03.ソリヤ家の人達


 多分、いつもと同じ朝だと思う。

 違ったのは珍しく朝寝坊した妹の我儘を聞いたくらい。

 あれで予定が狂ったのだろう。

 妹は寝坊の理由は僕にも母にも話してくれなかった。遅刻しそうだから車で送ってくれとねだってきたんだ。

 母は妹を窘めたけど僕はその願いを断れない。可愛い妹のお願いだから断れない。

 妹は所謂美少女の分類に入る容姿だ。母から聞くには学校でも結構な人気者らしい。告白も相当数されているらしい。それでも付き合っている人はいないとか。

 ま、そんな妹だ。そのお願いを断る事なんか僕ができるはずがない。


 妹は・・・。

 

 ・・・・・・ロッタ?

 

 ・・・あれ?

 

 え?

 


 周囲で話し声がするのに気づく。唐突に僕は目覚める。

 ん?寝ていた?

 ・・・いつの間にか眠ってしまったようだ?

 え・・・と。

 そうだ。助けて貰って手当してもらって・・・記憶が無い事が分かって。


 寝たのか?それとも痛みで気絶してしまったのだろうか?

 

 半分目覚めたばかりでぼんやりしているけど。過去の事は思い出せない。

 この部屋で目が覚めた以降の事しか覚えていない。

 ま、そんな所か。


 それにしてもなんださっきの夢は?

 過去の記憶なのだろうか?どうもぼんやりしてきちんと思い出せないのが歯がゆい。

 

 だけど体の痛みの方が強い。まだ痛い。

 この痛みが現実である事を教えてくれている。

 ゆっくりと周囲を確認する。

 周りには三人の男女がいるのかな?

 一人はライラという男装の女性。

 もう一人は女性。どことなくライラさんと似ている顔立ち。プラチナブロンドというんだっけ。長いプラチナブロンドでやや垂れ気味の緑色の瞳。むっちりとした体つきだ。

 最後の一人は男性。短く刈り込んだ茶髪。細く冷徹な茶色の瞳。がっしりしているような体型をしている。軽量級の重量挙げ選手のような感じか?威圧感が半端ない。殺しそうな目をしているし。僕なんかしたか?

 僕と最初に会話したロッタという少女はいないようだ。

 ぼんやりとした視界と意識の中でライラさんが話しかけてくる。


「ケイ。聞こえるか?」

「ええ・・・聞こえてます。僕は気を失っていたんですか?」

「怪我の痛みがひどかったんだろう。痛みで気を失ったと思うが。今は大丈夫そうか?」

「はい、なんとか。まだ体は痛いですね。僕はどこまで話をしましたか?」

「それはまた後で話そう。まずは二人を紹介する。こちらが私の姉のアイナだ。君の手当をしてくれた。そちらが叔父のエスコ。君は覚えていないだろうがあの場から運んでくれた。そして私が君を襲っていたシッカを倒した。これも覚えていないと思うのだろうな」

「・・・シッカ?」


 シッカという何かに襲われていたという記憶が全くない。思い出せない。

 体の痛みに堪えながら思い出そうとするのだけどダメだ。思い出せない。

 シッカってなんだ?鹿の呼び名が変わったのか?

 ・・・分からない。

 気づくと三人の視線が僕に集中してる。地味にきつい。


「シッカも知らないか?君を襲っていた牙を持つ四つ足の獣だ。あれは私達の獲物だった。私達の生業は狩猟だ。今日の獲物はシッカだった。弱らせて止めをさそうとしたのだが。まさか周辺に人がいるとは思っていなかったのだ。君は不運にも私達の狩場にいたんだよ」


 マジか。

 この人たちの狩場に不用意に突っ立ていたという事?どうしてそんな場所に?


 ・・・・・。

 やっぱり思い出せない。



 ほんとあり得ない。どういうことだ?

 全く思い出せないし、シッカという名前も意味が分からない。獣だというのはさっきの説明で分かったけど。

 知らないのか、忘れたのか。

 僕は自分自身の事も覚えていないのだから。

 またもや思考が混乱する。

 

「シッカの突進をまともに食らったんだ。普通は死ぬ。尤もそのまま死んでくれた方が俺は助かったんだけどな。中途半端に生きているから助ける事になっちまった。余計な手間が増えるばかりだ」


 エスコと呼ばれた人がため息交じりに言う。

 死んでくれていた方が楽だったと心底思っているのが良く分かる。この人だけ最初から好意のない表情だからな。僕としても好意的になれそうもない。

 エスコはまだ何か言いたそうな感じがする。暫くは嫌味を聞き続けないといけないか。助けてくれた人にそんな感情を持つ僕もどうかしているかもしれないけど。どうにもエスコは・・。

 何かを言いかけたエスコを遮るようにアイナさんが話しかけてくれる。


「骨が折れていたり、関節がゆるくなっているみたいなの。擦り傷は早めに治ると思うのだけどー、骨折は暫く時間が必要と思うの。でもね治療ができる治療師はこの邑にいないの。他の邑から相当の謝礼を出さないと呼べないのよ~。だから自力で治してもらう事になるわ~」


 悲しそうな表情で僕の怪我の状況を説明してくれる。見た目通りふんわりとした優しい心地よい声だ。

 その言葉の中にある治療師という言葉が違和感を感じてしまう。医者はこの邑にいない?だから治療が十分にできないと言いたいのだろう。

 医者を呼ぶとお金がかかる。僕のような者にそこまで金をかける事はできない。まぁ、それはそうだ。無料じゃないんだしね。

 でも表情はなんとかしたいような感じだ。アイナさんは優しい人なんだろうな。これは今の僕にとってはとてもありがたい。


 確かに僕は重症かもしれない。

 体は全身痛い。

 左腕と左脇が一番痛い。これが骨折の痛みか。ちょっとでも動こうとすると痛みが激しい。

 でも、お礼だけは言わないといけない。

 見知らぬ僕を助けてくれて治療をしてくれたんだ。

 ほんとうにありがたい。


「あなた方の狩場と分からず侵入してご迷惑おかけしました。それなのに安全な所まで運んでもらい、そして治療して頂きありがとうございます」


 頭を下げて礼をしようと思ったのだけどやっぱり動けない。・・・痛いっす。

 アイナさんが慌てた様子で僕の体を押さえてくれる。動かないように・・・と言う事かな。本当に優しい。


「まだ動かないで。本当にひどい怪我だから体が動くようになるまでは当分ここにいていいのよー。ライラから聞いたのだけど何も覚えていないのでしょ?あの森は私達ソリヤ家の狩場なのよ。この周辺なら他の邑の人達でも知っている事なのよ」


 慌てていてもおっとりとした口調。やっぱりアイナさんは安心する人だな。僕自身の心情も加味しているかもしれないけど。

 確かにソリヤ家の狩場に僕はいたらしい。

 聞いている感じだと私有地のようなものなのだろうか?結構有名な場所みたいだし。勝手にそんな所に踏み込んでしまったんだな。

 どうやってその森に入ったのか・・・・本当に覚えていない。


 何故僕は何もかも忘れてしまったのだろう。


 ソリヤ家という言葉にも記憶にもない。

 違和感はあるのだけど。違和感の説明ができない。何かしっくりこないという感じ。何なのだろう?

 

「先ほど記憶が無いと言ったのですけど。それは森にいた記憶が無いという意味ではないのです。こちらで意識を取り戻してから前の記憶が全く無いのです。ケイと名乗りましたがそれが僕の本当の名前なのかも分からないのです」


 アイナさんは驚きの表情。

 ライラさんは僕を黙って見ている。

 エスコは聞いていられるかとばかりの苛立った表情になる。


「ケイと言ったか。お前なぁ、嘘をつくならもっとマシな嘘をつけ!どこの邑から来た!?クージ邑の間諜か?」


 簡単に激高するよなぁ。でもエスコの言っていることが全く分からない。何言っているんだ?クージ邑と言われても全く分からない。

 それに間諜だって?それってスパイって事だよな?

 でも否定できないかも。

 僕が何も記憶していない。だから否定する根拠が全く無い。

 見つけた時の僕は荷物や武器は一切持っていなかったそうだ。それに珍しい服を着ていたそうだけど、それもボロボロだったそうだ。つまり身元を証明するものを僕は一切持っていなかったそうだ。

 そりゃ疑われても仕方ないよな。


「叔父上。何をいきなり言うんだ?クージ邑にそこまで知恵が回る者はいないだろう?あれは正面から戦いを挑んでくる。内部からの切り崩しは考えないだろう」

「そんな事分かるか。怪我をすれば俺達が邑に入れざるを得ないと分かってやってきたんだ。さっさと邑長に突き出して処分を下せばいい。家長代行である俺の意見は従ってもらう」

「そんな。ケイくんはまだ怪我も酷いのよ。せめて怪我が治るまでは面倒見てあげようよ。今だって生きているのが不思議なくらいの重症だよ」

「私もそう思う。記憶がはっきりしないのも一時的なものかもしれない。この重症ではどこにも出られないだろうし。監視付きで当分面倒を見たらいいのではないかな?」

「ぐっ・・・。家長代行は俺だ。俺の意見に従ってもらう」

「家長代行は代行であって家長ではない。外向けの発言をする際に家長に変わって発言する役割だ。それ以外の家の中での事は本家の意思が優先する。本家の私達二人が保護すると意思を示している。それを却下するのか?如何?」

「私もライラの言う通りと思います。重傷者を放り出したというのはソリヤ家の恥になります」


 怯まない女性陣の発言。なんか迫力あります。すげ~。

 エスコは何か言いたそうだったが諦めたようだ。


「分かった。しかし邑長には余所者を保護したと報告はしてくる。邑に余所者を入れたら速やかに報告する義務がある。これは家長代行の役目だ」

「そこに異議はない。当面はこの場で保護していると伝えてもらえれば問題ない」


 不満たらたらの表情を隠さないままエスコは荒々しく出て行く。

 ライラさんは冷ややかな目でそれを見ていたのだけど・・・なんとなく気になってしまう。扱いに困っているのかな?

 アイナさんはそんな事を気にせず僕に声をかけてくる。


「まだ色々混乱していると思うけど~。ケイくんほんとに何も思い出せないの?」


 ケイ・・くん・・って。お姉さんっぷりを出してくるなアイナさん。年齢はどのくらいなんだろ?いや・・・僕何歳なんだろ?

 あ~もう困ったな。記憶が無いのがこんなに辛いなんて。


「本当に思い出せないのです。今話している言葉も実は・・・最初は分かりませんでした。上手く説明できないのですけどどうやら僕は違う言語を使っていたのかもしれません」

「名前は憶えていたのよね?自分の名前じゃないかもしれないと言っていたけど。他に何を憶えているの?」

「今の所何も。空っぽなんです。年齢も分かりません。僕は一体何者なんでしょう?先ほど疑われたように間諜かもしれません。それを否定する記憶を僕は持っていないのです」

「一時的な混濁であれば良いのだけど。シッカに相当跳ね飛ばされていたからね。生きているのが不思議だと思う程の飛ばされ方だったから。むしろ、その程度の怪我で良かったと思っているよ」


 げげ。そんなに激しく飛ばされたのか。こんなに痛いのに。これでもまだ良かったって?そりゃ死んだと思ったくらいというのだから。

 あり得ない。

 それで記憶が無くなったのかもしれない。

 どうやったら僕の記憶は戻るのだろうか?

 不安がだんだん募ってくる。

 ・・・・不安しかない。


「見た目以上に酷いダメージを受けている可能性が高いわよ~。だからゆっくりと休んでいてね。そのうち記憶も戻ってくるわよ~。多分だけどねケイくんは間諜なんかじゃないよ。もしかしたら”迷い人”じゃないかな?」

「姉さん。”迷い人”とは何?どこから知ったの?」


 僕は当然”迷い人”という意味を知らない。

 言葉の意味は知っているけど。でもアイナさんが意味している意味は知らない。意外な事にライラさんも知らないようで不思議な顔をしている。当たり前の言葉ではなさそうだ。

 分からない僕は素直にアイナさんに言葉の意味を確認する。

 アイナさんはニッコリ微笑んで説明してくれる。


 この世界と違う世界から理由もなく人が現れる事があるそうだ。これは滅多にはない事らしい。

 異世界からきた人を”迷い人”と呼ぶそうだ。

 伝聞らしいのだけど”迷い人”は凄い能力を持っているらしい。具体的な能力についてはアイナさんも知らないそうだ。

 

 ”迷い人”は良くも悪くも騒乱を巻き起こす存在なんだと。

 その異能を利用されるからなんだって。

 過去に現れた”迷い人”にそんな存在がいたらしい。

 なんかスケールが大きな話になってきたぞ。


 数百年前に大きな国を作った英雄。

 実はその人が”迷い人”だったらしい。相当な悪名を残したようで結構な有名人。

 当然僕は知らない。その人物はライラさんは知っていたようだ。でも”迷い人”だとは思っていなかったそうだ。

 なんでアイナさんは知っているのだろう?

 それはライラさんも同じだったようで説明を求めてくる。

 アイナさんは話しづらそうだったけど知っている理由を説明してくれた。


 アイナさんは他所の邑に嫁いでいた時期があったのだ。その家にいる時に”迷い人”の話を聞いたそうだ。

 結婚したというけど今はこの家にいるアイナさん。う~ん。

 と、言う事は離婚したのかな?などと僕は余計な事が気になってしまう。

 そうか・・・アイナさん結婚していたのか・・・・。

 結構若そうだけど。この邑では婚期は早いのかもしれないな。


 直感的なものらしいけどアイナさんは僕がその”迷い人”だと思ったようだ。

 なんでだろうか?

 僕は凄い能力?は無いと思う。何かビームとか出せないし。

 あったらシッカだっけ?あの獣を倒せたりしたと思うんだ。

 僕は無能力者だよ。じゃなければこんな大怪我をしないよ。

 とはいえ否定できる理由は無い。やっぱり記憶を戻さないといかんです。


「姉さん。何故ケイが”迷い人”と思ったの?異能は”巫女”に視て貰えば分かるのだろうけど?」

「そこまでは聞いていなかったわー。私もあの家の人から聞いたわけじゃないのよ。たまたま古文書が残っていてね。それを読んだのよ。”巫女”様から伝え聞いたとして記されているだけだったから。確かに”巫女”様なら何か分かるのかもしれないわー」

「”巫女”様から伝え聞いたとなれば確実かも。この邑には”巫女”様はいないしね。会うだけでも沢山の貢物もいる事だし無理かな」

「それでね~。ケイくんが”迷い人”だと思った根拠はね~。瞳の色なのよ~。黒に近い茶色でしょ?そんな瞳が”迷い人”の特徴らしいわ~」


 その一声でライラさんが僕を見てくる。

 う・・・近いです。そんな表情で近づかないで。なんか恥ずかしい。僕はまだ横になっているから丁度上から見下ろされる感じだし。


「本当だ。この瞳の色は見たことがないな。よく見れば肌の色も違うね。髪も黒だし。成程。これが”迷い人”の特徴か」


 気づけばアイナさんも同じ格好で僕を見ている。これは・・・勘違いしそうです。何故かアイナさんが近い。・・・困る。・・・緊張するよ。

 そんな表情が出ていたのだろう。ライラさんがゆっくりとアイナさんを引きはがす。アイナさんは若干抵抗?をしてようだけど、どうにか距離を取ってくれた。

 

「異能については興味があるな。ケイはその認識はあるのかな?」

「ゴメンナサイ。異能という意味が分かりません。だから多分無いと思います。あればこんな怪我もしないと思います」

「そうだな。どちらにしても異能の判定は今はできないからね。まずは怪我を治す事を優先して欲しい。当面の面倒は姉さんとロッタがみるはずだ」

「うふふ。宜しくね~」

「は、はい。お手数おかけします」


 訳が分からない。

 ”迷い人”といわれても理解も納得もできない。

 だからどうすればいいんだ?

 かえって立場が悪くなっているような気がする。

 とんでもない事になりそうな気がするぞ。



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