透明人間になりたい

 ふと私は、透明人間になりたいと願った。なぜか、と気になる人も居るだろう。ただ、ふと願ったのだ。

 私は透明になる方法を探し、ネットの海を泳いだ。しかし浅瀬に足を浸しても、膝まで浸かっても、腰まで浸かっても、人間が透明になる方法など見つからなかった。強いて言うなら、科学者ぶった名前も知らないような奴の理論くらいだ。そうして私は、もっと深い場所に潜った。息継ぎもできない程、太陽の光も見えない程、それはそれは深い場所に。

 どの程度潜ったのかはもう分からないが、潜りに潜った先で、私は見つけた。提燈鮟鱇チョウチンアンコウの灯りのように、暗く冷たい海の中で、私への道標となる1つの淡い灯りを。私はその灯りに、灯りを放つ者に接触し、日は跨ぐが実際に会うこととなった。

 日は経ち、私は男と出会った。見た感じ、年齢は30代後半から40代半ばくらいだろうか。肌は私より白く、腕は私より細く、髪は私よりも長い、見ていると不快感が込み上げてくる深海魚のような男だった。しかし男は私を透明人間にしてくれるかもしれない。私は自分自身にそう言い聞かせ、男という名の深海魚に連れられ、竜宮城アパートの薄暗い一室へと向かった。

 竜宮城の中には何かしらの実験道具や、謎の液体が入ったアンプルや試験管。ケージに閉じ込められたモルモット。私の足裏と同じくらいのサイズの魚が泳ぐ水槽などなど、明らかに普段から実験や研究をしているであろう幾つもの痕跡が見られた。

 これを見て。

 細くガサガサしたような、聞いていて気持ちのいいものではない声で男が言う。男が見せてきたのは、透明な液体の入ったアンプル。勝手な予想だが、これが私を透明人間にしてくれる液体なのだろう。ただ男曰く、苦労して作った薬だから無料タダでは渡せないらしい。私が、幾らなら譲ってくれる、と尋ねると、男は20万と答えた。高校生の私がそんな大金持っているはずもなく、男も私が高校生であることを見抜いた上で発言した。

 男が言った。なら金は要らない、その代わり……と。

 男は口元に笑みを浮かべると、フローリングの床に座る私の前で立ち上がり、ズボンを下ろし、股にぶら下がる棒と袋を誇らしげに露出した。男は「その代わり」と言った後は何も言わなかった。が、私には男の発言その続きが容易に理解できた。本来ならばこんな気持ちの悪い男に触れ、且つ身体を愛撫させるなど死んでもお断りだが、透明人間になれる可能性がある限りは仕方がない。私は私の心を押し殺し、ゆっくりと男の股から生える棒に触れた。流石は深海魚と言ったところか、かなり生臭い。正直、魚屋などの匂いなど軽く凌駕している。少し嗅いだだけなのに、私の胃がキュッとなったのが分かる。もしもこのまま嗅ぎ続ければ、そのうち私は胃の中のものを全て吐き戻してしまうだろう。

 すると、男が言った。違う、そうじゃない。と。

 男は私の手を払い除け、私の肩を強く押す。座っていた私に受身をとる余裕などなく、私はフローリングの床に倒れた。そこからの展開は異様なまでに早かった。私のファーストキスは簡単に奪われ、唇は男の舌に撫で回された。破られこそしなかったが服も下着も脱がされ、腕も、乳房も、腹も、女陰も、脚も、ありとあらゆる場所を手や舌で愛撫された。私は透明人間になりたいがため、男からの一方的な責めを受け続けた。嫌悪感、そして吐き気も込み上げてくる。しかし私は耐えた。そして30分以上が経過して、漸く男の体力は尽きた。

 男が言った。そういや、なんで透明人間になんてなりたいと思ったの、と。

 男曰く、「透明人間になりたい」と接触してくるのは殆どが男。理由としては、女子更衣室や女風呂に侵入したり、透明なのをいいことに街ゆく女性のスカートの中を覗いたりするらしい。男がこの商売を初めてから女性の客が現れるのは初めてだと言う。その男の質問に対して、私はとりあえず、みんなから認識されるのが嫌になった、と答えた。

 どういうこと?

 男は言う。それに対し私は、透明人間になればもう誰にも虐められないから、と答えた。男は私の回答を聞き、何とも言えぬ複雑な顔をした。私の回答が気に入らなかったのだろうか。すると男は、ほら、と言いながら、透明な液体の入ったアンプルを私に手渡した。男曰く、この液体を飲めば透明人間になれるらしく、過去に何本も売っているらしい。俺への謝礼として君の下着は貰う、と男は言い、私のブラとショーツを奪った。私は仕方なく全裸の上から服を着て、暑く生臭い竜宮城から去った。

 家に帰った私は、すぐにアンプルを開けて中の液体を飲んだ。見た目同様、味は完全にただの水。しかしこれで私は透明人間になれる。これで漸く誰からの視線も浴びることなく生きられる。





 それが10時間ほど前の話である。液体を飲んでから私の身体に一切変化は無い。何度も自分の身体を見て、何度も鏡の前に立つが、身体は透けない。何処を何度見ても、指一本たりとも透けてはいない。あの見た目と味から察するに、あの液体はただの水。良薬口に苦し、と言うが、男から買った薬は味がしなければそもそも薬ですらない。私はあの男の放つ灯りを提燈鮟鱇と例えたが、そもそも提燈鮟鱇は角の灯りで獲物を引き付け、そのまま獲物を喰らうとされている。私はまんまと提燈鮟鱇に引き寄せられ、捕食されたのだ。私はもう誰かに頼ることをやめ、自分一人の力で透明人間になれる方法を探した。そしてある程度時間が経過した時、私は答えに行き着いた。

 透明になる、言わば周りは私を視認できなくなる。即ち私は世界から消える。ならばいっそ、身体でなく存在自体を消せばいいんじゃないか。

 自分なりの結論に至った私は、軽やかな足取りで車道に足を踏み入れた。



 これで私は透明人間に近付けるだろうか。

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