02.見知らぬ邑
その日は確か寝苦しい夏だった。
前日に嫌な出来事があったから簡単に眠る事ができなかったんだ。
妹が遅い時間に酷い顔をして帰ってきた。あまりにも珍しい事だった。普段ならこんな時間に帰ってこない。気になった僕はリビングに向かった。
妹は頬を少し腫らし、泣いていたのか目は真っ赤だったと思う。表情も沈んでいて何かあった事は明らかだった。
滅多にない表情なので僕も母も慌ててしまった。理由を聞いても僕には答えてくれなかったのだ。
でも母には二人きりで話をしていたようだった。離れていたから僕にはその内容は分からなかった。母が血相を変えていたので只事ではなかったと思った。
結局その理由を僕は知る事はなかった。
ただ一緒に眠ってくれと妹に請われただけだった。理由も聞くなと言う。
困った僕は母に説明を求めるように顔を向ける。母は困った表情をしていた。
説明をするつもりは無い事は分かった。それと別の心配をしていたのだろう。もっともその心配は杞憂なのだけど。
兄妹なら間違いは起こらないだろうと母は妹の要望を受け入れた。僕の意思は介在していない。
断るなって事かよ。まあ全然かまわないのだけど。
実は妹は寂しい時があると僕のベットに潜り込んでくる。一人で眠りたくないそうだ。勿論間違いが起こる事は無い。何しろ兄と妹なのだから。
母も怪しむ時がある程妹は僕に懐いている。僕もその理由を知らない。聞いても答えてくれない。小悪魔のような表情で微笑むだけだった。
今日の妹に何かあったかは分からないし、聞かない方がよさそうだ。
僕は諦めて妹の要求を受け入れる事にした。
・・・・妹。
僕に妹が?
誰だっけ?
ううぅ・・・・。
痛い・・・。
激痛で目が覚める。
夢・・・か・・?
やけにリアルで、妙な夢だったような。
リアル過ぎだろ。
・・・本当に夢だったのだろうか?それ程リアルだった。
だけど夢についてあれこれ考える余裕は無い事に遅まきながら気づく。
激痛を認識したからだ。
・・・いたすぎる。痛てぇ・・・。
もしかしたら痛みで覚醒したのかもしれない。
こんな痛みで良く寝ていた・・と、自分に呆れてしまう。
痛みをこらえながら僕は内心で愚痴るしかない。
いや・・・滅茶苦茶痛いんですけど。
この痛みは一体?
何が起こっているんだ?
痛みに呻きながら目を開ける。
どこだ?
ここは?
見慣れぬ建物の中だ。
僕の知っている建物ではない。
もしかして夢から覚めたけど未だに夢?・・・じゃないよな?
というか知らない建物とは?
そもそも知っている建物ってどういう構造していたか?
たった今、目が覚めたのだから。
それとも夢を見ていた夢?
夢・・・?
胡蝶の夢・・・だったか。
胡蝶の夢?なんだっけ?それ?
そんな考えも痛みには勝てない。
・・・・無理。
思考ができる訳もないんだ。痛みに耐えるので精一杯・・・じゃん。
・・・痛い。痛い!痛い!
本当にかなり痛いんですけど。
左腕の痛みが一番きつい。肋骨も折れているのだろうか。呼吸が苦しい。
鈍痛もある・・・。なんだ。
頭も痛い。
こんな状態で大丈夫かな・・・僕。
深く深呼吸をする。駄目だちっとも楽にならない。
体が動かせない。このまま耐えるしかないのか。
・・・痛すぎる。
それにしてもここはどこなのだろう?
何もない部屋のような所に僕は寝ているようだ。
体は痛みでまだ動かせない。・・・ちょっとだけは首は動くか。
藁のような敷物の上に寝ていることがなんとなくだけど理解できている。
けど・・・。
見えている景色はやっぱり知らない光景だ。
それこそ夢じゃないんだろうか?
一体ここはどこなんだろう?
やっぱり夢なんだろうか?
いや・・・?
おかしい。
僕が知っているべき事を僕は思い出せない。
なぜ?
ああ・・・・・。
自分の名前も思い出せない。
僕はどうしたんだ?
混乱というか訳が分からない。自分が何者なんだ?
そんな時に何かが開く音がする。したようなきがする。思わず視線を向ける。
これは扉が開いた音・・・だよな?
体が動かせないから状況が把握できない。痛みに呻いてしまう。
誰かの話し声がする。これは女性か?話をしているようだ。そうなると二人はいるのか。
パタパタと足音がする。
唐突にひょいと僕の顔を覗くように顔が見える。一瞬ビビッてしまう。見えたモノが危険がなさそうだから、すぐに安堵はしたけど。
見えたのは少女だ。金髪で鳶色の瞳だろうか。顔つきは幼い。とても可愛らしい顔立ちだ。でも、僕はこの少女の顔を知らない。
この少女は何か言っているようだ。
なんてことだ。・・・言葉が分からない。
なんで?
まだ頭がぼんやりしているからだろうか。霞がかかっているようだ。
(気づいた?わたしが見える?)
金髪の少女は僕の様子を見てくれているようだ。でも話している言葉が相変わらず分からない。僕は言葉まで忘れてしまったのか?
だけど・・・。なぜか言葉がわかりそうな気がする。
理由は分からない。分かりそうな気がするんだ。
でも、分からないのがもどかしい。
(まだ眠っているのかな?ちょっとだけ意識が戻ったのかも。姉さんは出て行ったけどこのお兄さんまだ眠っているかも)
やっぱり話している事は分からない。いや・・・。
(起きてます?まだ話はできませんか?」
唐突に言葉の意味が分かる。
少なくても目の前の少女の言葉が理解できてきた。どういう事?
話しかけてくれている言葉がようやく理解できるのだけど何でだ?頭がパニックになっていたのだろうか?
話もできないと何も分かる事ができない。これは本当に助かる。まずは会話だ。上手く話せるだろうか?
恐る恐る声を出す。その発音が伝わったようで安堵する。意外とすらりと発音できたと思う。そりゃ外国人ではないのだから当然なのか。
ひとまずコミュニケーションだ。現状把握が必要だから。何しろ全く状況が分からない。
痛みを堪えて続ける。
「僕は眠っていた?のですか?・・・ここはどこですか?体が凄い痛いので大怪我をしているようです。あなたが助けてくれたのですか?」
僕の言葉に顔をほころばせながら金髪の少女が答えてくれる。
うっ・・・可愛いな。
「よかった。気づいたんだ。お兄さんがこの家にいる理由はお姉ちゃんが説明するから待ってね。それより体は結構酷いみたいよ。耐える事はできそう?」
金髪少女の言葉で僕は助けられたようだ。だけど当事者ではなさそうだから他の誰かに説明してもらう必要があるのか。
そうか・・・助けられたのか。
・・・でも全く覚えていない。・・・・困った。
何故こんな大怪我をしたんだ?
どんな状態から僕を助けてくれたんだろう?
現状の今の状態は夢でない。確実に現実だ。でもこの状況に僕はどことなく違和感を感じているのだ。
上手く表現できないのだけど馴染めない雰囲気なんだ。記憶ではなく感覚として違和感があるという表現しかできない。
なんだろう?
少なくてもこの部屋を見て何か思う事はない。本当に思い出せない。
そもそも最初は言葉すら分からなかったんだ。今は理解できているのだけど。
途中からぼんやりと分かるようになっていったんだよな。あれは一体なんだったのか。
やっぱり頭が朦朧としていたのか。
これも僕の中では全く説明ができない。
そして何故か大怪我をしている。痛みで動かない。これは夢では無い。現実だ。
だけども・・どうして怪我をしたのか全く覚えていない。
分からない事だらけだ。
・・・・考えるのもきつい。
しんどい。
痛みで記憶が混乱しているのだろうか?
どう解釈すれば良いのやら。聞かれた事に正直に答えるしかない。
「・・・体は凄い痛いですね。特に左手が痛いです。他には・・・頭と脇腹でしょうか。その他の部位も痛い所だらけです。でも我慢できる痛みです」
「やっぱりまだ痛いよね。ほんとに怪我はひどいのよ。あ、手当したのはわたしじゃないの。だからお兄さんの怪我の具合の酷さは分からないの。見ちゃダメと言われたから」
おおう・・。
そりゃ酷い状態だって事じゃないかい?
幼い少女に見せたくない怪我だって事だよな。
よく生きていたよな・・・僕。
結構酷い怪我だという認識は流石にある。今も泣きそうな程つらい痛みを堪えているんだ。本当に痛い。痛くないという強がりを言う気にもならない。
「・・・そうですか。ありがとうございます。・・・・それで、どなたが助けてくれたのです?」
「わたしの姉さん。それと家長の叔父よ。あ、わたしはロッタというの。お兄さんのお名前は?」
ロッタという金髪の少女はニッコリしている。可愛いお人形みたいだ。金髪で鳶色の瞳か。ほんと綺麗だ。でも僕の記憶にロッタという少女の名前も容姿も無い。
初対面だよ・・ん。
「違うわよ、ロッタ。家長じゃないわよ。家長代行。家長は私達の父上でしょ?これは大事な事。絶対に間違わない事」
別の方向から声が聞こえる。
こちらも女性の声だ。ロッタより落ち着いたトーンの声だ。
「ライラ姉さんは細かい。でも気をつけるね。そうだよね。父さまが家長だよね」
ロッタは声の方向に振り向く。テヘという感じで返事をしている。動作が愛らしい。
成程姉さんか。僕はもう一人の声の主に顔を向ける。
ほっそりした体型の女性だ。背が高そうだな。この人がライラと呼ばれていた女性か。この少女の姉みたいだ。
銀髪はショートカットか。細く鋭い青い瞳が冷静な口調とマッチしているかも。顔小さいな。声の調子からも表情は豊かではなさそうな雰囲気だ。冷静な性格なんだろうか。
おそらくだけど・・・助けてくれたのはこの女性かもしれない。
「そうだぞ。私達が間違えてしまったら父上が戻ってきた時に困るだろう?ところで姉さんから客人の意識が戻ったと聞いたのだが。具合はどうなんだ?」
「たくさん痛いみたいよ。わたしに見るなと言ってくるくらいだし。酷い怪我なんでしょ?そんな簡単に治らないわよね?」
「ふん。それはそうだけど」
ライラという女性は着ている服装もそうだけど、話し方も男装の麗人という感じだ。
ロッタは白地に何かの細かい模様が入ったワンピースを着ている。ライラさんは白いシャツに体にぴったりとした黒のズボンを穿いている。
銀色の髪は短く無造作に分けている。胸もなさそうだな。黙っていると女性のような男性と間違えてしまうかもしれない。ん?女性だよね?
そんな事をぼんやりと考えながら二人を眺めていたのだけど。
僕をチラリと見たライラさんが話しかけてくる。
「話はできる状態か?傷はまだ痛むだろう。無理でなければ君の素性を説明して欲しい。分かっていると思うが素性の分からない余所者は邑(むら)におけないのだ」
表情を変えないライラさん。やっぱり特定の女性にモテそうだ。
聞いてくる事は半分は分かる。
けど・・・邑(むら)と言ったな?
言葉の意味としては邑と言ったとわかるんだよな。
分かるけど何故その表現を使うのかが分からない。記憶がない僕には返答しようもない。
僕はどこかの邑で生活していたのかも分からない。少なくても目の前の二人は僕を知らないようだ。
どう答えたらいいものか。助けてくれたのだろうから正直に答えるべきなんだけど。そもそも僕が聞きたい事なんだよ。
「まずは・・・・助けてくれてありがとうございます。僕はケイと言います」
あれ?
咄嗟にでた名前。
何故か自分の名前を言えた事に僕は驚いている。ケイ?そんな発音だった気がしたんだ。
本当に僕の名前か?
「ケイか・・・・。ロッタ聞いたことがあるか?」
「わたし知らない。姉さんの方が知っているでしょ?多分この邑の人じゃないんじゃないの?だって、着ている服装も見たこともないもの」
「そうだね。あの服は付近の邑でも見たことがない材質だった。ケイ、君はどこから来たんだ?」
色々混乱してきた。これはもう考えても無理だ。状況を素直に話そう。
「色々知りたい事もあるかと思います。でも僕も知りたいのです。どうやら僕は記憶が無いようです。まずは助けて頂いた状況を教えて頂けないでしょうか?」
僕の言葉に二人は驚きの表情をする。俄かの事に驚いているのが分かる。僕だって驚いている。
本当に思い出せない。真っ白だよ。
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