第25話 文化祭その④
12時45分。『当日は第二校舎も入り口で待ち合わせしましょう』と予め連絡を受けていた俺はその集合場所に向かい、目撃した。
カスタード色をしたショートカットの髪型。宝石のように綺麗な大きな
斜め後ろから近づいたからだろう。彼女はまだこちらに気づいていないようだ。
親しい仲なら驚かせるようなことができる状況ではあるも、さすがにそのような出過ぎた真似はしない。
「飛鳥さん、お疲れさまで——」
気づいてもらえるように声を出し、さらに距離を縮めていく。
そんな時だった。俺は逆に気づかされるのだ。
「えっ!? や……、ちょ……」
飛鳥がこちらに気づいて身動きをすると、その影に上手に隠れていたもう一人の女の子が顔を覗かせた。
「……」
目がった瞬間、頭は真っ白になる。
こんなことになるとは予想もしていなかった。可能性の一つにすらなかった。
彼女の影に隠れていたのは、俺が今一番に会いたくない相手。俺が失礼を犯してしまった相手……。
今日、飛鳥のデュオを担当していたあの九条玲だったのだから……。
「じ、純さんどうされましたか? なんだか少し様子がおかしいですよ?」
「え? あ、そ、それは……」
「来てくださりありがとうございます。演奏はお聞きになりました?」
この時、俺が九条にしたことは全部筒抜けになっている。そう思った。
飛鳥の口調は硬く、他人行儀に変わっていたのだから。
ニッコリと微笑んでくれているも、その裏ではこう言っているように感じた。
『九条さんに『
そして、隣にいる九条は目を見開いたまま無表情で顔でこちらを見続けている。
その表情からはなにも読み取れない。だが、
『さて。どんなお仕置きをしてもらおうかしら』
なんて圧をかけているような面になっているような気がする……。
間違いなく言えることは、状況を把握すること。それだけだろう。
「あ、あはは……。もちろん演奏は拝聴しました。とてもお上手でした」
飛鳥が他人行儀な口調になっている分、こちらまで丁寧な口調になるのは仕方がないこと。
そして、学校での飛鳥はこれがスタンダードでもあることにはこの後、知ることにもなる
「お褒めいただきありがとうございます。ですが、そんな遠い距離から話さなくてもよろしいのでは?」
「あ、はい……。そうですね……」
背中に冷や汗が流れる。
『今からするお話は周りに聞かせるわけにはいかないでしょう? 早くこっちにきて説明してください』
そう感じてしまうのも無理はない。
ここで本当に恐ろしいのは、先ほどから喋っているのは全て顔見知りの飛鳥だということ。九条は全く声を出していないのだ。
(きっと怒っているに違いない……)
九条がいつ俺の素性を知ったのか。そんな疑問はあるが、今はそんなこと考えている暇はない。
「っと、すみません。自己紹介がまだでしたね。こちらがクラスメイトの九条
「ど、どうも……」
今もなお無反応の九条に、なんとか笑みを作って挨拶したその瞬間だった。
「——ッ!! ちょっと貴方来なさい!」
「うおおっ!?」
『どうも』の声が引き金になったように、俺は彼女に引っ張られる。
そんな彼女が止まった場所は、飛鳥から7、8メートル離れた場所。
二人っきりの空間になり、顔を合わせてきたと思えば刃のような鋭い視線を送ってきたのだ。
「こ、これはどう言うことなのよ! 早く説明して。貴方が貴方だといろいろマズいのよっ」
目の中をグルグルしながら怒っているが、なにを焦っているのかわからない。
「貴方が貴方……? そ、そう言われましても自分も困惑してまして……」
説明しながらふと後ろを振り返れば、置いてけぼりにされた飛鳥は呆けた表情で、可愛らしく首を傾げている。
なにがなんだかわかっていないようだ、それは全員が同じだろう……。
「嘘をつかないで。……貴方、アタシを
「そ、それはどのような意味で!?」
「校舎裏で会ったことは偶然じゃないと言っているの! 貴方はアタシの緊張を解くように仕向けて、飛鳥さんの足を引っ張らないように企てたのでしょ。不安のあるペアでごめんなさいね」
「へ?」
「今回したことは独断? それとも誰かに指示されたことなの? 謝ったんだから教えなさいよ」
完全には理解が追いつかないが、ふと、お忍びで来ていた九条パパが言っていたことを思い出して噛み砕くことができた。
『うちの玲はかなりの緊張しい性格でね。腕は確かなんだが、序盤が硬くなってしまってね』
『藤原さんには敵わないよ。体の使い方に重心移動に周りに動じないメンタルに、どれも素晴らしいんだ』
この言葉がお世辞ではなく本当にそう感じていて、さらには九条までそう思っていたのなら、あの時の緊張を解そうとした俺の行動は『飛鳥の足を引っ張らないような根回し』だと勘違いしても確かにおかしくはない。
そうなればこう怒っているのも自然だろう……。
「申し訳ございませんが、全て九条様の勘違いでございます。自分は
「ふぅん……。つまり、校舎裏に座っていたアタシを見つけたことも、キツイ態度を見せたアタシに普通に接してきたことも、どちらに仕えているか名乗らなかったことも、マシュマロやココアを購入し、それを渡して緊張を解したことも、缶を開ける際に指を痛まないよう100円玉を栓抜き代わりに用意していたことも、全て偶然と言うのかしら」
アナウンサー顔負けの早口。息継ぎをすることなく、最後まで言ってのけた彼女。
「本当に偶然ですよ。九条様について自分は知っていることは数あるコンクールでお名前を残されていること、男性が苦手でいらっしゃること、飛鳥さまや美雨さまとお友達でいらっしゃること。その3点になります。不安のあるペアだなんて思っていませんよ」
これだけは信じてほしい。初めて出会ったあの時、彼女の素性を知っていたらあんな真似はしない。美雨から言われていたのだ。九条と挨拶をする場合には紹介された時からと。
「それでも“出来過ぎた流れ”。これに反論はないわよね」
「いえ、反論しかございませんよ……。先ほどは大変失礼な態度を取ってしまいましたし……」
「えっ……?」
マシュマロとココア。その甘い物の効果で多少なりに緊張は取れたのだろう。それでも、俺が言いたいのはそこではない。
「貴女が男性が苦手な方だと予め知っていれば、お話に行こうだなんて行動には至りませんよ……。その行動によって演奏に支障が出る可能性があります。さらに自分が貴女の素性を把握していて『変な人』と呼ばれるような立ち振る舞いをするメリットもありません。それこそ藤原の名を下げてしまいます……」
そう。俺が一番してはいけないことは失礼を犯さないこと。ただそれだけ。
その願いが、弁明が通じたのか、九条の勢いがなくなっていく。
「で、でもそのおかげでアタシは救わ……ではなく、そ、その……。本当に偶然なの?」
「はい。本当の偶然です。演奏の時に貴女が飛鳥様のペアだと気づきまして……」
「つ、つまり……貴方はアタシが九条だとは知らずにお節介を働いたの……?」
「そうなります。放っておけない性分でして」
「そ、そう……。なら、信じるわ……」
サイドテールに結んだ赤色の髪をくるくると人差し指で巻きながら視線を逸らす彼女。
強気な態度が一変、肩を軽く押してしまえば簡単に倒れてしまうんじゃないかというくらいに弱々しくなっている彼女。
「ピアノの演奏、とてもお上手でした。飛鳥様を引っ張っていただきありがとうございます」
「……っ」
『とても頼もしいペアでした』と、追加で伝えた俺はやっと自然な笑顔を浮かべることができた。
「貴方……やっぱり変な人ね」
「そ、そうでしょうか!?」
顔を赤らめ、どこか面白そうに優しい瞳を向けてくる彼女に焦ってしまう。
そんなチグハグした雰囲気は、今の今まで置いてけぼりにされていた彼女によって変えられる。
「おやおや、お二人とも随分と親しいようで……。まるで、以前から顔を合わせているような……?」
「っ!」
飛鳥が口を開くと、九条はピクッと小さな肩を上下させた。
「あら〜、もしかして『大人の男性はいいわね』なんて口にしていたのは——」
「——ちょっと待ってっ」
「ん?」
急いで口を塞ぎに向かった九条だが、そんなに慌てるような言葉では……? と思う俺だった。
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