4話
太一が中3の頃あまり登校してこなかったのは、なんでも『奨励会』という組織で将棋のプロを目指していたためらしい。
そう、将棋である。あのボードゲーム(と呼ぶのが適切なのか俺には確信が持てないが)の将棋である。
俺は将棋に関しては駒の動かし方がやっと分かるくらいのレベルなので、「例え将棋がどれだけ強くても、あんなゲームをして大金がもらえる人間がいるなんて、不思議な感じがする」と太一に話したことがあるのだが、「そんなこと言ったらサッカー選手だってそうじゃん!ボールを蹴るのがどれだけ上手かろうと、普段の生活には全然関係ないよね?」と返されて、まあ確かにその通りだと納得してしまった。
とにかく将棋の世界にもプロが居て、トッププロになるとサラリーマンの何倍もの収入が得られるそうだ。ただ野球やサッカーの一流選手と比べると少し低い……というのが現状のようだ。
『奨励会』というのはプロ棋士の養成機関で、ざっくり言うと奨励会で勝ち続ければプロ棋士になれる。ただそれは中々の狭き門で、一年でプロになれるのはわずか4人だけとのことだ。
他のスポーツ選手とかと違うのは、将棋の場合はプロになるためのレールに乗るのが圧倒的に若いという点だ。多くのスポーツ選手は高校や大学を出てからプロになるが、将棋の場合は高校生、早い場合は中学生のうちにプロになる例もある。
そしてそのための養成機関である奨励会には多くの子供たちが小学生の内に入る。厳密に言えば例外もあるが、基本的にはこの奨励会を経ないでプロ棋士になることは有り得ない。つまり高校生……いや中学生になってからですらプロ棋士を目指すのは厳しい道だということだ。
太一の場合は小6の時に全国大会で優勝して、それをきっかけに小学校卒業間近に奨励会に入ったそうだ。……さらっと言ったけど全国大会優勝って、エグいよな。日本一になった人間って周りには普通なかなか居ないよね?
……まあともかく、太一は中学生の時は将棋漬けの毎日だったようだ。ふわふわして学校ではいつも寝ているアイツからは、切羽詰まったような雰囲気を俺は一度も感じたことはなかったが、本人いわく「スゴい、プレッシャーだった!」とのことだ。
実際に将棋の勉強をしている時間だけでなく、授業中も、道を歩いていても、食事をしている時でも、夢の中でさえ……将棋の盤面が頭の中に勝手に浮かんでくるそうだ。
意識的に普通の学校生活を送ろうとしても、学校の廊下のタイルや天井のボードのマス目が将棋盤に見えて、駒が自動的に浮かび上がってきてしまうそうだ。……これはヤバイな、ドラッグなんか使わなくってもそれだけプレッシャーがあれば、幻覚なんかは容易に見れるんだな。
しかし太一のその将棋漬けの生活も中学卒業と共に終わる。奨励会を退会したのだ。これは太一の親の方針だそうだ。何でも親との約束で取り決めただけの成績を残せなかったということらしい。
奨励会という組織は26才まで在籍してプロを目指すことが許されているそうなので、普通の感覚からすればそれを中学生のうちに見切りをつけてしまうというのは何とももったいない気がするが……まあ太一の親にはそれだけの考えがあったのだろう。奨励会に在籍しても実際にプロ棋士になれるのは1~2割程度だというから、早目に見切りをつけて違う人生を歩むべきだ、ということなのだろう。確かに多くの奨励会員は大学にも行かないというから、26才ギリギリまでプロを目指してなれなかった場合を考えるとリスクが大きい、というのも親の立場を考えると分からなくはない。
最初太一からそうした話を聞いた時、俺は「なんだかスゴい話だな!」という程度の感想しか持てなかった。
太一が将棋を始めたのは小学3年生の時だというから普通の感覚で言えば早いものだろうが、棋士を目指す世界では小学3年生はかなり遅い部類だそうだ。それでも太一は小6の時に全国大会で優勝したのだから才能の塊としか言いようがないと思うのだが、「(奨励会を勝ち抜いてプロになるのは)ちょっと無理だと思った」と本人も言っていた。
全国大会優勝……ってその年代の日本一ってことだよな?それがプロにすらなれない?俺にはまるで意味が分からなかったが、まあとにかく将棋でプロになるというのはそれだけ狭き門らしい。「自分は頭が良かったので棋士になったが、兄たちはあまり頭が良くなかったので東大に入った」と言っていた棋士も居たそうだ。……なんじゃそりゃ!?
まあともかく太一もそうした紆余曲折を経て、現在はプレッシャーから解放された生活を送っている、ということだ。
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