混色の森
@yuuAmagata
女
暗い暗い森の中を歩いている。いつから歩き始めたのか、どのくらい歩いたのか、何のために歩いているのかわからない。ただ、これは歩くものなのだと知っていた。歩くことが正義なのだと。
浮ついた足取りで歩いていた。足元を踏みしめて歩こうが気を引き締めて歩こうが歩かなければいけないことに変わりはないのだから、できるだけ楽な方法で、歩く。
どのくらい前だったか、自分の周りだけ薄暗く光に照らされていることに気づいた。だからここが鬱蒼と無限に広がる森なのだと認識できるのである。
この森は時折様相を変える。周りから木がなくなったり、明るい森だと勘違いさせたり。甘い甘い果実が現れたり。たまにあるそういった変化は楽しいような重苦しいようなものだった。
少し先に人が現れた。初めてのことではない。遠い昔「どのくらい昔だったのかわからないが」に一度だけあった。
この森を歩かなければならないと考えるようになったのはあの時からだ。
まだ視認できるかできないか程度の距離にいるその人は手招きしているようだった。
その通り近づいてみると美しい女性が全裸で立っていた。余裕のある表情を浮かべているつもりなのだろうがどこか必死さが見え、何かを渇望しているように見えた。口元を終始手で隠していたその女性は見えない口で語り始める。
「私には心臓がたくさんある」
「何のために?」
「あなたをたくさん愛すために」
「心臓がたくさんあればそうなるのか?」
「ええ。それはもう。」
「俺はお前のことをよく知らないのだ。お前の表情の意味も。その口元の形も。」
「これから知っていけばいいじゃない。とにかく私はあなたを愛している。このたくさんの心臓全てをあなたの鼓動と共に動かそう。」
「俺は進まなければならない。この森を。」
「何のために?」
「俺を愛しているんだろう。黙っていろ。」
「わかったわ。その代わりしばらく私も共に進む。」
「好きにするがいい。」
その女はとてもおしゃべりだった。その間も決して口を見せることはなかったが同時に裸のその体を隠すこともなかった。何度も体を重ねたが彼女は頑なに口元だけは隠し続けた。それと同時に彼女は常にこちらを見続けていた。歩いている時も激情に身を委ねている時も。それゆえに、口元だけでなく女の後ろ姿も見たことがないことに気づいた。
甘い果実が右手を伸ばせば届く位置に実っていた。
「それを食べてはいけない。その果実には毒があり、あなたの体をゆっくりと蝕む。」
「俺は今まで食べてきたが毒など入っていない。」
「いいえ、確実に毒だわ。私だって食べるのを我慢しているの。」
「そうか。疑ってすまない。歩こう。」
「いいの。それがあるべき形だから。」
「そうだ。では代わりにお前の口元を見せてくれ。それだけおしゃべりな口なのだ。姿を見せないほうがどうかしている。」
「私には口なんてないわ。今のあなたが見ているのがありのままの私。」
「嘘をつくな。ならばどうやって喋っているのだというのだ。」
女は出会ってからずっと喋りっぱなしだったが、その時初めて黙った。
だくん、だくん、だくん、だくん
「お前俺に嘘をついたな!」
「本当に口なんてないわ。」
「そのことではない!心臓の鼓動を俺と同じにすると言ったではないか。全く違う鼓動を刻んでいるのはなぜだ!
そうかわかったぞ。お前が口を見せないのは嘘をつき続ける口だからだな。その嘘に塗れた口を見せてみろ!」
口元を押さえている手を強引に外そうとしたがすごい力で抵抗してきた。長い揉み合いの末、口元の手を外させることに成功し見てみると、女の顔には似つかわしくない毛が生えていた。
「ほれみろ。お前には口があるではないか。あっちにいけ、お前のことは見たくない!この尻軽おんなめ」
「そんなのあんまりじゃない。」と女は言い、悲しそうな顔を浮かべるが女の目には涙がなかった。
言い争いをしているうちに女の後ろ姿を見ると、女の後頭部にはもう一つ顔があった。
その顔は泣きながらも恍惚の表情をうかべながらうまそうに毒の入っているという果実を食べていた。
それを見た瞬間、女の体は腰から胸と腿、顔と足先と徐々に固まっていき、人の大きさの美しいガラス細工になった。
遠くから聞こえる羽音だけが聞こえる静寂であったが、その羽音は少しずつ近づいてきて、大きなワシが姿を表した。
ワシは女だったガラスを粉々に砕き、破片を一つ俺の局部に突き刺した。残りの破片を全て飲み込みワシは飛び去った。
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