65話
「あのさあ、正洋……」
中野先輩が放ったシュートはゴールをわずかに外れ、コート外に転がっていった。
ボールが戻ってくるまでの少しの時間に太一が話しかけてきた。
「僕たちが何でこんなにキツくなったか分かる?」
「……何で、ってそりゃあ向こうの攻めが機能してきてるんだからしょうがねえだろ。でも、俺たちも今のところは集中して守れてるし……」
俺の返答などまるで聞いてもいないように話を遮って太一は、わざとらしいほどの大きなため息をついた。
「はっきり言って、全部正洋のせいなんだよね。正洋が翔先輩を怒らせちゃったから、こんなにピンチになってるって……本当は自分で分かってるよね?」
「いや、そりゃそうかもしれないけどよ……向こうが元々持ってた実力を発揮してきただけのことなんだから、これを凌げないってことになれば純粋に俺たちの実力が足りなかったってことだろ」
太一はまたしても俺の返答など聞いていないかのように言葉を続けた。これでは会話とは言えない。
「だからさ、正洋がきちんと翔先輩を直接マークして抑えるのがスジだと思うんだよね。僕が正洋の代わりに前線に入るから、正洋は翔先輩をきちんと抑えてよ」
そう告げると太一は俺の元を離れ、するするとポジションを上げていった。
「あ、おい、太一!何言ってるんだよ! 」
意味がまるで分からなかった。本当に何を言っているのだろうか、コイツは?
「あ、もうボール入るよ」
離れゆく太一の顔にはいつものふわふわした笑顔が張り付いていた。
「は?ふざけんなよ!」
俺と太一のやり取りなど知らないかのように、今井キャプテンからパスが回ってきた。
狙い澄ましたかのように中野先輩が猛プレッシャーを掛けてきたので、逆サイドにいた竹下にパスを回す。
竹下からのパスコースを作ってやるために、もう一度動き直す。ポジションが変わってもゲームが始まってしまえば、やることにそれほど大きな違いはない。
……にしても、太一の意図は何なんだろうか?
緊迫した互角の状況で、安定していたディフェンスの布陣を変えることはリスクしかない。普通に考えれば最もやってはいけない作戦変更だ。
それでも何とか失点せずに済んでいた。
これは俺たちが集中力を保っていたからというよりも……単に幸運だったという方が正しい。川藤先輩がキーパーとの1対1を外したシーンもあったし、中野先輩のシュートがポストを叩いたことも一度あった。
ボールが再びゴールラインを大きく超えて転がっていたところで、太一を呼びつける。
太一は例の意味の分からない微笑みだけで逃げようとしたが、怒りが俺だけのものではなく、急なポジションチェンジに戸惑う竹下や今井キャプテンのものでもあることを理解すると、ひょこひょこ歩いてきた。
そして俺たちからの詰問を浴びる前に弁明を始めた。
「いや……キャプテン。さっき正洋には話したんですけど、今の苦しい状況は翔先輩の覚醒によるものじゃないですか?」
「そうだな。あそこまでキレキレの翔は公式戦でも見たことがないな」
キャプテンはなぜかずっと太一に甘い。すぐに話を聞く体勢を取った。
「で、なぜ覚醒したかと言うと、さっきの正洋の暴言がきっかけなのは間違いないじゃないですか?」
「ああ……あれ以降一気に翔のプレーは変わったから、まあ実際そうだろうな」
「そこに責任を感じた正洋がですね……『翔先輩を抑える役割は俺がやる!責任を取るんだ!』って言いだしたんですよ。ボクはどうかと思ったんですけど、まあ本人のモチベーションが高いのでそれもアリかなと思いまして」
「何だそういう経緯だったのか。……まあ不安もあるが、2人が決めたのならそれでいくのが良いだろう」
今井キャプテンは、太一のでっち上げた俺の気概に若干感動して勝手に納得してしまった。
「いや……ちょっと待ってくださいよ!太一どういうつもりだよ!あのな……」
「おい、早くしろよ!時間稼ぎか?」
中野先輩からは苛立ちに満ちた挑発的な声が掛かった。
ゴールキックで再開するはずのボールを俺たちが止めて話し合っていたのだ。これでは中野先輩に文句を言われても当然だし、なんなら反則を取られても仕方ない。
いや……だがだな。
我関せずとばかりに、前線にスタコラ出て行こうとしている太一の背中の体操着を俺は掴む。
サッカー部全員がナイキだとかアディダスだとかのジャージを着ている中で唯一の体操着。それが太一だ。体操着がとても似合う。
その体操着が伸び切って動きが完全に止まったところで、ようやく太一は振り向いた。
「いやゴメン。ホントはさ……僕、後ろにいるのに飽きてきちゃったんだよね。だからさ、良いだろ?」
……いやコイツ、マジか?
……いや、太一ならこれは本心ではなく深慮遠謀あってのことか?だがここで俺に対しても本心を明かさない意味が理解出来ない。
俺はどう判断して良いか分からず、ただため息を一つ吐いた。
「それにさ正洋、守備も結構面白かったでしょ?」
その言葉にハッとした。……そうだったのだ。今までの守備のとは違う感覚を俺はたしかに覚えていたのだ。
俺はサッカーを始めてからずっと中盤だった。
気が利くとか周りが見えているとかの積極的な理由ではなく、俺自身に突出した特徴がなかったことと、経験したポジション以外をやることに臆病だったことが理由だろう。
それに比べ、この短い時間の最後尾からの景色は新鮮で悪くなかった。敵の攻撃を予測するだけでなく、敵の攻撃を誘導してボールを奪うような守備が出来れば、もっと面白くなるだろうな……という予感を覚えたのも正直なところだ。
「チッ、しょうがねえな……」
いつの間にか俺は、太一の言葉を認めてしまっていた。
そんな言葉を俺が言い終える前に、太一はすでに前線に動き出していた。
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