53話

「大丈夫だと思いますよ」


 ゴールを決められ集まってきたDF陣の中で声を出したのは……太一だった。相変わらずふわふわした口調だったが、今までとは少し違いどこか熱を帯びた言葉のように俺には感じられた。


 1点差から2点差に戻されたのはたしかに痛いが、俺には太一の言わんとしていることがなんとなく理解出来た。

 今のゴールはたしかに見事なものだったが、それまでも状況的にはこちらが優勢だったはずだ。今まで通りの戦い方をしていけば追いつけそうな気はする。

 だがそんな気分に水を差したのは安東だった。


「……たしかに劣勢ではないけどよ、2点負けてるんだぜ。向こうも守りを固めてくるかもしれないぜ。このまま普通にやってて良いのかよ?」


 安東の問いももっともなものに思えた。向こうが勝ちに徹するのならたしかに守りを固めてくるだろう。サッカーゴールと違い小さいハンドボールゴールを用いているこのゲームでは、その気になってゴール前を固められると点を入れるのは実際問題難しくなるだろう。


「大丈夫、先輩たちは今の得点でますます僕たちを舐めてくると思うよ。だからさ……」


 太一の言葉に俺たちは聞き耳を立てた。




 時間はまだ後半開始から3分も経っていなかった。

 リードを広げられた俺たちだったが、次の交代は前線の吉田に替わりDFの竹下を投入するという守備的なものだった。竹下・森田のDFのさらに後ろに太一がリベロとして陣取り、攻撃陣は俺と安東の2人だけ……という守備的な布陣を取ったのだ。

 リードされている状況でこうした作戦をとったのは、もちろん意図があってのことだ。




「さっきの中野先輩のゴール、ヤバかったですね」


 俺は先ほどから対峙することの多かった川藤先輩に話し掛けた。


「……そうだな。中野は流石だな」


 川藤先輩は俺にとっては比較的接しやすい先輩だった。試合中にも関わらず普通に応えてくれることに人柄の良さが表れているが……今回はこれを利用させてもらう。


「結局先輩たちってあの2人に……」


 それだけ言うと、俺はパスを受けるために川藤先輩から離れた。


「あ、おい……」


 ボールが俺の元を離れ、ゆったりした展開に戻ると川藤先輩がまた近くにポジションを取ってきた。


「吉川、お前さっき何言いかけてたんだ?」


「え?何ですか?」


「……俺たちが中野と翔におんぶにだっこだって、言いかけてたんじゃねえのか?」


「え、いや、そんなこと別に言ったつもりはないですけど……たしかにゴールを決めたのも、チャンスを作ってるのもずっと2人ですね」


「てめえ、舐めてんのか?」


「いや、全然そんなつもりはないですけど……実際問題あの2人がいなかったら先輩たちがリードしていたんですかね?」


「……この野郎!」


 明らかに川藤先輩の目の色が変わった。

 川藤先輩は元来面倒見の良い優しい先輩で、俺も敬意を持って接してきた。

 その俺にこんな口の利き方をされるとは想像だにしなかったのだろう。

 まあもちろん、こんな安い挑発だけが川藤先輩を変えたのではない。

 川藤先輩自らが「中野と翔におんぶにだっこ」と言い出したように、それは本人たちが薄々感じていた部分なのだろう。


 だから俺がちょいと突いただけで、明らかに川藤先輩の動きは変わった。

 中盤の真ん中に位置していた川藤先輩がかなり前線に出て攻撃に参加してくるようになったのだ。こちらの陣形が守備的なものであり、中盤でボールを支配できなかったこともその要因だろう。

 川藤先輩のポジションがやや前掛かりになると、DFの今野・高野先輩の2人もポジションもかなり高い位置になってきた。そして時には自分のポジションを離れ攻撃に参加し、シュートを放つことも度々あった。もちろん全体のバランスとしてそうなってきたから……という部分もあったが、多分他の先輩たちも自分でゴールを決めたかったのだろう。今までの本来のポジションで言えば生粋のDFと言えるのは今野先輩だけで、他は皆中盤より前のポジションを務めていた選手ばかりなのだ。


 そうした変化が如実に表れ始めたところで、俺は吉田と交代し一旦ピッチから退いた。



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