないから一生そのつもりでいろ」

 新妻はこう返せば良い。

「じゃあ私にとってもあなたはもう釣った魚だから餌はやらない。ご飯も作らないし、掃除も洗濯もしない。勿論優しくもしないし今後一切口も利かないから、一生そのつもりでいてね」

 動揺するのはどっちだ?旦那さんがこう言い訳したとする。

「冗談だよ、ちょっと困らせてみたかっただけだよ」

 新妻は宣言通り、今後一切口を利かず、黙って離婚してしまえば良い。家庭裁判所は必ず妻の味方をするはずだ。結婚生活たったの一日で棄てられた旦那さんは周囲に言い訳さえ出来ない。

 同僚のだらしなさに腹が立ったとする。だが自分もだらしなく、そんな自分が嫌だからこそ、その人のだらしなさが目に付くのだ。

 ずるい人をみて苛立つのは、自分も誰かにとってずるい人で尚且つそれが嫌だから。

 つまり自分の欠点を受け入れていれば、苛立つ事はまったくない。

 神様は、その都度必要な人を目の前につかわしてくれる。

 何故今この人に会ったのか?

 何を学べばいいのか?

 常にそう考えればいい。


 私は10代で荒れた時代も、20代ですさんだ頃も、決してこのままでいいと思っていた訳ではなかった。

 挫折の真っただ中にいる時、人は我を失う。そしてどうしようもないながらもバランスを取ろうとする。傍から見てどんなに間違っていても本人はそれでバランスを取っているのだから「間違っていない」という事になる。

 ましてや神様は必ず立ち直りのチャンスを与えてくれるから、率先して自分がこの人を立ち直らせようと、説教したり、ああせい、こうせいと、導こうとする必要もない。事情があって「そうせざるを得ない」のだから。誰よりもこのままではいけないと自覚しているのは、他ならぬその人だから。

 それに私の非行に代わるものは何だったのか?

 犯罪か?

 精神病か?

 何十年にも渡る引きこもりか?

 終わる事ない家庭内暴力か?

 家出をして未来永劫行方不明になる事か?

 それより「すぐそこで元気に非行に走っている」方がましではないか?


  世の中に何も事情のない人も、学ばせてくれない人も、ひとりも居ない。

 銭湯で泣きわめいているその赤ちゃんは、気が利かない母親に熱い湯と冷水を交互にかけられ、熱くて冷たくて心臓発作を起こしそうだと、洗面器にちょうどいい温度のお湯を汲んでそこに自分をつけてくれと訴え、学ばせてくれているのだろう。

 よちよちと歩いているそこの幼児は、実は育児放棄されているのかも知れない。

 ランドセルをしょったその小学生は、実は小児癌の上、虐待されているのかも知れない。

 通学路で友達の鞄をいくつも持たされているその中学生は、いじめられているのだろう。

 笑いさざめき歩いているそこのギャルは、実は脅迫されているのかも知れない。

 中卒で働いているその少女は、実は一家の大黒柱で親兄弟や祖父母を養っているのかも知れない。

 随分と痩せたその少年は、極端な薄給で一日一食しか食べられないのかも知れない。

 制服のままゲームセンターにいるその女子高生は、たださぼっているのではなく、ただ遊んでいるのではなく、集団リンチを恐れて学校へ行くに行けないのかも知れない。

 にこやかに販売の仕事をしているその若い女の子は、罪を犯し、今朝刑務所から出てきた父親の身元引受人になっているのかも知れない。

 笑顔で上司の秘書を務めているその青年は、親からお金をせびられている上に、統合失調症と闘っているのかも知れない。

 学校や仕事の帰りに必ず寄り道する人は、家庭内に居場所がないのだろう。

 バスの中で立ったまま寝ている人は、不眠不休で親の介護をしている人なのだろう。

 道端で吐いている人は、酷い上司に無理矢理お酒を飲まされて苦しんでいるのだろう。

 喧嘩をしてる人は、誰かをかばおうとしてやむを得ず争っているのかも知れない。

 仕事を掛け持ちしてる人は、友達の借金の保証人になり、その人が逃げてしまった為に自分で返そうとしているのかも知れない。

 会社をしょっちゅう休む人は、たったひとりで障害のある子を育て、その子が頻繁にてんかんを起こしているのかも知れない。

 転職した人は、前の会社で酷いいじめに遭い、居たたまれなかったのだろう。

 訴訟を起こした人は、理不尽なパワハラをされているのかも知れない。

 宝くじを買う為に長蛇の列に並んでいる人は、恐ろしいご近所トラブルを抱えている上、息子と娘が行きたがっている私立大学と海外留学の費用を捻出したいのかも知れない。

 遺産相続で揉めている人は、きょうだいに死んだ親の預貯金を盗られたのかも知れない。

 不正をしている人は誰かに弱みを握られ、仕方なくそうさせられているのかも知れない。

 駅や公園で寝泊まりしてる人は、信じた人に騙されて全財産を奪われたのかも知れない。

 高齢で職を探している人は、貧しい息子夫婦に代わって、孫に渡すプレゼントを買おうとしているのかも知れない。

 ミスを隠そうとしている人は、実は発達障害を抱えそれを周囲に知られたくないと思っているのかも知れない。

 電車の中で歌を歌っているその少年は、誰かから無理矢理歌わされているのだろう。

 誰かをいじめている人は、別の場所で誰かからいじめられているのかも知れない。

 いじめられている人を嗤っている人は、自分がかつていじめられた経験があるからこそ、二度と誰からもいじめられたくないと恐れているのだろう。

 地方から急に上京し、都会の駅の構内で人を探している人は、振り込め詐欺に遭っている上に、末期癌なのかも知れない。

 案内板を見つめている人は、筋金入りの方向音痴の上、吃音で人に聞けないのかも知れない。

 街中で道に迷っている人は、若年性アルツハイマー病で自分がどこにいるか分からなくなった人かも知れない。

 よろよろと歩いては立ち止まり動けなくなった人は、筋ジストロフィー病と闘っているのかも知れない。

 しょっちゅう倒れる人は、白血病なのかも知れない。

 アタッシュケースを持ち颯爽と歩いているその人の手は、実は義手なのかも知れない。

 ナイトクラブでお客さんを接待しているその華やかな女性は、実の親に食い物にされ、給料を全部巻き上げられている上、無理心中を迫られているのかも知れない。

 自殺しようとしている人は、どうしてもそうせざるを得ない事情があるのだろう。

「どうしましたか?」

そう声を掛けた時に、どう説明したらいいのやら、という顔をする人の何と多い事か。

「お手伝いしましょう」

または

「良ければお話を聞かせてください」

と言うと、嬉しそうな顔をする人の何と多い事か。

 相手が何か言わずとも

「何かご事情があるのでしょう」

と言った時に、ほっとした顔をする人の何と多い事か。

 人は必ず、事情を抱えている。

「何もかも」出来ずとも、「全部」は手伝えなくても、「何かひとつ」は出来る。

だから私は絶対に人の人生を馬鹿にしない。

 今日も誰かに声を掛け続ける。

「何かご事情があるのでしょう」

そう言って、相手にほっとして欲しいから。


 41年前、電車の中で無理矢理歌を歌わされていたタムラアキヒロ君は、その後悪い友達とは縁を切っただろうか。

 今の私だったら

「こっちへ来なさい」

と言って庇ってやるだろう。

 タムラ君をいじめる子たちに

「あなたもいつか同じ目に遭うよ。だからやめな」

と言えるだろう。

 それでタムラ君が少しでも救われるなら。一瞬でもほっとできるなら。

 そう、タムラ君も弱みを握られている等、何か事情があったのだろう。

  …婚礼の仕事をしている時、よく入っていた式場で「多村明弘さん」というスタッフがいた。

 もしかしてあの時の少年だったのか?という気もしたが(歌わされている時、あまりに気の毒で、ちらりとしか見られなかった為、顔を覚えていなかった)、まさか本人に聞く訳にもいかず、黙っていた。

 もしそうなら、今は幸せという事だ。結婚指輪もはめていたし、きりりと仕事をこなし、仕事仲間にもお客さんにも信頼されていた。

 多村キャプテン、本当に良かったですね。


 母が愛したJELは、いっとき経営破綻し、会社更生法の適用を受けるまでに至った。それもそうならざるを得なかったからだろう。

 その後V字回復を遂げたが、もし低迷している時だったら、母は果たして父と結婚しただろうか?しなかった気がする。そして姉と私もこの世にいなかった筈だ。

 自分から勉強する子どもだった姉も、スチュワーデスにはならなかったしJELに入社もしなかった。


 くどいようだが、世の中に馬鹿にしていい仕事はないし、事情のない人もいない。

 それは何度も転職をして、様々な職業を体験し、色々な人に会った私だからこそ言える言葉かも知れない。


 いっとき水商売にはまった。それも借金という事情があっての事だった。

 ただ若いから、まあまあ器量が良いからと言うだけで、そこそこ売れた時代もあった。

 ある銀座の店では短期間だったがナンバーワンになれ、最高月収200万円を得た。ちやほやされ、天職と勘違いし、男性とうまくいかず別れてばかりいた事もあり、失恋特攻薬だとのぼせた。

 その頃は、新聞に毎日目を通すようになっていたし、客に個人的に付き合えと言われても、絡まれても、かわせるようになっていた。

 どんな話題を振られても、即答すればいい。相手が気付かぬ間に別の話題にすりかえ、延々と盛り上げてやればいい。自慢話に騙されてやればいい。

 例えば

「俺はマサコの客だ。そのマサコから俺を奪いたければ店がはねた後、俺に付き合え」

と言われたら

「マサコさん美人だし性格も良いし、本当に憧れます。彼女テニスやっていたんですってね、だからあんなに健康的で爽やかなんですよね。所で、〇〇さんスポーツやっていました?」

などと。それで相手が

「野球をやっていた」

とでも言えば

「わあ凄い!だから体格も人柄も立派なんですね。どんな思い出あります?」

等返せばいい。たいていそれでかわせた。しつこい客もいるにはいたが、毎度かわした。

「俺の事好き?」

と真顔で聞いてくる人には

「そりゃあ好きですよ、みんな!〇〇さんの事、好きよねー?好きな人、手を上げてー」

と周囲を巻き込み、笑いを取ればいい。

 何を言ってもいったん受け止め、かわせばいい。

「どこに住んでいるの?」

と聞かれれば

「田園調布です。皆さん、私を田園調布のお嬢様とお呼び!おーっほっほっほ!」

とかわした。

「あなた、お父さん何やってる人?」

と聞かれても

「大会社の社長に決まってるじゃないですか」

とかわし、

「私生まれは良いんですよ、育ちも良いんですよ、ただ単に性格が悪いだけで。おほほほほ」

とも返した。

「反物巻ける?」

と聞かれれば

「反物は巻けないけど、負けなくってよ!」

とかわし、難しい漢字を読めと言われたら

「私はフランス人ですから」

とかわし、フランス語を喋ってみろと言われたら

「どぶにどぼーん。着物の下はながじゅばーん。更にその下はコシマキとハダジュバン。更にその下はハダカンボ」

とかわし、自分の妻がいかに凄いお嬢様かと自慢されたら

「あら、わたくしもお嬢様よー!おーっほっほっほっほっほ!」

とかわした。

 馴染みの客となれば

「水商売をする為に、この店で働く為に生まれてきました!」

と笑いを取った。

 オーナーにも気に入られ、少しは良い状態が続き、いい気になった。

 だがやはり水商売は浮き沈みが激しく、半年ほどで人気は落ち、低迷した。

 辞めたい、もう辞めたい、普通の仕事がしたい、そう思いながらずるずる続け、何度も店を移り、悪い人脈ばかり出来て、貯金も出来ず、月収20万ほどしか稼げず、本当に嫌だった。

 この仕事は苦痛だ、と思いながらも借金を返す為に働き、わざと馬鹿騒ぎをして自分をごまかしている最中に突然

「さびしい?」

と一緒に働く女の子に聞かれた事がある。思わずうなずいてしまった私。

 そこで初めて自分がずっとさびしかった事に気づいた。ああ、この仕事辞めよう、辞めなくては…。でも私に何が出来るの?と思った。

 水商売をしていて、ひとつだけ良い事があったとすれば、客とカラオケを歌う場面が多かったのだが、この時ボイストレーニングを受けた経験が役立った事だ。

 歌手にはなれなかったし「素人にしてはうまい」というレベルだったが、それでも酒場で歌う分には上手ともてはやされ、やはり無駄な事はひとつもないと思えた。

「あなたは歌が決してうまくはないけど、歌う心を知っているね。だから聞き惚れるよ」

とその店のママに言われ、お客さんも同感という顔で頷いてくれ、嬉しかった。

 だがいずれにしても、私は水商売には向いておらず、嫌だ嫌だと思いながら上辺だけで働いていたような気がする(今となっては、雇ってくれた店や付いたお客さんに悪かった)。

 ある時勤めていた店で、尻文字をやれと言われたり、王様ゲームで客の耳を舐めろと強要された事があった。どうしても嫌で、どんなに言われても耐えられず、仕事を放り出して途中で帰ってしまい、そのまま辞めた。

 そして新しい店に面接に行った時の事、「驚愕する事」があった。

 ああ、この道、覚えている。このビル、覚えている。このエレベーター、覚えている。この店のドア、覚えている。

 …そう、私は一度面接に行き、何かで断ったか断られたか(そこは忘れた)した店に、もう一度面接に行こうとしていたのだ。

 その店のドアの前で愕然とする。私はあまりにお酒を飲み過ぎ、記憶力がおかしくなっていたのだ。面接はせず(出来る訳なかった)くるりと踵を返し、アパートに戻った。

 今度こそ水商売を辞めよう。そう心に決め、少ない給料でもやっていけるようあらゆる工夫と節約を試みた。

 そしてナイトクラブではなく、会社に面接に向かうようになった。28歳の時だった。水商売としてはぎりぎりだった。

 神様がその一件で私を水商売から抜け出させてくれたのだろう。勿論、さびしいかと聞いてくれた女の子のお陰もある。彼女もあの後、水商売を抜けられたろうか?どちらも有り難い、奇跡のような出来事だった。お陰で今があるのだから。

 すぐにどこかに正社員としては就職出来ず、派遣で生計を立てる毎日だったが、それでも小椋純子さんをはじめとする良い友達が出来るようになった事は嬉しかった。

 ああ、これからは良い人脈が出来る。今度こそ良い経験を積んでいこうと思えた。

 それも水商売で悪い人脈ばかり作って嫌な思いをしたおかげだ。洋服を買えない事なんて、外食出来ない事なんて、遊びに行けない事なんて、何でもなかった。

 今はぎりぎり生活するだけだが、近い将来必ず貯金し、やりたい事をやれるよう、好きなものを好きなだけ買えるよう、なりたい自分になれるよう頑張ろうと思えた。決してこのままでいいとは思わないが、借金があるから今はこうするしかない、と思っていた。

 借金を完済するのとほぼ同時にその「尻文字・王様ゲーム事件(私はそう呼んでいる)」が起こり、水商売を辞められた。それも神様がそうしてくれたのだろう。

 借金返済に追われていたというのもあるが、水商売をしていた頃に稼いだ金はまったく残っていない。

 よく楽をして稼いだ金は身に付かないというが、ホステス稼業は決して楽ではなかったが、それでも貯金は出来なかった。

 だが会社勤めをして得た給料は少しずつでも貯められた。その「少しずつ」が大きな金額になっていくのは嬉しかった。やはり、何か違うのか。いずれにせよ「楽な仕事はこの世にない」と学んだ。

 年齢が上がるごとに転職は難しくなる。若いうちはどこへ行っても自分が最年少だったが、だんだん中間層になり、最年長になっていくのもつらい。年下に叱られるのも悔しいし、若いうちに足元を固めておく方が賢明だ。

 真面目に働いた派遣先では、正社員にしてやるとも言ってもらえた。その経験が、得た自信が、今につながっている。


 私の人生は、良い嵐と悪い嵐が交互に吹くような気がする。

 良い嵐が吹いてくれていた時、私はそれが永遠に続いて欲しいと願った。だが絶妙なタイミングで悪い嵐に代わってしまった。

 悪い嵐が吹きすさぶ中、私はいつまでこれが続くんだろうと辟易しながら過ごした。コツコツとすぐには報われない努力を重ねながら。

 そしていちばん良いタイミングで良い嵐に代わってくれた。そして積み重ねた自分の努力が一気に花開くのを、目を見張る思いで見た。それは何度も何度も続いた。

 そのうちこう思うようになった。

 さあ、この悪い嵐から何を学ぶ?

 そして良い嵐が来たらこう思った。ああいらっしゃい、待っていたよ。

 …という事は、みんなそうなのか?という気もする。

 もうひとつ、悪い嵐の中からでも必ず幸せは見つけられるものだと学んだし、自分の努力だけでなく色々な人のお陰で良い嵐になった事を忘れなければ、感謝し続ければ、良い嵐は続いてくれるし、例え悪い嵐が来ても「この程度で済んで良かった」と思えるものだ。


 いっとき不倫にはまった。男たちは私に、好きだの、愛しているだの、守ってやるだのと鼻息荒く言った。

 最初は口説き文句かと思ったが、そうではなく本当は妻に言いたい言葉を代わりに私に言っていたのだ。誰かの代わりはさびしかった。さびしいからと、あまり好きでない人を相手にしているともっとさびしくなってしまう。

 その時に学んだのは「男は絶対に妻を愛している」という事だった。

 私の前でどんな凄まじい妻の悪口を言っても、必ず家に帰って行った。

 あれ?嫌いじゃなかったの?別れたいんじゃなかったの?と言いたいのをぐっと堪え、私はそれこそ大きな不満と疑問符を頭に乗せながら、その人を見送った。

 何故私はこんな風に「恋してはもらえても、愛してはもらえない」のだろうと、言葉に尽くせぬ孤独感にいつも悩み狂った。

 結局妻が好きなんだな。不満があるから私の所に来るのだ、そして本当に好きなのは妻だから帰って行くのだ。

 家事が下手だろうが、自分の親きょうだいと仲良く出来なかろうが、金遣いが荒かろうが、結婚以来15キロ太ろうが、それでも妻が好きなのだ。結婚しようとまで思った人なのだから。

 妻の所に「帰る」為に私の所に「来る」のだという事を、何もやましい事のない人生がいちばん楽しく充実していて幸せなんだと、嫌というほど学んだ。

 もうひとつ、決まった相手のいる人に横恋慕して無理に奪ったとしても、必ずその人は元の女性の所へ戻っていく。何年かかっても必ず戻る。

 桜井正一さんも、本田泰之さんも不倫した何人かの男性も「必ず」元の女性に戻って行った。

 その悔しさといったら歯ぎしりするほどだった。だったら私の存在は何だったのか、あの月日は、あの努力は、労力は、一体何だったのか、と頭の上に乗りきらない程の疑問符と怒りのマグマが乗った。

 だがこうも思った。だったら私も、毎日毎日私の所にきちんと帰って来てくれる男を見つけよう。私を「決まった相手」にしてくれる人にしよう。…見つかって本当に良かった。

 不倫をしていていちばん嫌だったのは

「ただいま」

と言われる事だった。

 あなたの家は他にある。何故私の家に来てそんな事を言うのか、理不尽な、と腹が立ち

「いらっしゃい」

と返した。不満そうにするその人を、なお冷たくあしらってしまった心無い私。さびしいからただいまと言うのだろうが、嫌なものは嫌だったし、私の部屋に髭剃りや着替え等、自分の私物を置いていかれるのも腹立たしく、見るたびに捨てた。

 ひとつだけ不倫して良かった事があったとすれば、仕事で多少便宜をはかってもらえた事だろう。だが相手に新しい女性が現れるとそれもなくなった。

 これも転職が多かった理由のひとつだ。だったらえこひいきしてくれなくていいから、惨めな思いもさせないでくれと思った。何もない方が返って気まずくなくて良いと、プラスマイナスゼロ、というのはこういう事だと嫌という程学んだ。

 最後に不倫関係になった人には、出会って間もない頃にこう言われた。

「俺には忘れられない人がいる。その彼女への償いをあなたでしたいと思っている」

 その人は妻の前では私に操を立て、私の前では妻に操を立てるというおかしな人だった。それは何となく分かった。その上忘れられない女性がいるとは…。

 さびしさに負け付き合ったが、無論長続きせず、すぐ別れた。その人は別れ際にこう言った。

「もう妻の前であなたに操を立てなくていいし、あなたの前で妻に操を立てなくて良いと思うとほっとする。昔の彼女に対する償いを、あなたではやはり出来なかった。彼女とあなたは全然違う人だった」

 そう聞いて目から10枚くらい鱗が落ちた。この人はそれを学ぶ為に私と会い、私はやはり不倫に向かないと学ぶ為に、その「駄目押し」の為にこの人と出会ったのだ、と。

 付き合っている間、いつもお互い不快だったが、別れる時だけは満面の笑顔で別れ、もう二度と不倫をしないと誓った。決して良い思い出ではないが、それさえ今に活きている。

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