52話

 マークに付いていた俺は一瞬迷った。

 そのまま翔先輩に付いていくのが最も分かりやすくはあるのだが、縦に抜けられてサイド奥のスペースを使われたとしても、それほどピンチは広がらない可能性が高い。結局のところボールが戻ってくるゴール前を固めることが守備の優先順位としては高いのだ。

 また森田が一瞬オーバーラップしてくる翔先輩を意識したポジショニングを取ったことも俺を迷わせた。ここでマークを受け渡し、翔先輩に対して森田が対応するならば、俺はボールを持っている中野先輩にチェックに行くべきだろう。


 結局はそうなった。

 俺と森田がマークを受け渡したタイミングで、中野先輩は翔先輩にパスを出すフリをしてボールを足裏で止めた。ここまで2人の攻撃は速攻がほとんどだったから、俺たち守備陣は一瞬リズムを崩された。


 タメを作りボールをキープし直した中野先輩には余裕があった。完全に止まった状態になったのでドリブルで突破してくるとは考えにくいが、それでも俺は警戒し重心を低く構える。

 中野先輩が右足を振りかぶった。


(キックフェイントだ!)

 対面する俺はそう判断した。中野先輩ならば何が何でも強引にドリブル突破を図ってくるはずだ。このキックフェイントに反応した俺の逆を突いてドリブルで来るのだろう。そう思っていた。




「川田君、裏来てるよ!」


 だが実際にはそうではなかった。2年チームもここをチャンスと判断したのか、今までにない勢いで他の人間も攻撃に参加してきたのだ。その様を見た今井キャプテンから太一に声が掛かった。

 ゴール前にはこちらのDFとして太一が残っていた。太一は俺がドリブルで抜かれても良いような中間距離を取りカバーしていたのだが、その外側(左サイド側)を太一の死角になるような角度から川藤先輩がゴール前に走り込んでいたのだ。

 ドリブル突破を警戒していた俺は、中野先輩のクロスに対してプレッシャーを掛けられるような距離にポジションを取っていなかった。

 フリーに近い状況で中野先輩ほどの技術があればゴール前に正確なクロスを送ることは容易なことだ。あとはゴール前で合わせる川藤先輩とキーパー今井キャプテンとの勝負ということになるだろうか。

 だがクロスを送る……と思ったタイミングで中野先輩はボールを蹴らず、もう一度だけチョンと少しだけボールを前に出した。


(迷ったな!)

 走り込んでくる川藤先輩に出すことを中野先輩は躊躇ったのだろう。俺はここぞとばかりに距離を詰める。こうした迷いはほぼほぼ守備側に有利に働くことが多い。

 もう一度キックモーションに入った中野先輩に対して俺は足を伸ばす。まだ必ずカット出来る……という距離ではないが、ワンタッチ増えた分確実にコースを限定する効果は出ているはずだ。


「ナイス!」


 俺のディフェンスに対して今井キャプテンからも声が届いた。

 中野先輩の振り足は予想していたよりも速いものだったが、それだけヤケクソのものだったのだろう、という希望的観測を込めて蹴られたボールの行方を目で追うと……ボールはこちらのゴールに突き刺さっていた。


「……え?」


 俺は一瞬何が起こったのか分からなかった。俺たちのチームは誰もが適切なディフェンスをしていたはずではないのか?




「バーカ、見たか」


 中野先輩は俺の顔も見ずに独り言のようにつぶやくと、寄ってきた翔先輩とハイタッチを交わした。


 全ては中野先輩の計算通りだったということだ。もちろん中野先輩がどこの時点でプレーをはっきり決めたかは定かではないが、狙い通りにやられゴールを決められたことは間違いない。

 翔先輩のオーバーラップを囮に使い中央を薄くし、誰もがゴール前にクロスを送ってくると思ったタイミングで逆を取り、見事なロングシュートを決めたのだった。太一の抜群の読みもこの距離でシュートを決められては発揮のしようがなかった。


「おい~、俺に出せよ~」


 ダッシュしてゴール前に上がってきた川藤先輩はやや不満気な声を出して中野先輩をなじったが、結局はゴールが入ったことに満足そうだった。


「よ、ナイスラン。見事な囮だったぜ!」


 それに応える中野先輩もむろん上機嫌だ。




「わりい、今のは俺のミスだわ……すまねえ」


 ゴールに入ったボールを取り出しながら、今井キャプテンは力なくそう言った。

 その言葉で俺はやっと今のプレーの全てを理解した。

 太一の裏に走り込む川藤先輩にクロスが上がってくることを予測した今井キャプテンは、クロスに対応しようと前に出掛けていたのだ。中野先輩はキーパーの重心の動きまでを予測してシュートを決めたということだ。

 中野先輩はもちろんシュート力もあるが、どちらかというとドリブルや細かいパスで侵入し、近い距離からゴールを決めるのが得意な選手だったはずだ。遠い距離からシュートを決めたことは、俺の記憶にはなかった。



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