橋姫

望月 鏡翠

第1話

 橋の元で待ち合わせをした。

 あの忌々しい男と。

 男が相手では、待つほうも待たれるほうも甲斐がない。

 遅れていってやる。そう思った。

 いつも待たされるのは俺だったのだ。

 何年ぶりになるだろう。世間を知らない子供のころ、頻繁にあの気に入らない男と顔を合わせた。そうして、まだ青臭さの抜けない頃、あの男と会わなくなった。

 いつも待ち合わせはあの橋だった。少し古風なつくりの、橋。見栄えはよくて、川も中々のもので水は澄んでいた。

 その袂にたって、俺はじっと待っているのだ。

 何人もの通行人が通り、何人かは用事を終えて帰っていく。その間俺は橋の番人のように、まんじりともせずに待っている。

 待てども待てども、あの男は来ない。

 散々待たせておいて、風に吹かれてきた埃のようにのこのこと現れる。そういう男だ。結局日が暮れるまで現れないことも度々であった。

 それでいてまるで嫌味がない。仙人のように妙に老成して悟りきった声で、すまないねという。

 しかし、あの大人びた声を聞かなくなってから、俺は急に大人になったのだ。それは或いは、失恋の痛みをしったからかもしれない。

 そう、もう一人いた。だから俺は、一等気に入らなかったのだ。

 黒髪が美しい色白の、小柄な女性がいつも俺の二歩はなれた所に立っていたのだ。

 初めて出会ったのは、俺だった。橋の上だった。

 俺があんまり長い間、毎日のようにあそこに立っているから彼女が声をかけたのだ。

 彼女に会うのは、いつも橋の上だった。彼女は俺がいるときいつも橋で待っていて、橋で別れた。あの嫌味な男が、暑い日も寒い日も人を野ざらしにしておく間、俺は彼女と話した。

 橋は、俺と彼女の逢瀬の場所だった。

 そうして、彼女はあの男に惚れた。

 あの大人びた厭世的な、じじくさい仙人のような男に、惚れた。

 たった数度、言葉を交わしただけなのに。

 知的な、色白い、俺よりもずっと上品なあの男に惹かれたのだ。

 俺は彼女に橋で会い、橋で別れる。

 別れの言葉を告げたあと、彼女はあの男の家に行く。愛しい男の世話をしに行ったのだ。

 あの男は、病弱であったから。

 だから、待たされると知っていても、遅れていくわけには行かなかった。橋の上で、風に当たって体を崩すといけないから。

 だから、そう。そうだ。遅れて行ってやると思いながら、俺は待ち合わせの時間に行ってしまうのだ。

 彼女は来るだろうか。

 互いにあの男は遅れてくると知りながら、時間通りにいって待つのだろうか。

 橋の上で待つ長い間を、俺と話で埋めるのだろうか。

 嗚呼、幾年も過ぎた今、俺はまたあの橋に行くのだな。

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