3章 山猫とティアラ 16

「姫様は本当に奪還を考えていらっしゃらないッスか……?」


 そのやり取りを見ていたタチアナもまた、眉を下げていた。


「……長い間耐えていらしたタチアナには申し訳ないですが、私は……」

「……そっ…スか。いや、きっと姫様はわたしなんかの考えが及ばないような深いお考えをされていらっしゃるッスね」


 やんわりとではあるが、きっぱりと否定された事に戸惑いを隠せず、その声は落胆の色が見える。

 が、それを断ち切る様にあえて明るい声を作り、ぎこちないながらも笑顔を作ってみせた。


「でも、姫様がご顕在でいらっしゃるなら、わたし達の取るべき行動は一つッス。タチアナ・タラスク以下2名。姫様に再び忠義を尽くさせていただきますッス」

「タチアナ、ありがとうございます」


 タチアナが座りながら再び敬礼を取ると、彼女の笑顔に釣られるようにティアもわずかに笑みを浮かべ、小さく頭を下げた。


「んーでも隊長、そうなるとちょーっとやばくないです?」

「ロンベル、何がやばいんスか?」


 場の空気を読まない軽い口調で口を開いたロンベルに若干批難の視線を向けつつタチアナが返す。


「ほら、この間サリア嬢が食料持ってきてくれた時に言ってたじゃないですか」

「あ、あー!忘れてたッス!」


 まさに今思い出したのだろう。パン、と手を叩き、そして苦い表情を浮かべた。


「何かあったのか?」

「ちょっと厄介な事があるッス」


 タチアナがチラリとエドワードへと視線を向けると、了解した、というように頷いて口を開く。


「順を追って説明します。皆さんもご存知かもしれませんが、昨今、アラスタ、ダッカス間の交易が滞り気味になっています」

「あぁ、私達も把握している。あなた達と遭遇した時もそれを調査していた」


 カヤの言葉を聞き、タチアナ達3人が視線を合わせる。


「であれば話は早いッス。先日サリアさんが食料を持ってきてくれたッスけど、その時あまり浮かない顔をしていたので話を聞いたッスよ」

「話を聞けば、現在ダッカスの小麦相場は昨年に比べ5倍以上にもなっているそうです」

「5倍……!もはや生活が成り立たないぞ」


 多くの民はその収入の多くを食費にまわしているのが実態だ。

 特に小麦は主食であり、なくてはならないもの。それが5倍というのはまともな状況ではない事が手に取るように分かる。

 カヤが声を荒げ、ティアとブラホーンが眉をひそめる中、カザルだけはのんきに茶をすすっていたが。


「高騰している理由が野盗の略奪行為、ということは住民連中も把握してますからね。いつまでも街道の治安維持に乗り出さないアラスタ……というよりもウルスキアへの不満が膨れ上がっています」

「野盗の後ろにおるのがウルスキアだからのぉ」

「えっ!?そうなんスか!?」


 ブラホーンが何気なくつぶやいた驚愕の事実にタチアナが声を上げるが、話の途中だった事を思い出したのか、小さく咳払いをし、エドワードに話を続けさせる。


「そんな状況ですからダッカス住民の不満はすでに最高潮。いつ爆発してもおかしくないのです」

「早い話が、蜂起ッス」

「っ!」


 戦力を持たないただの住民の蜂起などあっという間に鎮圧されるのが目に見えている。最悪、住民まるごと反逆者として処刑される可能性も少なくない。


「今の所はサリア嬢がなんとか治めているようですけど、もはや時間の問題でしょーねぇ」


 ロンベルが頭の上で手を組みながら発言するのを横目で見ながら、カヤが小さく首をかしげながらおずおずと質問を投げる。


「しかし、野盗は私達が退治した。他の野盗だと思っていたのはタチアナだった。となれば、交易は復旧するのではないか?」

「ふーむ、事はそう簡単ではないだろうの」


 カヤの疑問に答えるのはブラホーン。


「どういうことです?」

「1つ、野盗がまだいる可能性。2つ、野盗を退治したということを喧伝できない。3つ、一度ついた火はそう簡単に消えるものではない、ですかの」

「ふむ…」


 仮にウルスキア軍が野盗を退治できたのなら、安心であるという情報を広めることで交易は即座に復旧するだろう。しかし、ティア達はそうは出来ない。例えその情報を伝えたとしてもその信憑性が問われることだろう。そうなれば交易の復旧は即座に、というわけには行かない。

 そして爆発寸前まで来ている状況では、例え交易が復旧出来たとしても積もり積もった不満はいつか爆発する。もはや蜂起という事態は避けがたい状況に来てしまっているということだ。


「渡りに船……というのは少し失礼ッスけど、姫様と合流できたッスから、ダッカス蜂起も力を合わせられるかなと思ってたッス」

「……ごめんなさい」


 野盗退治程度であれば、それはあくまで個人対個人の話で済む。しかし、いち都市の蜂起ともなれば、それはつまりウルスキアへの反抗ということだ。そこに介入した場合、今までのような小さな範囲での話では収まらなくなる。

 おいそれと決断できることではない、それはタチアナも理解しているのだろう。

 うつむきながら絞り出すように答えたティアに、ことさら明るい声でタチアナが続ける。


「いえいえ、姫様が謝る必要なんか無いっス。これはあくまで、あたし達の話ッスから」

「あなた達だけでどうにかなるものではないぞ」

「それは承知してるっスよ。でも、ウルスキアに一矢報いる、多分最後のチャンスッスから」

「それは…そうかもしれんが…ブラホーン殿からも何か言ってください」


 タチアナの意思が揺るぎそうにもないと、その表情から読み取ったカヤが、先程から沈黙しているボラホーンへと話を振る。肉親である彼ならば、ともすれば止める事も可能ではないかと。

 黙して話を聞いていたブラホーンがふむ、と一息つき、髭をなでながら口を開いた。


「手がないわけではない、がのぉ」

「ほんとッスか!」


 てっきり反対されると思いこんでいたタチアナがテーブルに乗り出すように立ち上がる。


「ブラホーン殿、それは単なる気休め…では無いのだな?」


 対するカヤは、ブラホーンのそれに疑念の表情を隠しきれない。

 それはカヤのみならず、ロンベルやエドワードも同じであるようで、お互いに顔を見合わせている。


「確実性は高いとは言えんが…少し長くなるが、良いかの」


 そういうと、目の前の冷め始めているお茶を一口含み、ゆっくりと話し始めた。

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