初夏色ブルーノート

ゆうすけ

第1話 世界の終わりは輝いている ~セクシャル・バイオレット・No1


 太陽は音もなく光を放ち続ける。季節は初夏。陽射しは限りなく透明な青だ。わたしはふりかかる陽射しを手のひらでさえぎって、ほっと足を止める。

 人類に厄災の降りかかる前は、若葉が萌える生命の季節とされていた。目に映える緑、息吹く生命の鼓動、鳥たちのさえずり、流れる水の音。周囲のあらゆる生命体に、等しくエネルギーが振り分けられる飛躍への鼓動の季節、それが初夏だ。そして、今日の陽射しはどこまでも青い。


 半ばまで埋まった右足を砂から引き抜いて、わたしは再び歩みを進める。踏み出した右足はまたしゃくりと砂にうずもれた。

 このあたりの地形も大幅に変わっている。町一帯はビルより高い砂にうずもれてしまっていた。ところどころに先端だけが砂から突き出ている高層ビルの残骸だけが、かつてこの場所があまたの人々の行きかう都心だった名残だ。

 人の営みなんて、人がいなくなると廃れるのもあっという間。そんな当たり前のことを想いながら、わたしはスニーカーを滑らせて砂山を降りていった。この先一帯は比較的砂が少ないらしい。ここからの高低差は目測で百メートルほど。下り坂の砂の稜線は歩くよりも滑り落ちる方が速い。

 砂山を半分滑り降りたところで背後でぐるぐると音を立ててついて来るロボットに話しかけた。


「いっそのことお尻ついて滑った方が楽かも。ねえ、トミー。そろそろじゃない? なんかこの風景、少し見覚えがある気がする」


 背後からいつもののんきな合成音声が応える。


「ワタシのGPS測定によりマスと、モウこのあたりのはずデス。目的地まで残り百メートル未満デス」

「百メートル未満ならもう見えてもおかしくないよね。んー、でもイマイチ記憶にヒットしないなあ」

「チナミに測地誤差がプラスマイナス一万メートルありマス」

「はあ? 一万メートルって十キロじゃん! そんなに狂ってたら話にならないわ! あんたのナビゲーション機能、もう少しなんとかならないの?」


 まったく、この程度のポンコツ具合には慣れているが、それにしても誤差一万メートルもあるなんてシャレにならない。わたしのここ数日の砂山と格闘した苦労が無駄になってしまうじゃない。ロボットは足部に装着されたキャタピラの駆動力のおかげで、この歩きにくい砂丘をこともなげに移動できているのが、さらにわたしの癪にさわる。わたしが一歩進むだけでこんなに苦労してるのに!


「ワタシは被雷観測ロボデス。ナビゲーション機能はオマケデスから、ソレぐらいの誤差は勘弁してくださいデス。GPS衛星の位置自体が狂っていマスし、マッピングデータと現状が著シク異なっていマス。自律ジャイロだけでは正確なルーティングができないデス」

「分かってるわよ、そんなこと。被雷予測は完璧なのに……。あんた、ナビとしては使えなさすぎるわね」


 この被雷観測ロボットのトミーときたら、計算ミス、測定ミスのオンパレードで、ナビゲーターの役割をてんで果たしていない。これまでもさんざん道を間違えてきた。とは言え、曲がりなりにもわたしが生きてここまで戻って来られたのは、この能天気なロボットのおかげであることは間違いない。

 それは分かってるんだけどねえ。現在地の把握すらおぼつかないのは被雷観測ロボとしてどうなの、と思うんだけど。

 わたしはあたまに来て左足を砂から抜き、思い切りトミーを蹴っとばした。ガシンと音がしてトミーが砂の中にすっころがる。


「ガアア、エマージェンシー、エマージェンシー! ご主人サマ、ワタシが転ぶと自分で起き上がれないのを知ってて蹴りマシたネ! 訴えマスよ! ロボット虐待デス! DVデス! セクシャル・バイオレット・ナンバーワンデス! エマージェンシー!」

「ご主人様に蹴られてすっ転がるのもロボットの仕事よ。文句言わないの! そもそもなんなのよ、そのセクシャル・バイオレット・ナンバーワンってのは。あんたときどき日本語がおかしいわよね」

「ワタシのデータベースによりマスと、一九七九年のヒット曲デス。サンプル音源もありマス。聞きマスカ? ブルースロックの名曲だそうデス」


 トミーはキャタピラを逆回転させて、転がった状態からなんとか姿勢を持ち直してうそぶいた。トミーのボディのスピーカーからブルース・ロックの音楽が鳴り始めた。


「BGMなんていらないわよ。電気の無駄遣い! とにかくこの砂山を越えるのは、人間にはとんでもなく苦行なんだから。かよわいJCにこんな砂山登らせて、あんた心が痛まないの? しかも道案内間違えるなんてナビロボ失格よ!」

「ショーがナイデス。ソレに間違えたんじゃナイデス。ディスティネーションセットと現在位置のポジショニングに誤差があったダケデスー」

「それを間違えた、と言うの!」

「ソレとご主人サマは昨年十五歳になっておられマスので、フツーの状態でアレばJCじゃなくてJKデス。サバ読むのはよくないデス」

「細かいことにいちいち突っ込むな!」


 わたしは力まかせに、もう一度波打つ砂山の尾根に転がったトミーに蹴りを入れた。トミーは砂山の稜線を仰向けにひっくり返ったまま滑り落ちて行く。


「アーレー! ご主人サマー、タスケテー!」

「ふんだ! 砂に埋もれてちょっとは反省してなさい!」


 滑り落ちるトミーを追って、わたしもつま先で砂を滑る。だんだん視線が下がってきて、二十メートルほどの高低差に砂だらけの地面が近づいてきた。


 あ、あの角の一軒家! 少し古い木造の玄関ドアと、いささかアンバランスな屋上の太陽光パネル、見覚えがある! あそこだ! 一年前のあの場所!


「トミー! あそこよ! 間違いない!」


 わたしは、いまだに仰向けのまま砂山を滑り落ちているトミーを追い抜いて、傾斜を直滑降で突き進んだ。足元の砂が派手に砂煙となって風になびいていく。


 あそこに行くと、ひょっとしたら。もしかしたら。

 また、会えるかもしれない。智昭くんに。


 可能性はとても低いことは分かっていた。ここまでトミーと歩いてきた八百キロで生きている人間を見かけたのは数回しかない。それでも、わたしは智昭くんの記憶の残る建物に向けて突き進むことを止められなかった。


「トミー、先に行ってるわよ!」

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