第3章 完結後

074 昨年8月のお盆に寄せて

 ひとつ投稿するのを忘れていましたね。昨年8月に思うところがあって述べたものです。こちらで挙げるのがふさわしいかと思いますのでここに置きます。




 今もたくさんの語り部が戦時中のお話をしてくださいますが、いよいよ当時は少年少女だったという方の証言が増えてきました。当時従軍されていた方でも少年兵で、数年で終戦を迎えた方ばかり。

 それもそのはず、いよいよ貴重なお話をされる方が少なくなってきたのかなぁと感じています。当時の10歳は86歳にもなってしまうのです。当時30歳だったなら。106歳です。超絶ご長寿さん。それだけの月日が流れました。


 もし近所の学校で戦争体験を語る授業が開かれたなら。ご足労願える方は限られています。今だともう、それは少年少女の体験談になってしまうでしょう。ですがそれも児童らにとっては共感できる話にはなりましょう。とても、とても得がたい体験。しかしながら、私が昭和の世で受けた教育はもっと生々しいものでした。

 以下はその、昭和の話です。


 実の同居していた祖父や祖母は進んで語らない方々でした。今にして思えばもっと突っ込んで聞いておくべきだったと悔やむところではありますが、肉親ゆえに話せない内容などもきっとあっただろうと思い、聞かなくて良かったのかもなぁとも今は感じています。


 学校では意を決したご老人が先生によって招かれ、毎年違う方が違う視点から、自身の戦争体験を語ってくださいました。

 幼少期のことです、今ではもう細部をまるで思い出せません。絶対にスマホで録画しておくべきでしたね。あれは昭和でしたから悔やまれるところです。

 ただやっぱり、覚えているところはあるんです。何年経っても忘れません。空襲は全国各地の共通の体験だったでしょうが、九州は特攻も機銃掃射もエピソードに事欠かない土地柄でした。

 どの方も最後に仰られていたのは共通の文言でした。決してあの悲劇は繰り返してはならないと。


 小さな国の小さな民族です。次があったとしたらどうなるかは火を見るよりも明らか。兵器はより発達し、もっと短期間でもっと機械的に消し去れるでしょう。それはもちろんお互いに。

 そうしないために今度はどんなことができるのか。自分にはなにができるのか。

 具体的な行動で考えてみます。数少ない戦敗国の、世界で唯一の被爆国です。私達にしかやれないことがきっとあります。


 昭和が遠い過去になったように、令和がやがて遠い過去になったのだとしたら。

 その時にはもう、第二次世界大戦の体験者はおひとりも居ないでしょう。その時は私達の出番かもしれません。戦争体験を直接この耳で聞いた、私達の出番なのかもしれません。

 その時のための歩みを今から。

 一編したためてみます。決して長くはならないでしょう。何か物語にして啓蒙します。表向きには巧妙に隠しつつ。そうしないと読んでもらえませんからね。

 今回は国際色豊かにはなりません。たぶん小さな小さな物語です。


 終戦から76回目のお盆に寄せて。


 オレゴンの自宅にて 2021年8月13日 おれごん未来

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