若干オトナになった僕はオトナのようなことを言う。

月影いる

オトナの正しさ、子どもの正義


 それは何の変哲もない日。その日は友人の子どもが家に遊びに来ていた。小学校低学年の男の子だ。

 外はよく晴れ、青空が広がっていた。良い天気だと飼い犬の散歩に出かけようとした時、男の子が僕の元へ来て

「ワンちゃんおさんぽなの?僕も行きたい!」

 と元気よく言ってきた。断るのも面倒なので仕方なく連れていく事にした。田舎なので畑や田んぼが多く、本当にのどかなところで犬の散歩道としては絶好の場所だ。ただ、家の近くには広く工事されたばかりの道路がある。そこだけ地味に交通量が多い関係でかなり危険だったので犬を見て子供を見て、と大変だと思った。その道を安全に渡り、共に緑多き道へ歩き出す。畑や田んぼ、何も無い道をいつも通りに進んでいると、男の子が畑の端の方に咲いている小さな花をじっと見つめて言った。

「お花、きれいだね!僕達と一緒に生きているんだね!」

 と。そういえば道端に咲いている花に目を向けるなどめったにしていなかった。最後に見たのはいつだったか、それすら思い出せない。なにか失ってしまったような、虚しさを感じた。

 帰り道、畑や田んぼ道を周り、また大きな道路へ差し掛かった時、男の子が驚いたような声を出した。

「スズメ!道路にスズメがいるよ!」

 ふと道路に目をやると、車に轢かれ息絶えている小さな亡骸が見えた。車が通り過ぎる度に風で動いているように見える。

「お兄ちゃん!助けてあげようよ!ねえ!」

 純粋な眼差しで僕を見上げる男の子。僕が既に息絶えていることを伝えると、悲しい顔をして

「なら、せめて埋めてあげたい。あそこじゃきっと痛いよ。かわいそうだよ。」

 と言った。その時車の通りはまちまちで、救いに行ったら丁度車が来てしまうようなそんな距離だった。男の子が行こうとするのを危ないからと言って制止して、車が来ない安全なタイミングを見計らっていた。しかしなかなか車は捌けず、続いてきてしまった上、小さな亡骸は何度も轢かれボロボロになってしまった。もう埋めてあげられる余裕などなかった。もし救いに飛び出していれば僕や男の子が轢かれていただろう。僕はなんとも言えないほどの痛みと不快感を覚えた。そして咄嗟に男の子に、危ないから、もしかしたら病気を持っているかもしれないから。なんて平たい言い訳をした。それを聞いた男の子は、僕の隣で悲痛な表情を浮かべながら小さな声で

「ごめんね……。」

 と言った。それを聞いた時、僕の中で大きな悲しみと虚無感、後悔の念が押し寄せてきた。痛かっただろう。もっと生きたかっただろう。今も尚、痛みは続いているのだろう。そんなことを考えてしまった。そして、自分の行いは正しかったのだろうか。もし早く救えに行けたのならちゃんと埋めてあげることが出来たのかもしれない。とまで考えてしまった。いつも通りの散歩のはずだった。犬は何かを察したかのようにお座りをして僕の方を見ている。やっぱり僕は間違っていたのか?ふと幼き頃に同じような経験をしていたことを思い出した。その時は母親に強く止められ、反発して喧嘩をしたんだっけ。もしかして僕は母親と同じようなことを言ったのでは。あの時のように純粋に助けたい、と思うのではなくオトナの都合で理由をつけて止めてしまったのでは。複雑な心境だった。そして僕自身がと感じた瞬間だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

若干オトナになった僕はオトナのようなことを言う。 月影いる @iru-02

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ