第72話 聖女の憂鬱

 ──それから、なんやかんやで特に何事もなく、一週間が経った。


「いや、なんで誰も来ないのよ!」

 あの暗殺者が逃げてから、時間経ちすぎでしょうがっ!?

 なのに、なんの音沙汰もなく、ただ日々が過ぎていくのはどういう事なの。

 何やってるのよ、魔界十将軍も!コーヘイさんを含めた《神器》使い達もっ!


 私みたいな一般人のメンタルじゃ、一週間もの間いつ襲ってくるかわからない敵に備えるなんてきつ過ぎるわ!

 なんなの、焦らしプレイなのっ!?

 私達の……というか、私の精神を削るっていうつもりなら、作戦は大成功だわよ!

 だって、私もう「早く襲って来いやっ!」って気分でいっぱいだもん!


 はぁ、はぁ……ダメだわ。

 皆に比べて、私は精神的な負荷に耐える力が弱すぎる。

 ジリジリと焦燥感に襲われる私と違って、レルール達はかなり日常通りに勤めを果たしているし、ウェネニーブもエイジェステリアを相手にして組み手みたいな事をやって、決戦の日に備えているようだ。


「だーかーら!エアルちゃんは私が先に目をつけたのっ!」

「どちらが先とかじゃありません!共に過ごした時間の長さは、ワタクシの方が上ですし!」

 ……なんか、違う戦いに備えてる?


 そんな感じで、日々激しくぶつかり合いながら、竜と天使はいつものように舌戦も繰り広げていた。

 うーん、こうやって日常を普通に過ごせるのも、強者の余裕ってやつなのかしらね。

 そんな二人を見ていると、不安に駆られてヤキモキしてる自分が、なんだかバカみたいに思えてくる。

 ここはひとつ、私も体を動かして気分を変えてみようかしら。


「ウェネニーブ、エイジェステリア。私の訓練にも、付き合ってもらえないかな?」

 訓練なんて言ってみたけど、ようは攻撃してもらって、それを全力で防ぐってだけのものだけどね。

 盾使いである以上、やっぱり売りである防御の腕を上げたいと思う。


「もちろんいいわよ!でも、私の事は前みたいに親しみを込めて、『エーちゃん』って呼んでくれないかな?」

 ああ、確かに初めて会った頃はそう呼べって言ってたっけ。

 でも、この天使が真正のヤバい趣味の人だってわかった今では、ちょっと距離を置く意味もあって愛称では呼んだりできないわ。


「んもう、エアルちゃんのいけず!……だけど、そういう所も嫌いじゃないわ」

 グフフ……と怪しげな笑みを浮かべるエイジェステリアに対して、なぜかウェネニーブは何か考え込んでいる様子だった。


「どうしたの、ウェニーヴ?」

 心配になって声をかけると、彼女はスゴく真面目な表情で私に顔を向ける。

「お姉さま……訓練と言うからには、ワタクシも全力で参りますが、よろしいですか?」

「え、ええ……」

 いつもと違うウェニーヴの様子に、戸惑いながらも私は頷いてみせた。


「そうですか……でしたら、ワタクシが十分と思うまで、訓練は終わりませんが、その覚悟は?」

 ええ……な、なんだか妙にシリアスね。

 さすがのウェネニーブも、相手が魔界十将軍だけじゃなく、神に対抗しうる闇の勇者がいるって事で本気になったのかしら。

 彼女が、今のままでは私が死んでしまうと判断して、心を鬼にして特訓を施すつもりなら、それに答えない訳にはいかないわ!


「いいわ、ウェネニーブ!私も本気で頑張るから、ビシバシ鍛えてちょうだい!」

 決意を込めた返事を返すと、ウェニーヴは「ニィ……」といった感じで、なんだか粘着質な雰囲気で微笑んだ。

 え、なに……?ちょっと怖い……。


「わかりました……それでは、全力でいかせていただきます」

 怖っ!なんか、スゴく怖い!

 お、お手柔らかにお願いします……。


          ◆


「……………うう、酷い目に合ったわ」

 ヨロヨロとふらつく足取りで、私は神殿内にある井戸へと向かっていた。

 ウェネニーブとの訓練は過酷を極め、何年か寿命が減った気がする。

 でも、訓練の最初の方はともかく、後半は完全にセクハラだったな、あれ。


 なんで防御の訓練だっていうのに、胸を揉まれたり、尻を撫で回されたり、太ももを舐められたり、キスされそうになったりしなきゃならないのよ……。

 しかも、最後にはエイジェステリアも交ざってくるし……。

 おかげで、汗以外の理由でも私の体はベタベタになっている。

 ああ、早く水浴びでもしてスッキリしたいわ。


 そんな事を考えながら、井戸場の近くまで来た時、そちらの方からバシャッ!っと水浴びをするような音が聞こえてきた。


 うん?

 いま私が向かっている井戸場は、修行中の女性神官達も使う(男性用は別にある)らしいから、先客でもいるのかしら?

 修行の邪魔をしたら悪いかな……とは思いつつ、一刻も早く体を洗いたい私は、ちょっと様子をうかがいながら、水場へと近付いていった。


 バシャリ!と、再び水を頭から被る音が響き、「ふぅ……」という、小さなため息が聞こえる。

 あれ、この声は……。


「あ、エアル様!」

「やっぱり、レルールだったのね」

 水浴びをしていた先客は、この神殿で一番忙しいかもしれない美少女だった。

「どうなされたのですか?」

「あー、ちょっとウェネニーブ達と訓練をしてて。それで、汗を流そうかなと思ってね」

「そうでしたか。私も忙しさで、熱暴走しそうな頭を冷やすために、ここに来ていたんです」

 クスクスと笑いながら、レルールはどうぞと場所を譲ってくれる。


 しかし、私はそんな彼女に見とれていて、ぼんやりと立ち尽くしてしまう。

 いや、元々すごい美少女だとは思っていたけど、差し込む陽の光と、それをキラキラ反射する水滴に彩られ、幻想的な美を生み出している。

 さらに、濡れた質素な白い肌着が張り付いて、膨らみかけた蕾のような未成熟さの残る体のラインは、まるで名のある芸術家が手掛けた彫像を思わせるほど綺麗だった。

 ウチのウェネニーブも美少女だけど、レルールもベクトルが違う美少女だなぁと再認識してしまう。


 そんな風に、彼女に心奪われそうになっていた私を、小首を傾げたレルールが不思議そうに眺めていた。

 おっと、お勤め中の彼女が場所を空けてくれたのに、無駄にしたら悪いわね。

 私はレルールにお礼を言って上着を脱ぐと、身が引き締まるような冷たい水を何度か頭から被っていった。


「よろしければ、こちらのタオルを使ってくださいな」

 レルールに差し出されたタオルを受け取り、ありがたく体を拭かせてもらう。

 っていうか、水を浴びた後の事をまるで考えていなかったわ。

 我ながら、かなり疲れていたんだなぁ……。


「エアル様、お食事は済ませてしまいましたか?」

 冷えた体を、まだお日様の香りが残るタオルで拭いていると、レルールがそんなことを聞いてきた。

 言われてみれば、今日はずっと訓練に勤しんでいたから、正午はだいぶ過ぎたけど、まだお昼を食べていない。


「いえ、まだだけど……」

 うーん、でも自覚したらお腹がすいてきたな……。

「私もこれから遅めの昼食なのですが、よらしかったらご一緒にいかがでしょうか?」

 そうね……すぐに戻ると、またウェネニーブ達にセクハラ紛いの訓練を課せられるかもしれないし、少し時間を置いてから戻った方がいいかも。

「うん、それじゃあ一緒にいこうか?」

「はい、参りましょう」

そんな訳で、私達は神殿の中にある大食堂へと向かった。


 アーモリーの教会神殿で働く人や、修行する人はかなり多い。

 そのため、食事の時間もバラバラになりやすく、特にレルールみたいな偉い人だと決まった時間に食べれるのは年に一、二度くらいらしい。

 だから、食堂はいつでも開放されていて、自由な時間に食事ができるようになっているのだそうだ。


 私達は軽めの食事を注文し、それを受けとると部屋の端の方へ向かった。

 一応、大司教という立場であるレルールが目立つ所で食事をしていたら、回りを威圧してしまうというからといった配慮だったんだけど、周囲の人達はそそくさと場所を変えて離れてしまう。

 結局のところレルールは目立っちゃうのよね。

 まぁ、これも彼女の才能のひとつってことかしら。


「はぁ……」

 ため息を吐きつつ、モソモソと口へとサラダを運ぶレルール。

 んん?どうかしたのかな?

 何となくモヤモヤを抱えているような、そんな彼女の様子が気になって、思いきって尋ねてみた。


「……いえ、あの時に天使の皆さんから聞いた話が、まだ引っ掛かっていて……」

 あー、この世界の真相みたいな話ね。

「私達は、神様を信奉し、この世界をより良い方向へ向けるために説法を説いていました。ですが、そんな私達は結局の所、神々の戯れの駒でしかないのかと思うと……」

 そうねぇ……。

 まぁ、確かに思うところはあるけど。


「しかも、今のところ神様に問いかけてみてはいますが、返事はなしのつぶてです……」

 試練の前には、割りと気さくに答えていたあの神様が、シカトするなんて……。

 そんなんじゃ、レルールの不安も払拭されないわよね。


「でもさ、迷うのもわかるけど、例え世界の真相がどうであれ、レルールの言葉に救われた人も絶対いるわよ。だから、自信を持って人に接していいと思うわ」

 元気のない年下の女の子を見てると、田舎に残している妹の事を思い出してしまう。

 私なんかの言葉でも、ちょっとは励ましになるといいな。


「そうですね……私がフラフラしていたら、他の者達へも不安が伝染してしまうかもしれませんしね!」

 虚勢かもしれないけど、笑顔を見せるレルールに、私も大きく頷いた。

「それでは、チャッチャと食事を済ませて、夕方の修行もかんばりましょう!」

 そう言って、彼女と私が眼前のテーブルに乗った料理へと本格的に手を伸ばそうとした、その時!


 唐突に、バァン!と大きな音を響かせて、食堂の扉が思いきり開かれた!

 何事かと、そちらに目を向けると、食堂の入り口には、血相を変えたジムリさん達がキョロキョロと周囲を見回していた!

 あれ、ひょっとして私達……というかレルールを探してるのかな?

 とりあえずジムリさん達に向かって手を振ってみると、こちらに気付いた彼女達は、足早にこちらへと詰めよってきた。


「レルール様、緊急事態です!」

 ジムリさんが、開口一番にそんな事を言う。

 彼女ほどの人がこんなに慌てるなんて、いったい何があったのだろう。

 まぁ、これでもそれなりの修羅場は潜り抜けてきた私だから、並大抵のことじゃ動揺なんてしないけどね!


「本日未明、我が国の最北にあるヌイアー砦が、魔界十将軍らしき者達の襲撃を受け……壊滅しました!」

 ブフッ!

 思っていたより、かなりの深刻な報告を聞いて、思いきりムセてしまった。

 っていうか、砦が壊滅ってどういう事なの?

 アワアワと面白いくらい狼狽える私とは裏腹に、一瞬だけ慌てた様子を見せたレルールだったけど、すぐに立ち直ったレルールは、ジムリさんに大司教の顔で問いかけた。


「ジムリ、詳細の報告をお願いします」

「ハッ!」

 ビシッとしながら答えたジムリさんは、手にした報告書を読み上げ始めた!

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